この項目 こうもく では、1946年 ねん 以後 いご のイタリアについて説明 せつめい しています。19世紀 せいき に存在 そんざい した共和 きょうわ 国 こく など他 た のイタリア半島 はんとう の国家 こっか については「イタリア (曖昧 あいまい さ回避 かいひ ) 」をご覧 らん ください。
イタリア共和 きょうわ 国 こく
Repubblica Italiana
国 くに の標語 ひょうご :特 とく になし
国歌 こっか :Inno di Mameli (イタリア語 ご ) マメーリの賛歌 さんか
^ a b “UNdata ”. 国連 こくれん . 2024年 ねん 8月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e “World Economic Outlook , October 2021 ”. IMF (2021年 ねん 10月 がつ ). 2021年 ねん 10月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
イタリア共和 きょうわ 国 こく (イタリアきょうわこく、イタリア語 ご : Repubblica Italiana )、通称 つうしょう イタリア (伊 い : Italia )は、南 みなみ ヨーロッパ に位置 いち する共和 きょうわ 制 せい 国家 こっか 。首都 しゅと はローマ 。 北 きた はスイス とオーストリア 、西 にし はフランス 、 東 ひがし はスロベニア と国境 こっきょう を接 せっ している。南 みなみ は地中海 ちちゅうかい に囲 かこ まれており、アルバニア 、アルジェリア 、クロアチア 、ギリシャ 、リビア 、マルタ 、モンテネグロ 、スペイン 、チュニジア と海上 かいじょう 境界 きょうかい 線 せん (英語 えいご 版 ばん ) を共有 きょうゆう している。また、国土 こくど には独立 どくりつ 国 こく であるバチカン市 し 国 こく とサンマリノ共和 きょうわ 国 こく が存在 そんざい している。
イタリア上空 じょうくう からの衛星 えいせい 画像 がぞう 。
イタリアはヨーロッパ における古代 こだい 文化 ぶんか の発祥 はっしょう 地 ち の一 ひと つとして知 し られ、同時 どうじ に世界 せかい 的 てき な文化 ぶんか 大国 たいこく の一 いち 国 こく に数 かぞ えられている。文化 ぶんか ・学問 がくもん ・宗教 しゅうきょう で歴史 れきし 的 てき に影響 えいきょう 力 りょく を発揮 はっき しており、バチカン市 し 国 こく を首都 しゅと ローマの領域 りょういき 内 ない に事実 じじつ 上 じょう 保護 ほご し、レオナルド・ダ・ヴィンチ やガリレオ 、ミケランジェロ 、コロンブス 、マキャヴェリ といった偉人 いじん たちの故国 ここく でもある。かつてのロ ろ ーマ帝国 まていこく の中枢 ちゅうすう となる地域 ちいき であり、またルネサンス やリソルジメント などの幾 いく つかの世界 せかい 史 し 的 てき 事象 じしょう の主要 しゅよう な舞台 ぶたい となった。
また、高 たか い人間 にんげん 開発 かいはつ 指数 しすう を持 も つイタリアは文化 ぶんか ・経済 けいざい ともに先進 せんしん 国 こく であり[ 1] 、名目 めいもく GDP では世界 せかい 第 だい 8位 い かつそれを購買 こうばい 力 りょく 平価 へいか で補正 ほせい したもの は世界 せかい 第 だい 12位 い 、ユーロ圏 けん ではドイツとフランスに次 つ ぐ第 だい 3位 い の経済 けいざい 規模 きぼ を持 も つ経済 けいざい 大国 たいこく である[ 2] 。
国際 こくさい 連合 れんごう 、北大西洋 きたたいせいよう 条約 じょうやく 機構 きこう 、G7 、G20 、OECD 、欧州 おうしゅう 評議 ひょうぎ 会 かい 、地中海 ちちゅうかい 連合 れんごう 、パリクラブ の一員 いちいん であり、ヨーロッパにおける四 よん 大国 たいこく 「ビッグ4 」や、文化 ぶんか 的 てき ・経済 けいざい 的 てき ・政治 せいじ 的 てき に大 おお きな影響 えいきょう を及 およ ぼす列強 れっきょう の一角 いっかく に数 かぞ えられる[ 3] [ 4] 。また、コンセンサス連合 れんごう の参加 さんか 国 こく であると同時 どうじ に主導 しゅどう 国 こく である。軍事 ぐんじ 面 めん では、世界 せかい 第 だい 8位 い の軍事 ぐんじ 力 りょく を有 ゆう している[ 5] 。
