天正てんしょう

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天正てんしょう年間ねんかんから転送てんそう

天正てんしょう(てんしょう)は、日本にっぽん元号げんごうひとつ。もとかめのちぶんろくまえ1573ねんから1592ねんまでの期間きかんす。この時代じだい天皇てんのう正親町おおぎまち天皇てんのうこう陽成ようぜい天皇てんのう征夷大将軍せいいたいしょうぐん足利あしかが義昭よしあき

改元かいげん[編集へんしゅう]

経緯けいい[編集へんしゅう]

足利あしかが義昭よしあき京都きょうとから追放ついほうした織田おだ信長のぶながが、公卿くぎょう朝廷ちょうていつうじて改元かいげんさせることに成功せいこうしたとわれ、『殿上てんじょう日記にっきもとかめ4ねん7がつ21にちじょう義昭よしあき追放ついほうの3にち改元かいげんの7にちまえ)にも、信長のぶながから改元かいげん奏請そうせいがあったことがしるされている。

ただし、朝廷ちょうていでは改元かいげんについての議論ぎろんすでにその1ねん以上いじょうまえからおこなわれており、『お殿上てんじょう日記にっきもとかめ3ねん3がつ29にちじょうには改元かいげん発議はつぎらせる使者ししゃ信長のぶなが義昭よしあきもと派遣はけんされていることがしるされている。

だが、「もとかめ改元かいげん奏請そうせいしたとされている足利あしかが義昭よしあきはこれに反発はんぱつして、改元かいげんにかかる経費けいひ拠出きょしゅつこばみ(『お殿上てんじょう日記にっきもとかめ3ねん4がつ20日はつかじょう)、もとかめ3ねん9がつ信長のぶなが義昭よしあき非難ひなんするために作成さくせいした『異見いけんじゅうななヶ条かじょう』でも批判ひはん対象たいしょうとされている。また、年号ねんごうかんぶんはすでにもとかめ3ねん11月11にちづけ作成さくせいされている。

なお、改元かいげん朝廷ちょうていでは信長のぶながかんぶんせ、その意向いこうおうじて元号げんごうを「天正てんしょう」とさだめており、信長のぶなが武家ぶけ政権せいけんちょうとして改元かいげん容喙ようかいした事実じじつ織田おだ政権せいけん開始かいし象徴しょうちょうする出来事できごとであった。反面はんめん改元かいげん実施じっし元号げんごう実質じっしつてき選考せんこう作業さぎょうえるかんぶん作成さくせい信長のぶなが関与かんよした事実じじつ確認かくにんできず、あくまでも朝廷ちょうてい意向いこう尊重そんちょうするという形式けいしきった改元かいげんであった[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

文選ぶんせん』の「きみ以下いかためもとみん以食ためてんただし其末しゃはし其本、ぜん其後しゃまき其先」と『老子ろうし』の「せいしずしゃためてんしたただし」から。すすむさるしゃもとかめおなじく高辻たかつじちょうみやびで、このとき候補こうほなかすで天正てんしょうふくまれていた。

西暦せいれき改暦かいれき[編集へんしゅう]

天正てんしょう10ねん(1582ねん)、ヨーロッパもちいられるこよみ西暦せいれき)は、カトリック教会きょうかい主導しゅどうしてユリウスれきからグレゴリオれきへの改暦かいれき実施じっしされた。近代きんだい以前いぜん日本にっぽんこよみにおける日付ひづけ西暦せいれき換算かんさんする場合ばあいにはこのこと念頭ねんとう必要ひつようせいがある。ただし、グレゴリオれき導入どうにゅうじょうきょうくにによってことなり、カトリック諸国しょこく(イタリア、スペイン、ポーランドなど)でははやく、プロテスタント諸国しょこく(ドイツ、オランダ、北欧ほくおうなど)や独自どくじ国教こっきょうくに(イギリス、ロシア、ギリシャなど)ではおくれた。

グレゴリオれき実施じっしもっとはやかった国々くにぐにでは、ユリウスれき1582ねん10月4にち木曜日もくようび)の翌日よくじつを、グレゴリオれき1582ねん10月15にち金曜日きんようび)とすることによって使用しよう開始かいしされている。

日付ひづけ対応たいおうひょう
れき
宣明のぶあきれき
西暦せいれき ユリウスどおり
ユリウスれき
旧暦きゅうれき
グレゴリオれき
新暦しんれき
天正てんしょう10ねん9月18にち 1582ねん10がつ4にち木曜日もくようび 2299160
天正てんしょう10ねん9月19にち 1582ねん10がつ5にち金曜日きんようび 1582ねん10がつ15にち金曜日きんようび 2299161
天正てんしょう10ねん9がつ20日はつか 1582ねん10がつ6にち土曜日どようび 1582ねん10がつ16にち土曜日どようび 2299162

