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御用邸ごようてい

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葉山はやま御用邸ごようてい

御用邸ごようてい(ごようてい)とは、天皇てんのう皇后こうごう皇太子こうたいし皇女おうじょ皇太后こうたいごう別荘べっそうである。としすうかい静養せいようねて避暑ひしょ避寒ひかんおとずれる。宮内庁くないちょう定義ていぎでは、一定いってい規模きぼ建造けんぞうぶつ敷地しきちゆうするものを離宮りきゅうとし、小規模しょうきぼのものを御用邸ごようていしょうしている。

御用邸ごようてい役割やくわり

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幕末ばくまつから明治めいじにかけて天皇てんのう子供こどもたちの夭折ようせつがあまりにもおおいことから1883ねん明治めいじ16ねん)に侍医じいらが連名れんめい改善かいぜんあんをまとめた上申じょうしんしょ提出ていしゅつし、そのなか避暑ひしょのための離宮りきゅう建設けんせつがあったことから、箱根はこね離宮りきゅうとともに日光にっこう山内やまうち御用邸ごようてい建設けんせつされた[1]。しかし、明治天皇めいじてんのう自身じしん脚気かっけなやみながらもこれらをいち利用りようしなかった[1]

皇后こうごう東宮とうぐうよしみじん親王しんのう大正天皇たいしょうてんのう)はひとおな施設しせつどう時期じき利用りようすることはしないため、明治めいじ皇女おうじょごとに御用邸ごようてい創設そうせつされたが、皇女おうじょ結婚けっこん不要ふようとなり関東大震災かんとうだいしんさい廃止はいしされた[2]御用邸ごようていないでも一人ひとりいちむね御殿ごてん付属ふぞくてい)を用意よういする方法ほうほうは、よしみじん親王しんのう皇子おうじにもがれ[3]よしみじん親王しんのう成長せいちょうわせ、避暑ひしょ避寒ひかんなどの医学いがくてき見地けんちによる私的してき生活せいかつ空間くうかんから執務しつむしつなど公的こうてき機能きのうくわえたちいさな皇居こうきょへと役割やくわりわった[4]

御用邸ごようてい一見いっけん質素しっそえつつも、和風わふう建築けんちくとして最高さいこう材料ざいりょう技術ぎじゅつつくられており、継続けいぞくてきなメンテナンスをおこなうために、御用邸ごようてい周囲しゅういにメンテナンス技術ぎじゅつ職人しょくにん集積しゅうせきしていた。葉山はやままち守谷もりや表具ひょうぐてんもそれらのひとつで、戦前せんぜんより葉山はやま御用邸ごようていふすま障子しょうじのメンテナンスを担当たんとうしている[5]