総 そう 面積 めんせき は30万 まん 1338 km2 (平方 へいほう キロメートル )で、ロ・スティヴァレ(伊 い : lo Stivale =ブーツ )と称 しょう される地中海 ちちゅうかい に突 つ き出 で たイタリア半島 はんとう を中心 ちゅうしん に、地中海 ちちゅうかい に浮 う かぶシチリア島 とう とサルディーニャ島 とう を主要 しゅよう な領土 りょうど としており、いくつかの小島 こじま も領有 りょうゆう している。北部 ほくぶ にはアルプス山脈 あるぷすさんみゃく が、半島 はんとう に沿 そ ってアペニン山脈 さんみゃく が走 はし っており、平野 へいや はその間 あいだ にあるポー平原 へいげん などに限 かぎ られ、国土 こくど の40%が山岳 さんがく 地帯 ちたい である[ 6] 。気候 きこう は各地 かくち ともに温暖 おんだん で、北部 ほくぶ を除 のぞ き国土 こくど の大 だい 部分 ぶぶん は温帯 おんたい の地中海 ちちゅうかい 性 せい 気候 きこう に属 ぞく し、これは農業 のうぎょう と歴史 れきし に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えてきた[ 7] 。西 にし に港 みなと へ適 てき したリグリア海 うみ 、東 ひがし には大陸棚 たいりくだな が海 うみ の幸 こう を豊富 ほうふ にもたらすアドリア海 あどりあかい 、南東 なんとう 部 ぶ にはバルカン半島 ばるかんはんとう へと繋 つな がるイオニア海 かい があり、地理 ちり 的 てき に恵 めぐ まれている。南 みなみ にはティレニア海 うみ があり周辺 しゅうへん にはストロンボリ火山 かざん やヴェスヴィオ山 さん 、エトナ山 さん などの火山 かざん が集 あつ まっていて、世界 せかい 有数 ゆうすう の地震 じしん 地帯 ちたい である[ 6] 。
正式 せいしき 名称 めいしょう はイタリア語 ご で、Repubblica Italiana (レプッブリカ・イタリャーナ)。通称 つうしょう 、Italia ([iˈtaːlja] ( 音声 おんせい ファイル ) イターリャ)。
公式 こうしき の英語 えいご 表記 ひょうき は、Italian Republic (イタリャン・リパブリク)。通称 つうしょう 、Italy ([ˈɪtəli] ( 音声 おんせい ファイル ) イタリ)。
日本語 にほんご の表記 ひょうき は、イタリア共和 きょうわ 国 こく 。通称 つうしょう はイタリア であるが、イタリヤ と表記 ひょうき されることもある。古 ふる くはイタリー とも表記 ひょうき された(発音 はつおん は英語 えいご のItaly、フランス語 ふらんすご のItalieに近 ちか い)。また、漢字 かんじ による当 あ て字 じ で、伊太利 いたりあ 亜 あ 、伊太利 いたりあ 、以太利 り [ 8] などと表記 ひょうき することもあり、伊 い と略 りゃく されることもある。
国名 こくめい の由来 ゆらい には定説 ていせつ はない。一般 いっぱん 的 てき な説 せつ として、紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき ごろに南 みなみ イタリア のカラブリア地方 ちほう で子 こ ウシ(ビタリ)をトーテム像 ぞう として崇拝 すうはい していた原住民 げんじゅうみん に由来 ゆらい するといわれる。彼 かれ らはビタリ人 じん と呼 よ ばれていたが、その後 ご ビタリがイタリアに変化 へんか し、その呼称 こしょう がローマ人 じん に受 う け継 つ がれ、現在 げんざい のイタリア半島 はんとう に住 す む人々 ひとびと を指 さ すようになった。中世 ちゅうせい に「イタリア伯爵 はくしゃく 領 りょう 」「イタリア公爵 こうしゃく 領 りょう 」と呼 よ ばれるものが存在 そんざい したが、それは統一 とういつ 的 てき 国家 こっか をなすものではなかった。政治 せいじ 的 てき に統一 とういつ された国家 こっか として最初 さいしょ にイタリアの名 な が使用 しよう されたのは、ナポレオン支配 しはい 時代 じだい のイタリア共和 きょうわ 国 こく (1802年 ねん -1805年 ねん ) (1803年 ねん からイタリアの国名 こくめい を使用 しよう )であり、これが改編 かいへん されてイタリア王国 おうこく (1805年 ねん -1814年 ねん ) となった。1861年 ねん のサヴォイア家 か による統一 とういつ によって、ほぼ現在 げんざい の地理 ちり 的 てき 範囲 はんい をもつイタリア国 こく が成立 せいりつ した[ 9] 。