なお、日本にっぽんこよみは、明治めいじ6ねん1がつ1にち1873ねん1がつ1にち)に太陽暦たいようれき(グレゴリオれき)を採用さいようするまで、西暦せいれき日付ひづけがずれる。また、西暦せいれきについても、ユリウスれきからグレゴリオれきへの移行いこうこくごとにことなっていることを念頭ねんとう必要ひつようがある[ちゅう 2]

日付ひづけ対応たいおうひょう
れき 西暦せいれき ユリウスどおり
天保てんぽうれき
旧暦きゅうれき
現行げんこうれき[ちゅう 3]
新暦しんれき
ユリウスれき
旧暦きゅうれき
グレゴリオれき
新暦しんれき
明治めいじ5ねん12月2にち 1872ねん12月19にち火曜日かようび 1872ねん12月31にち火曜日かようび 2405159
12月3にち 明治めいじ6ねん1がつ1にち水曜日すいようび 1872ねん12がつ20日はつか水曜日すいようび 1873ねん1がつ1にち水曜日すいようび 2405160
12月4にち 明治めいじ6ねん1がつ2にち木曜日もくようび 1872ねん12月21にち木曜日もくようび 1873ねん1がつ2にち木曜日もくようび 2405161

天正てんしょう年間ねんかん出来事できごと[編集へんしゅう]

誕生たんじょう[編集へんしゅう]

死去しきょ[編集へんしゅう]

西暦せいれきとの対照たいしょうひょう[編集へんしゅう]

※はしょうつきしめす。

天正てんしょう元年がんねんみずのととり いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1573/2/3 3/4 4/2 5/2 5/31 6/29 7/29 8/28 9/26 10/26 11/25 12/24
天正てんしょうねんきのえいぬ いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ うるうじゅうがつ
ユリウスれき 1574/1/23 2/22 3/23 4/21 5/21 6/19 7/18 8/17 9/15 10/15 11/14 12/14 1575/1/13
天正てんしょうさんねんおつ いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1575/2/11 3/13 4/11 5/10 6/9 7/8 8/6 9/5 10/4 11/3 12/3 1576/1/1
天正てんしょうよんねんへい いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1576/1/31 3/1 3/30 4/29 5/28 6/27 7/26 8/24 9/23 10/22 11/21 12/20
天正てんしょうねんちょううし いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ うるうなながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1577/1/19 2/18 3/20 4/18 5/18 6/16 7/16 8/14 9/12 10/12 11/10 12/10 1578/1/8
天正てんしょうろくねんつちのえとら いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1578/2/7 3/9 4/7 5/7 6/6 7/5 8/4 9/2 10/1 10/31 11/29 12/29
天正てんしょうななねんおのれ いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1579/1/27 2/26 3/27 4/26 5/26 6/24 7/24 8/22 9/21 10/20 11/19 12/18
天正てんしょうはちねんかのえたつ いちがつ がつ さんがつ うるうさんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1580/1/17 2/15 3/16 4/14 5/14 6/12 7/12 8/11 9/9 10/9 11/7 12/7 1581/1/5
天正てんしょうきゅうねんからし いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
ユリウスれき 1581/2/4 3/5 4/4 5/3 6/2 7/1 7/31 8/29 9/28 10/28 11/26 12/26
天正てんしょうじゅうねんみずのえうま いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1582/2/3 3/5 4/3 5/3 6/1 6/30 7/30 8/28 9/27 10/27 11/26 12/25
ユリウスれき 1582/1/24 2/23 3/24 4/23 5/22 6/20 7/20 8/18 9/17 10/17 11/16 12/15
天正てんしょうじゅういちねんみずのとひつじ いちがつ うるういちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1583/1/24 2/23 3/24 4/22 5/22 6/20 7/19 8/18 9/16 10/16 11/15 12/14 1584/1/13
ユリウスれき 1583/1/14 2/13 3/14 4/12 5/12 6/10 7/9 8/8 9/6 10/6 11/5 12/4 1584/1/3
天正てんしょうじゅうねんきのえさる いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1584/2/12 3/12 4/11 5/10 6/9 7/8 8/6 9/5 10/4 11/3 12/2 1585/1/1
ユリウスれき 1584/2/2 3/2 4/1 4/30 5/30 6/28 7/27 8/26 9/24 10/24 11/22 12/22
天正てんしょうじゅうさんねんおつとり いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ うるうはちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1585/1/31 3/2 3/31 4/30 5/29 6/28 7/27 8/25 9/24 10/23 11/22 12/21 1586/1/20
ユリウスれき 1585/1/21 2/20 3/21 4/20 5/19 6/18 7/17 8/15 9/14 10/13 11/12 12/11 1586/1/10
天正てんしょうじゅうよんねんへいいぬ いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1586/2/19 3/20 4/19 5/19 6/17 7/17 8/15 9/13 10/13 11/11 12/11 1587/1/9
ユリウスれき 1586/2/9 3/10 4/9 5/9 6/7 7/7 8/5 9/3 10/3 11/1 12/1 12/30
天正てんしょうじゅうねんちょう いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1587/2/8 3/9 4/8 5/8 6/6 7/6 8/4 9/3 10/2 11/1 11/30 12/30
ユリウスれき 1587/1/29 2/27 3/29 4/28 5/27 6/26 7/25 8/24 9/22 10/22 11/20 12/20
天正てんしょうじゅうろくねん戊子ぼし いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ うるうがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1588/1/28 2/27 3/27 4/26 5/25 6/24 7/24 8/22 9/21 10/20 11/19 12/18 1589/1/17
ユリウスれき 1588/1/18 2/17 3/17 4/16 5/15 6/14 7/14 8/12 9/11 10/10 11/9 12/8 1589/1/7
天正てんしょうじゅうななねんおのれうし いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1589/2/15 3/17 4/15 5/15 6/13 7/13 8/11 9/10 10/10 11/8 12/8 1590/1/6
ユリウスれき 1589/2/5 3/7 4/5 5/5 6/3 7/3 8/1 8/31 9/30 10/29 11/28 12/27
天正てんしょうじゅうはちねんかのえとら いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1590/2/5 3/6 4/5 5/4 6/2 7/2 7/31 8/30 9/29 10/29 11/27 12/27
ユリウスれき 1590/1/26 2/24 3/26 4/24 5/23 6/22 7/21 8/20 9/19 10/19 11/17 12/17
天正てんしょうじゅうきゅうねんからし いちがつ うるういちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1591/1/25 2/24 3/25 4/24 5/23 6/21 7/21 8/19 9/18 10/18 11/16 12/16 1592/1/15
ユリウスれき 1591/1/15 2/14 3/15 4/14 5/13 6/11 7/11 8/9 9/8 10/8 11/6 12/6 1592/1/5
天正てんしょうじゅうねんみずのえたつ いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
グレゴリオれき 1592/2/13 3/14 4/12 5/12 6/10 7/9 8/8 9/6 10/6 11/4 12/4 1593/1/3
ユリウスれき 1592/2/3 3/4 4/2 5/2 5/31 6/29 7/29 8/27 9/26 10/25 11/24 12/24