現存げんそんする御用邸ごようてい

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那須なす御用邸ごようてい(なすごようてい)
那須なす御用邸ごようてい
栃木とちぎけん那須なすぐん那須なすまち北緯ほくい375ふん16.7びょう 東経とうけい1401ふん25.2びょう / 北緯ほくい37.087972 東経とうけい140.023667 / 37.087972; 140.023667 (那須なす御用邸ごようてい)
1926ねん大正たいしょう15ねん / 昭和しょうわ元年がんねん設置せっち -
おもに8月 - 9月におとずれている。
那須なす湯本ゆもと温泉おんせんちかくに位置いちし、東京とうきょうドーム142ぶん皇居こうきょの6ばいちか広大こうだい敷地しきちである[6]
本邸ほんていは1926ねん7がつ付属ふぞくていは1935ねん昭和しょうわ10ねん完成かんせい[7]休憩きゅうけいしょの嚶鳴(おうめい)ちんもある[8]
1998ねん平成へいせい10ねん)に本邸ほんてい耐震たいしん補強ほきょう工事こうじ実施じっし付属ふぞくてい耐震たいしんには問題もんだいないためとく実施じっしせず[8]
2008ねん平成へいせい20ねん)には天皇てんのう明仁あきひと皇后こうごう美智子みちこ意向いこうけ、はじめてあき時期じき(10がつ24にち - 27にち)におとずれた。
2011ねん平成へいせい23ねん)には、同年どうねん3月11にち発生はっせいした東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいにより、福島ふくしまけんから避難ひなんした被災ひさいしゃたいし、風呂ふろなどの一部いちぶ施設しせつ明仁あきひと美智子みちこ意向いこうにより開放かいほうした[9]
ゆたかな自然しぜん環境かんきょう保護ほごしつつ、国民こくみん自然しぜん直接ちょくせつふれあえるとして活用かつようしてはどうかという明仁あきひと意向いこうけて、2007ねん平成へいせい19ねん)に御用邸ごようてい敷地しきちやく半分はんぶんの570ヘクタール宮内庁くないちょうから環境省かんきょうしょう移管いかんされ、一般いっぱん開放かいほうけて自然しぜん環境かんきょうのモニタリング調査ちょうさや、フィールドセンターとう施設しせつ整備せいび遊歩道ゆうほどうなどの整備せいびすすめられ、2011ねん平成へいせい23ねん5月22にち明仁あきひとの「天皇陛下てんのうへいか在位ざいい20ねん」という節目ふしめ機会きかい日光にっこう国立こくりつ公園こうえん那須なす平成へいせいもりとして開園かいえんした[10]
新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう (2019ねん)流行りゅうこうにより那須なす御用邸ごようていでの静養せいよう自粛じしゅくしていたが2023ねん8がつに4ねんぶりにとくひとし一家いっか利用りようした[6]
2023ねんれい5ねん)、エアコン設置せっちされた[8]
葉山はやま御用邸ごようてい(はやまごようてい)
葉山はやま御用邸ごようてい
神奈川かながわけん三浦みうらぐん葉山はやままち北緯ほくい3515ふん40.7びょう 東経とうけい13934ふん41.4びょう / 北緯ほくい35.261306 東経とうけい139.578167 / 35.261306; 139.578167 (葉山はやま御用邸ごようてい)
1894ねん明治めいじ27ねん設置せっち -
おもに2月 - 3月におとずれている。大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょしたところである。
1894ねん明治めいじ27ねん着工ちゃっこうよしみじん親王しんのうようしょう健康けんこうすぐれず、侍医じいエルヴィン・フォン・ベルツ葉山はやま保養ほようとしてすすめたという[11]1916ねん大正たいしょう5ねん公的こうてき建物たてもの増設ぞうせつ[3]
1926ねん大正たいしょう15ねん12月25にち大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょともない、皇太子こうたいし裕仁ひろひと親王しんのう践祚せんそした。葉山はやま御用邸ごようてい隣接りんせつする場所ばしょには裕仁ひろひと親王しんのう践祚せんそ記念きねん設置せっちされている。
1971ねん昭和しょうわ46ねん)に建物たてもの焼失しょうしつ葉山はやま御用邸ごようてい放火ほうか事件じけん)したが、1981ねん昭和しょうわ56ねん)に再建さいけんされた。
1987ねん昭和しょうわ62ねん)に付属ふぞくてい跡地あとち葉山はやましおさい公園こうえんとして開園かいえんした[12]公園こうえんないのしおさい博物館はくぶつかんには焼失しょうしつまぬかれた内玄関うちげんかん車寄くるまよせ移築いちくされていて、昭和しょうわ天皇てんのう採集さいしゅうした生物せいぶつ標本ひょうほんなどが展示てんじされている。
葉山はやまは、横須賀よこすかこうから直接ちょくせつおとずれること可能かのうだったことから、海軍かいぐんぞくしていた東伏見ひがしふしみみやじん親王しんのうなどが葉山はやま別邸べってい建設けんせつし、最盛さいせいには御用邸ごようていふくめていえ皇族こうぞく別邸べっていならんだ[13]
須崎すさき御用邸ごようてい(すざきごようてい)
静岡しずおかけん下田しもだ須崎すさき北緯ほくい3440ふん6.9びょう 東経とうけい13858ふん32.1びょう / 北緯ほくい34.668583 東経とうけい138.975583 / 34.668583; 138.975583 (須崎すさき御用邸ごようてい)
1971ねん昭和しょうわ46ねん設置せっち -
おもに7月 - 8がつおとずれている。かつての三井みつい財閥ざいばつ別荘べっそう敷地しきちを、日本国にっぽんこく政府せいふ御用邸ごようていにした。
やしきないにはプライベートビーチがある。