ギリシア 時代 じだい から都市 とし 国家 こっか が成立 せいりつ 。なお、伝説 でんせつ では紀元前 きげんぜん 753年 ねん にローマ建国 けんこく エトルリア人 じん も12の都市 とし 国家 こっか による都市 とし 連合 れんごう の王政 おうせい を築 きず いていた。伝承 でんしょう によれば、紀元前 きげんぜん 509年 ねん にローマ人 じん パトリキ (貴族 きぞく )がエトルリア 人 ひと の王 おう を追放 ついほう し共和 きょうわ 制 せい を開始 かいし した。サムニウム戦争 せんそう (紀元前 きげんぜん 343年 ねん - 紀元前 きげんぜん 290年 ねん )などにより紀元前 きげんぜん 272年 ねん にイタリア半島 はんとう を制圧 せいあつ 。フェニキア 人 ひと の植民 しょくみん 国家 こっか カルタゴ との戦争 せんそう (ポエニ戦争 せんそう )(紀元前 きげんぜん 264年 ねん - 紀元前 きげんぜん 146年 ねん )によりシチリア島 とう を獲得 かくとく 。地中海 ちちゅうかい の覇権 はけん を握 にぎ る。その後 ご もイタリアはロ ろ ーマ帝国 まていこく の中心 ちゅうしん 地域 ちいき として栄 さか えたが、286年 ねん にディオクレティアヌス が帝国 ていこく の統治 とうち 機構 きこう および皇帝 こうてい 位 い を東西 とうざい に分割 ぶんかつ すると[ 注釈 ちゅうしゃく 4] 、イタリアは西 にし の皇帝 こうてい 権 けん (西方 にしかた 正 ただし 帝 みかど )の管轄 かんかつ となった。5世紀 せいき 末 すえ に西方 にしかた 正 ただし 帝 みかど が廃止 はいし されるとローマ皇帝 こうてい ゼノン によってオドアケル がロ ろ ーマ帝国 まていこく のイタリア領主 りょうしゅ (dux Italiae)に任命 にんめい され、これが国号 こくごう としてのイタリアの走 はし りとなった。
紀元 きげん 117年 ねん の帝国 ていこく 最大 さいだい 版図 はんと (茶 ちゃ ・緑 みどり )
オドアケルが493年 ねん に東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく に滅 ほろ ぼされたあと、ローマ皇帝 こうてい アナスタシウス1世 せい によりテオドリック にイタリア王 おう 位 くらい が授 さづ けられて東 ひがし ゴート王国 おうこく が設立 せつりつ されたが、その東 ひがし ゴート王国 おうこく も東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく によって滅 ほろ ぼされ、553年 ねん にイタリアは80年 ねん ぶりのローマ皇帝 こうてい 領 りょう となった。しかし、帝国 ていこく にとってもはやイタリアは一 いち 属 ぞく 州 しゅう にすぎず、さらにランゴバルド人 じん の侵入 しんにゅう により、ローマのイタリアに対 たい する支配 しはい 力 りょく は大 おお きく低下 ていか した。なお、イタリアに常駐 じょうちゅう した最後 さいご のローマ皇帝 こうてい は7世紀 せいき のコンスタンス2世 せい である。彼 かれ は南 みなみ イタリアとアフリカ を中心 ちゅうしん に帝国 ていこく を再 さい 編成 へんせい しようと意図 いと したが、失敗 しっぱい に終 お わった。8世紀 せいき には、東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の勢力 せいりょく はイタリア半島 はんとう の南端 なんたん 部 ぶ にまで後退 こうたい した。