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 天正てんしょうからぶんろくへの改元かいげんおこなわれたのはグレゴリオれき1593ねん1がつ10日とおかであり、れき新年しんねんむかえないうちに西暦せいれきだけが新年しんねんむかえている期間きかんであった。ぶんろく元年がんねん西暦せいれき1593ねん1がつ10日とおかからどう2がつ1にちまでのみじか期間きかんであるため、れき西暦せいれき一対一いちたいいち対応たいおうさせようとする場合ばあい天正てんしょう20ねんぶんろく元年がんねん西暦せいれき1592ねんぶんろく2ねん西暦せいれき1593ねんとなって実際じっさいとはずれがしょうじる。ただしユリウスれきでは1592ねん12月31にちでずれはしょうじない。
  2. ^ たとえば、ヨーロッパでも、ロシアがグレゴリオれき実施じっししたのは1918ねん2がつ14にちおなじくギリシャは1923ねん3がつ1にちなど、日本にっぽんよりもおそい。
  3. ^ 日本にっぽん現行げんこうれきはグレゴリオれきそのものではなく、神武じんむ天皇てんのう即位そくい紀元きげん皇紀こうき)をもとにしたこよみである(閏年うるうどしせきスルけん明治めいじ31ねんみことのりれいだい90ごう))。もっとも、グレゴリオれき特長とくちょうである閏年うるうどし計算けいさんは、神武じんむ天皇てんのう即位そくい紀元きげんねんから660をげんじた年数ねんすう(グレゴリオれき年数ねんすうひとしい)をもとおこなう。そのため、日本にっぽん現行げんこうれきはグレゴリオれき大差たいさい。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 神田かんだ裕理ゆり戦国せんごくゆたか朝廷ちょうてい公家くげ社会しゃかい』(校倉あぜくら書房しょぼう、2011ねんISBN 978-4-7517-4300-3 だい一部いちぶだいいちしょうゆたか改元かいげん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]