かつて存在そんざいした御用邸ごようてい

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1930ねん昭和しょうわ5ねん)、みや内省ないせい離宮りきゅう御用邸ごようてい整理せいり計画けいかく策定さくてい名古屋なごやじょうのほか、武庫むこ離宮りきゅう静岡しずおか御用邸ごようてい熱海あたみ御用邸ごようてい鎌倉かまくら御用邸ごようてい小田原おだわら御用邸ごようてい宮ノ下みやのした御用邸ごようてい廃止はいしされた[14]が、実際じっさい廃止はいし時期じきにはばらつきがた。
横浜よこはま御用邸ごようてい伊勢山いせやま離宮りきゅう
横浜よこはま御用邸ごようてい
神奈川かながわけん横浜よこはま北緯ほくい3527ふん4.54びょう 東経とうけい13937ふん37.20びょう / 北緯ほくい35.4512611 東経とうけい139.6270000 / 35.4512611; 139.6270000 (横浜よこはま御用邸ごようてい)
1875ねん明治めいじ8ねん設置せっち - 1884ねん明治めいじ17ねん廃止はいし
1885ねん明治めいじ18ねん)、横浜よこはまこう海軍かいぐん東海とうかい鎮守ちんじゅあと代用だいよう伊勢山いせやますめらぎ大神宮だいじんぐう隣接りんせつ
神戸こうべ御用邸ごようてい
兵庫ひょうごけん神戸こうべ北緯ほくい3440ふん51.72びょう 東経とうけい13510ふん56.64びょう / 北緯ほくい34.6810333 東経とうけい135.1824000 / 34.6810333; 135.1824000 (神戸こうべ御用邸ごようてい)
1886ねん明治めいじ19ねん設置せっち - 1907ねん明治めいじ40ねん廃止はいし
せんさきわたる五平ごへいていげ。1907ねん明治めいじ40ねん東京とうきょう倉庫そうこはらげ。跡地あとち神戸こうべハーバーランド一部いちぶ
熱海あたみ御用邸ごようてい
熱海あたみ御用邸ごようてい
静岡しずおかけん熱海あたみ北緯ほくい355ふん46びょう 東経とうけい1394ふん18びょう / 北緯ほくい35.09611 東経とうけい139.07167 / 35.09611; 139.07167 (熱海あたみ御用邸ごようてい)
1888ねん明治めいじ21ねん設置せっち - 1928ねん昭和しょうわ3ねん廃止はいし
よしみじん親王しんのう避寒ひかんようとして使つかわれた。1936ねん昭和しょうわ11)ねんから「逍遥しょうよう先生せんせい記念きねん熱海あたみ図書館としょかん」に。1950ねん昭和しょうわ25ねん)の熱海あたみ大火たいか焼失しょうしつ敷地しきち熱海あたみ市役所しやくしょはらげ。
伊香保いかほ御用邸ごようてい
伊香保いかほ御用邸ごようてい
群馬ぐんまけん伊香保いかほまち北緯ほくい3629ふん48びょう 東経とうけい13855ふん6びょう / 北緯ほくい36.49667 東経とうけい138.91833 / 36.49667; 138.91833 (伊香保いかほ御用邸ごようてい)
1890ねん明治めいじ23ねん設置せっち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん廃止はいし
1952ねん昭和しょうわ27ねん焼失しょうしつ跡地あとち群馬大学ぐんまだいがく伊香保いかほ研修けんしゅうしょとなり、沓脱くつぬぎせき玄関げんかんのこされている。
山内やまうち(さんない)御用邸ごようてい
山内やまうち御用邸ごようてい
栃木とちぎけん日光にっこう北緯ほくい3645ふん16びょう 東経とうけい13935ふん57びょう / 北緯ほくい36.75444 東経とうけい139.59917 / 36.75444; 139.59917 (山内やまうち御用邸ごようてい)
1890ねん明治めいじ23ねん設置せっち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん廃止はいし
昌子しょうじ内親王ないしんのう房子ふさこ内親王ないしんのうようとして[2]日光にっこう東照宮とうしょうぐう迎賓館げいひんかん朝暘ちょうようかん」をげて使つかわれた。ホテルをて、1963ねん昭和しょうわ38ねん)から現在げんざいまではなわ王寺おうじほんぼうとして現存げんそん
沼津ぬまづ御用邸ごようてい
沼津ぬまづ御用邸ごようてい
静岡しずおかけん沼津ぬまづ北緯ほくい354ふん17びょう 東経とうけい13852ふん23びょう / 北緯ほくい35.07139 東経とうけい138.87306 / 35.07139; 138.87306 (沼津ぬまづ御用邸ごようてい)
1893ねん明治めいじ26ねん設置せっち - 1969ねん昭和しょうわ44ねん廃止はいし
よしみじん親王しんのうようとして[2]使つかわれ、設置せっち当時とうじ御座所ござしょ学問がくもんしょねる1むね玄関げんかんとうのみの小規模しょうきぼ構成こうせいで、2ねんの1895ねん明治めいじ28ねん)にしん御座所ござしょ女官にょかんとうみやつこしつらえ、1900ねん明治めいじ33ねん)のよしみじん親王しんのう結婚けっこん翌年よくねんには、洋館ようかん書斎しょさい食堂しょくどう設計せっけいかた山東さんとうぐま[4])がてられ、きゅう御座所ござしょ東宮とうぐう御座所ござしょとされた[15]。1945ねん昭和しょうわ20ねん)の沼津ぬまづだい空襲くうしゅう本邸ほんてい焼失しょうしつ現在げんざい沼津ぬまづ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえん西にし附属ふぞくていひがし附属ふぞくてい現存げんそん