その後 ご は南端 なんたん 部 ぶ の東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく 、シチリア島 とう のイスラム教徒 きょうと 、ローマを中心 ちゅうしん としたローマ教皇 きょうこう 領 りょう 、北部 ほくぶ には神聖 しんせい ローマ皇帝 こうてい といった勢力 せいりょく が割拠 かっきょ した。このほか多数 たすう の都市 とし 国家 こっか が発展 はってん 、11世紀 せいき になると東 ひがし ローマに代 か わりノルマン人 じん が侵入 しんにゅう した。これらの中 なか にはイタリアの統一 とういつ を試 こころ みる者 もの もいたが、ローマ教皇 きょうこう 庁 ちょう の思惑 おもわく もあって分裂 ぶんれつ 状態 じょうたい が続 つづ いた。
18世紀 せいき 末 すえ にイタリアに侵攻 しんこう したフランスのナポレオン・ボナパルト は全 ぜん イタリアを手中 しゅちゅう に納 おさ めたが、1815年 ねん にナポレオンが失脚 しっきゃく するとヴェネツィア とジェノヴァ の共和 きょうわ 国 こく を除 のぞ きほぼ元 もと の分裂 ぶんれつ 状態 じょうたい に戻 もど った。
ジュゼッペ・ガリバルディ
1861年 ねん 2月 がつ 、ジュゼッペ・ガリバルディ らの戦果 せんか を継承 けいしょう したサルデーニャ 王 おう ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 せい が統一 とういつ し、1861年 ねん 3月17日 にち にイタリア王国 おうこく を樹立 じゅりつ した。王 おう 名 めい が新生 しんせい イタリアで1世 せい に戻 もど らないのは、ガリバルディらがナショナリズムを掲 かか げたにもかかわらず、統一 とういつ イタリアはサルデーニャ王国 おうこく の版図 はんと そのものということにされたからである。1866年 ねん 8月 がつ 25日 にち 、不平等 ふびょうどう 条約 じょうやく である日 にち 伊 い 修好 しゅうこう 通商 つうしょう 条約 じょうやく を締結 ていけつ し日本 にっぽん と国交 こっこう を樹立 じゅりつ した[ 注釈 ちゅうしゃく 5] 。1873年 ねん には岩倉 いわくら 使節 しせつ 団 だん がイタリアのフィレンツェ 、ローマ、ヴェネツィアを歴訪 れきほう しており、当時 とうじ の様子 ようす が『米 べい 欧 おう 回覧 かいらん 実記 じっき 』に一部 いちぶ イラストつきで詳 くわ しく記 しる されている[ 10] 。
1922年 ねん 、ローマ進軍 しんぐん クーデターによりファシスト党 とう のベニート・ムッソリーニ が首相 しゅしょう となる。ムッソリーニは権力 けんりょく の集中 しゅうちゅう を進 すす め、ファシズム による独裁 どくさい 体制 たいせい を確立 かくりつ させた。1929年 ねん にはローマ教皇 きょうこう 庁 ちょう との間 あいだ にラテラノ条約 じょうやく を結 むす び、関係 かんけい を修復 しゅうふく する。ムッソリーニ首相 しゅしょう とヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 せい 国王 こくおう の指導 しどう のもと、政治 せいじ 経済 けいざい の回復 かいふく に成功 せいこう し各国 かっこく からの称賛 しょうさん を得 え たものの、1935年 ねん にはエチオピアを再度 さいど 植民 しょくみん 地 ち 化 か すべく第 だい 二 に 次 じ エチオピア戦争 せんそう によりエチオピアへ侵攻 しんこう するなど拡張 かくちょう 政策 せいさく をとる。さらに1937年 ねん には日本 にっぽん とドイツ とともに日 にち 独 どく 伊 い 防共 ぼうきょう 協定 きょうてい を結 むす び、1939年 ねん 9月に勃発 ぼっぱつ した第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん には1940年 ねん 6月 がつ に参戦 さんせん 。同年 どうねん 9月 がつ には日 にち 独 どく 伊 い 三 さん 国 こく 同盟 どうめい を締結 ていけつ 、1941年 ねん 12月にはドイツとともに対 たい 米 べい 宣戦 せんせん 布告 ふこく を行 おこな った。しかし1943年 ねん 7月 がつ 、敗色 はいしょく が濃 こ い中 なか ムッソリーニは失脚 しっきゃく し、イタリアは連合 れんごう 国 こく 側 がわ に鞍替 くらが え参戦 さんせん する。同時 どうじ に、救出 きゅうしゅつ されたムッソリーニを首班 しゅはん としたドイツの傀儡 かいらい 政権 せいけん であるイタリア社会 しゃかい 共和 きょうわ 国 こく が北 きた イタリアを支配 しはい する状況 じょうきょう になる。しかし、1945年 ねん 5月8日 にち にドイツが敗北 はいぼく したことにより同 どう 政権 せいけん は崩壊 ほうかい した。