宮ノ下みやのした御用邸ごようてい
宮ノ下みやのした御用邸ごようてい
神奈川かながわけん足柄下あしがらしもぐん箱根はこねまち北緯ほくい3514ふん42.42びょう 東経とうけい1393ふん30.37びょう / 北緯ほくい35.2451167 東経とうけい139.0584361 / 35.2451167; 139.0584361 (宮ノ下みやのした御用邸ごようてい)
1895ねん明治めいじ28ねん設置せっち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん廃止はいし
允子のぶこ内親王ないしんのうおよび聡子さとこ内親王ないしんのうようとして[2]使つかわれ、のち高松宮たかまつのみやいえ別邸べってい。1946ねん昭和しょうわ21ねん富士屋ふじやホテルはらげ、主要しゅようのみのこし、現在げんざいどうホテル別館べっかんきくはなそう」。
高輪たかなわ南町みなみまち御用邸ごようてい
高輪たかなわ南町みなみまち御用邸ごようてい
東京とうきょうみなと北緯ほくい3537ふん47びょう 東経とうけい13944ふん9びょう / 北緯ほくい35.62972 東経とうけい139.73583 / 35.62972; 139.73583 (高輪たかなわ南町みなみまち御用邸ごようてい)
1898ねん明治めいじ31)設置せっち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん廃止はいし
後藤ごとう象二しょうじろうきゅうやしきげ、宮家みやけ仮寓かぐうしょとして朝香あさかみやいえひがし久邇くにみやいえなどが使用しよう戦後せんご解体かいたいされ、土地とち一部いちぶ京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ取得しゅとくし、1971ねん昭和しょうわ46ねん)「ホテル・パシフィック東京とうきょう」が開業かいぎょう(2010ねん閉業へいぎょう)。
田母沢たもざわ御用邸ごようてい
田母沢たもざわ御用邸ごようてい
栃木とちぎけん日光にっこう北緯ほくい3645ふん9びょう 東経とうけい13935ふん29びょう / 北緯ほくい36.75250 東経とうけい139.59139 / 36.75250; 139.59139 (田母沢たもざわ御用邸ごようてい)
1899ねん明治めいじ32ねん設置せっち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん廃止はいし
よしみじん親王しんのうようとして[2]使つかわれ、大蔵省おおくらしょう関東かんとう財務局ざいむきょく管理かんりに。2000ねん平成へいせい12ねん)、修復しゅうふく工事こうじ日光にっこう田母沢たもざわ御用邸ごようてい記念きねん公園こうえんとして一般いっぱん公開こうかい2003ねん平成へいせい15ねんこく重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい
鎌倉かまくら御用邸ごようてい
鎌倉かまくら御用邸ごようてい
神奈川かながわけん鎌倉かまくら北緯ほくい3519ふん8びょう 東経とうけい13932ふん49びょう / 北緯ほくい35.31889 東経とうけい139.54694 / 35.31889; 139.54694 (鎌倉かまくら御用邸ごようてい)
1899ねん明治めいじ32ねん設置せっち - 1931ねん昭和しょうわ6ねん廃止はいし
允子のぶこ内親王ないしんのうおよび聡子さとこ内親王ないしんのうようとして[2]使つかわれた。1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさい大破たいは解体かいたいされ、跡地あとち鎌倉かまくら市立しりつ御成おなり小学校しょうがっこう鎌倉かまくら市役所しやくしょ鎌倉かまくら中央ちゅうおう図書館としょかん冠木門かぶきもんのみ現存げんそん
静岡しずおか御用邸ごようてい
静岡しずおか御用邸ごようてい
静岡しずおかけん静岡しずおか北緯ほくい3458ふん30びょう 東経とうけい13822ふん58びょう / 北緯ほくい34.97500 東経とうけい138.38278 / 34.97500; 138.38278 (静岡しずおか御用邸ごようてい)
1900ねん明治めいじ33ねん設置せっち - 1930ねん昭和しょうわ5ねん廃止はいし
1945ねん昭和しょうわ20ねん静岡大しずおかだい空襲くうしゅう焼失しょうしつ跡地あとち静岡しずおか市役所しやくしょ
小田原おだわら御用邸ごようてい
小田原おだわら御用邸ごようてい
神奈川かながわけん小田原おだわら北緯ほくい3515ふん3びょう 東経とうけい1399ふん23びょう / 北緯ほくい35.25083 東経とうけい139.15639 / 35.25083; 139.15639 (小田原おだわら御用邸ごようてい)
1901ねん明治めいじ34ねん設置せっち - 1930ねん昭和しょうわ5ねん廃止はいし