王位 おうい 惜 お しさにムッソリーニの独裁 どくさい を後押 あとお しした形 かたち のサヴォイア王家 おうけ は国民 こくみん の信頼 しんらい を失 うしな いつつあった。伝統 でんとう 的 てき に王国 おうこく 時代 じだい が長 なが い南 みなみ イタリア では王室 おうしつ への強固 きょうこ な支持 しじ があったものの、都市 とし 国家 こっか の伝統 でんとう ある北部 ほくぶ は王家 おうけ を信任 しんにん せず、また王室 おうしつ の強 つよ い支持 しじ 基盤 きばん であったカトリック教会 きょうかい が国民 こくみん 投票 とうひょう で中立 ちゅうりつ を宣言 せんげん したこともあり、大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 後 ご の1946年 ねん 6月 がつ 2日 にち に行 おこな われた共和 きょうわ 制 せい への移行 いこう を問 と う国民 こくみん 投票 とうひょう では賛成 さんせい 54%の僅差 きんさ で王政 おうせい 廃止 はいし が決定 けってい された。ウンベルト2世 せい は廃位 はいい 、サヴォイア家 か による君主 くんしゅ 制 せい は廃止 はいし され、現在 げんざい のイタリア共和 きょうわ 国 こく が成立 せいりつ した。1948年 ねん に、初代 しょだい 大統領 だいとうりょう にエンリコ・デ・ニコラ が就任 しゅうにん 。その後 ご の冷戦 れいせん では、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 勢力 せいりょく の影響 えいきょう を受 う けながらも、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく や西 にし ドイツ などとともに西側 にしがわ 諸国 しょこく の1国 こく として東側 ひがしがわ 諸国 しょこく と対峙 たいじ した。主要 しゅよう 国 こく 首脳 しゅのう 会議 かいぎ の参加 さんか 国 こく であり、現在 げんざい も政治 せいじ や経済 けいざい だけでなく、文化 ぶんか 的 てき な側面 そくめん においても世界 せかい 的 てき に重要 じゅうよう な位置 いち を占 し める。
2022年 ねん イタリア総 そう 選挙 せんきょ では中道右派 ちゅうどううは 連合 れんごう が勝利 しょうり した[ 11] 。
2023年 ねん にイタリアは一帯 いったい 一路 いちろ から離脱 りだつ した[ 12] 。
大統領 だいとうりょう セルジョ・マッタレッラ
閣僚 かくりょう 評議 ひょうぎ 会 かい 議長 ぎちょう (首相 しゅしょう )ジョルジャ・メローニ
国家 こっか 元首 げんしゅ は共和 きょうわ 国 こく 大統領 だいとうりょう 。選出 せんしゅつ 方法 ほうほう は間接 かんせつ 選挙 せんきょ 制 せい で、就任 しゅうにん 条件 じょうけん は50歳 さい 以上 いじょう 、任期 にんき は7年 ねん で再選 さいせん 制限 せいげん はない。
通常 つうじょう は、内閣 ないかく や議会 ぎかい の決定 けってい に基 もと づく形式 けいしき 的 てき な権限 けんげん を行使 こうし するにすぎないが、首相 しゅしょう 任命 にんめい 権 けん や議会 ぎかい 解散 かいさん 権 けん などを通 つう じて実権 じっけん を発動 はつどう する可能 かのう 性 せい を秘 ひ めている。行政 ぎょうせい は首相 しゅしょう 率 ひき いる内閣 ないかく が統轄 とうかつ する。首相 しゅしょう は大統領 だいとうりょう が指名 しめい し、議会 ぎかい が承認 しょうにん する。各省 かくしょう の大臣 だいじん は首相 しゅしょう の指名 しめい に基 もと づき、大統領 だいとうりょう が任命 にんめい する。議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい を採用 さいよう しており、内閣 ないかく は議会 ぎかい の信任 しんにん を得 え なければならない。
「おはよう、今日 きょう の首相 しゅしょう は誰 だれ ?」というジョークが広 ひろ められるほど、首相 しゅしょう の交代 こうたい が頻繁 ひんぱん な国 くに として名高 なだか く、今 いま もその傾向 けいこう はおさまっていないが、1990年 ねん 1月 がつ - 2013年 ねん 4月 がつ の間 あいだ での首相 しゅしょう は9人 にん (延 の べ13人 にん )と、日本 にっぽん の15人 にん (延 の べ16人 にん )に抜 ぬ かれている。ちなみに、同 おな じ議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい の先進 せんしん 国 こく での同期 どうき 間 あいだ における就任 しゅうにん 人数 にんずう は、ドイツが3人 にん 、イギリス とカナダ が5人 にん である。
イタリア議会 ぎかい (Parlamento Italiano)
イタリア議会 ぎかい は元老 げんろう 院 いん (上院 じょういん )と代議 だいぎ 院 いん (下院 かいん )で構成 こうせい される両院 りょういん 制 せい (二院 にいん 制 せい )である。元老 げんろう 院 いん は、任期 にんき 5年 ねん の民選 みんせん 議員 ぎいん (200議席 ぎせき )、および終身 しゅうしん 議員 ぎいん とで構成 こうせい される。
終身 しゅうしん 議員 ぎいん には大統領 だいとうりょう 経験 けいけん 者 しゃ のほか、科学 かがく や芸術 げいじゅつ などの分野 ぶんや で国 くに の名誉 めいよ を高 たか めた功労 こうろう 者 しゃ の中 なか から、大統領 だいとうりょう が指名 しめい した者 もの が就任 しゅうにん する。一方 いっぽう 、代議 だいぎ 院 いん は全 すべ て民選 みんせん の全 ぜん 400議席 ぎせき で、任期 にんき 5年 ねん である。
また日本 にっぽん では衆議院 しゅうぎいん の優越 ゆうえつ が認 みと められているが、イタリアでは両院 りょういん の権能 けんのう は完全 かんぜん 対等 たいとう であり、双方 そうほう とも大統領 だいとうりょう によって解散 かいさん されうる。
2006年 ねん 6月 がつ 25 - 26日 にち 、憲法 けんぽう 改革 かいかく 案 あん を問 と う国民 こくみん 投票 とうひょう が行 おこな われ、開票 かいひょう の結果 けっか 60%を超 こ す反対 はんたい で否決 ひけつ された。改革 かいかく 案 あん は、退陣 たいじん したベルルスコーニ 右派 うは 連立 れんりつ 政権 せいけん が2005年 ねん 末 まつ 、野党 やとう ・中道 ちゅうどう 左派 さは 勢力 せいりょく の反対 はんたい を押 お し切 き って議会 ぎかい を通過 つうか させたものである。改革 かいかく 案 あん の中身 なかみ は、議会 ぎかい の解散 かいさん 権 けん を大統領 だいとうりょう から首相 しゅしょう に移 うつ し、保健 ほけん や教育 きょういく 、警察 けいさつ などの権限 けんげん を国 くに から州 しゅう (regione ) に委譲 いじょう するというものであった。開票 かいひょう 結果 けっか は、反対 はんたい が61.7%。そのうち、南部 なんぶ で74.8%、中部 ちゅうぶ で67.7%、北部 ほくぶ で52.6%の多数 たすう を占 し めた。投票 とうひょう 率 りつ は53.6%であった。