昌子しょうじ内親王ないしんのうおよびしゅうみや房子ふさこ内親王ないしんのうようとして[2]1901ねん明治めいじ34ねん設置せっち。1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさい損壊そんかい解体かいたい小田原おだわらじょうまるもうけられる。常宮じょうぐう御座所ござしょ光明寺こうみょうじ書院しょいん客殿きゃくでんとして現存げんそん

塩原しおばら御用邸ごようてい
塩原しおばら御用邸ごようてい
栃木とちぎけん那須塩原なすしおばら北緯ほくい3657ふん47びょう 東経とうけい13950ふん31びょう / 北緯ほくい36.96306 東経とうけい139.84194 / 36.96306; 139.84194 (塩原しおばら御用邸ごようてい)
1904ねん明治めいじ37ねん設置せっち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん廃止はいし
よしみじん親王しんのうようとして[2]使つかわれた。解体かいたいして国立こくりつ光明こうみょうりょう国立こくりつ塩原しおばら視力しりょく障害しょうがいセンターとして2013ねん平成へいせい25ねん)まで存在そんざいし、冠木門かぶきもんのみのこる。1981ねん昭和しょうわ56ねん)に天皇てんのう御座所ござしょが「塩原しおばら温泉おんせん天皇てんのうあいだ記念きねん公園こうえん」へ移築いちくされ現存げんそん
常盤ひたちまつ御用邸ごようてい
東京とうきょう渋谷しぶや北緯ほくい3539ふん27びょう 東経とうけい13942ふん45びょう / 北緯ほくい35.65750 東経とうけい139.71250 / 35.65750; 139.71250 (常盤ひたちまつ御用邸ごようてい)
1945ねん昭和しょうわ20ねん設置せっち - 1964ねん昭和しょうわ39ねん廃止はいし
戦災せんさいのこった東伏見ひがしふしみみや周子かねこ邸宅ていたくを、1945ねん昭和しょうわ20ねん)から皇族こうぞく共用きょうよう殿どのていとして使用しよう1949ねん昭和しょうわ24ねん)から皇太子こうたいし明仁あきひと親王しんのう東宮とうぐうかり御所ごしょ1964ねん昭和しょうわ39ねん)から現在げんざいまで常陸宮ひたちのみややしき

計画けいかくたおれの御用邸ごようてい

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初声はつこえ御用邸ごようてい(はっせごようてい)
神奈川かながわけん三浦みうら初声はつせむら北緯ほくい3510ふん11.34びょう 東経とうけい13937ふん8.21びょう / 北緯ほくい35.1698167 東経とうけい139.6189472 / 35.1698167; 139.6189472 (初声はつこえ御用邸ごようてい)
1928ねん昭和しょうわ3ねん)に昭和しょうわ天皇てんのうヒドロちゅう研究けんきゅうため海辺うみべ御用邸ごようてい希望きぼうしたため、御用邸ごようてい建設けんせつする計画けいかくてられたが、1929ねん昭和しょうわ4ねん)に世界せかい恐慌きょうこう発生はっせいしたため、建設けんせつ延期えんきがされた。しかし1930ねん昭和しょうわ5ねん)に昭和しょうわ恐慌きょうこう発生はっせいし、計画けいかくえになった。光照寺こうしょうじ裏手うらて御用邸ごようてい建設けんせつ予定よていとされていて、三浦みうら市道しどう17号線ごうせん通称つうしょう御用邸ごようてい道路どうろ」とのこしている。[16]

出典しゅってん

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  1. ^ a b 明治めいじ16ねんどう21ねん上申じょうしんしょからみた明治天皇めいじてんのう皇子おうじおんな夭折ようせつ問題もんだい深瀬ふかせやすしだん日本にっぽん史学しがく雑誌ざっし だい61かんだい2ごう(2015)
  2. ^ a b c d e f g h 小沢おざわ 2008, p. 156.
  3. ^ a b 小沢おざわ 2008, p. 157.
  4. ^ a b 小沢おざわ 2008, p. 158.
  5. ^ 小沢おざわ 2008, p. 163.
  6. ^ a b 天皇てんのう一家いっか4ねんぶり 那須なすなつ静養せいよう【Q&Aでくわしく】2023ねん8がつ21にち 1939ふん NHK
  7. ^ 那須なす御用邸ごようてい早期そうきえを」老朽ろうきゅう地元じもと署名しょめい活動かつどう 産経新聞さんけいしんぶん 2019ねん4がつ19にち
  8. ^ a b c ようやく「那須なす御用邸ごようてい」にエアコン設置せっち! 「質素しっそ」な建物たてもの 湿気しっけいたみも心配しんぱい”. AERA (2024ねん7がつ27にち). 2024ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  9. ^ asahi.com(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ):御用邸ごようてい風呂ふろ被災ひさいしゃ提供ていきょう 眞子しんじさまらタオルぶくろめ - 社会しゃかい
  10. ^ 那須なす平成へいせいもり 開園かいえん経緯けいい
  11. ^ 澤村さわむら[2014:20-70]
  12. ^ 日本にっぽん国内こくないすぐれた日本にっぽん庭園ていえん選出せんしゅつするしおさいランキング由来ゆらいとなっている
  13. ^ 小沢おざわ 2008, p. 168.
  14. ^ 廃止はいし決定けっていしたいち離宮りきゅう御用邸ごようてい東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん昭和しょうわ5ねん8がつ24にち夕刊ゆうかん(『昭和しょうわニュース事典じてんだい2かん 昭和しょうわ4ねん-昭和しょうわ5ねん本編ほんぺんp113 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  15. ^ 小沢おざわ 2008, p. 156-157.
  16. ^ 産経新聞さんけいしんぶん (2016ねん10がつ24にち). “三浦みうらに「まぼろし御用邸ごようてい昭和しょうわ初期しょき計画けいかくみちのこ面影おもかげ”. 産経新聞さんけいしんぶん産経さんけいニュース. 2024ねん9がつ26にち閲覧えつらん

文献ぶんけん

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  • 澤村さわむら修治しゅうじ天皇てんのうのレゾート 御用邸ごようていをめぐる近代きんだい』2014ねん 図書としょ新聞しんぶん ISBN 978-4-88611-460-0
    • 上記じょうきほん御用邸ごようてい一般いっぱんかんしてもくわしい。
  • 小沢おざわ朝江あさえ明治めいじ皇室こうしつ建築けんちく吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2008ねん11月1にちISBN 978 4-642-05663-2 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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