2010年 ねん 7月 がつ 15日 にち 、上院 じょういん は、ベルルスコーニ政権 せいけん が提出 ていしゅつ していた緊急 きんきゅう 財政 ざいせい 法案 ほうあん を賛成 さんせい 170、反対 はんたい 136、棄権 きけん 0で可決 かけつ した。政府 せいふ は、月内 げつない にも下院 かいん を通過 つうか させて法案 ほうあん の成立 せいりつ を目指 めざ す。しかし、最大 さいだい 野党 やとう の民主党 みんしゅとう は、16、17日 にち の両日 りょうじつ 、全国 ぜんこく 規模 きぼ の抗議 こうぎ 行動 こうどう を計画 けいかく している。本 ほん 法案 ほうあん は5月に提案 ていあん され、公務員 こうむいん 給与 きゅうよ 増 ぞう の凍結 とうけつ 、省庁 しょうちょう 予算 よさん の削減 さくげん 、地方自治体 ちほうじちたい への交付 こうふ 金 きん 削減 さくげん などの実行 じっこう によって、今後 こんご 2年間 ねんかん に財政 ざいせい 赤字 あかじ 比率 ひりつ を国内 こくない 総 そう 生産 せいさん (GDP)比 ひ 3%以内 いない に下 さ げると発表 はっぴょう している。
イタリアの刑事 けいじ 司法 しほう は市民 しみん 6人 にん と裁判官 さいばんかん 2人 にん が一緒 いっしょ に審理 しんり する参 さん 審 しん 裁判 さいばん と裁判官 さいばんかん だけによる裁判 さいばん がある。参 まいり 審 しん 裁判 さいばん は殺人 さつじん など重大 じゅうだい 事件 じけん が対象 たいしょう で、重罪 じゅうざい 院 いん で審理 しんり される。重罪 じゅうざい 院 いん の控訴 こうそ 審 しん は重罪 じゅうざい 控訴 こうそ 院 いん で、参 さん 審 しん 裁判 さいばん による。上告 じょうこく 審 しん は日本 にっぽん の最高裁 さいこうさい にあたる破棄 はき 院 いん が担当 たんとう するが、憲法 けんぽう 判断 はんだん が必要 ひつよう なケースは憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ に移送 いそう される。参 まいり 審 しん 員 いん はイタリア語 ご で「市民 しみん 裁判官 さいばんかん 」と呼 よ ばれ、35歳 さい 以上 いじょう 60歳 さい 以下 いか で一 いち 審 しん は中卒 ちゅうそつ 以上 いじょう 、控訴 こうそ 審 しん は高卒 こうそつ 以上 いじょう 。くじ引 び きで選 えら んだ市民 しみん に希望 きぼう 者 しゃ を加 くわ えた名簿 めいぼ から、3か月 げつ ごとに再 ふたた びくじ引 び きで選出 せんしゅつ し、その期間 きかん 中 ちゅう に起訴 きそ された事件 じけん を担当 たんとう する。
ISAF としてアフガニスタンに従軍 じゅうぐん する陸軍 りくぐん 部隊 ぶたい (アルピーニ 兵 へい )。イタリア陸軍 りくぐん は西部 せいぶ 地区 ちく の軍 ぐん 指揮 しき も委 ゆだ ねられている
イタリア海軍 かいぐん の軽 けい 空母 くうぼ 「カヴール 」
イタリア空軍 くうぐん のフレッチェ・トリコローリ
カラビニエリ
2007年 ねん 現在 げんざい 現役 げんえき 兵 へい 約 やく 11万 まん 人 にん 、予備 よび 役 やく 約 やく 3万 まん 3,500人 にん が所属 しょぞく 。
冷戦 れいせん 期 き においては、ソ連 それん の黒海 こっかい 艦隊 かんたい を仮想 かそう 敵対 てきたい 目標 もくひょう として地中海 ちちゅうかい 地域 ちいき での戦闘 せんとう 行為 こうい のため大 だい 規模 きぼ な海軍 かいぐん 戦力 せんりょく を擁 よう していた。今日 きょう でも海軍 かいぐん 重視 じゅうし の傾向 けいこう は変 か わらず、法 ほう 改正 かいせい によって保有 ほゆう が可能 かのう となった軽 けい 空母 くうぼ 「ジュゼッペ・ガリバルディ 」に次 つ いで軽 けい 空母 くうぼ 「カヴール 」が戦列 せんれつ に加 くわ わるなど、予算 よさん 削減 さくげん で新型 しんがた 戦車 せんしゃ の配備 はいび が滞 とどこお りがちな陸軍 りくぐん に比 くら べて一 いち 層 そう の強化 きょうか が進 すす められている。日本 にっぽん の海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい とは装備 そうび 面 めん でも共通 きょうつう 点 てん が多 おお く、海軍 かいぐん 国 こく としての役割 やくわり も類似 るいじ している。また、カヴールと入 い れ替 か わる形 かたち で旧式 きゅうしき 化 か しつつあったガリバルディは大 だい 規模 きぼ 改修 かいしゅう を受 う けてヘリコプター揚陸 ようりく 艦 かん としての運用 うんよう が開始 かいし されたほか、ガリバルディの後継 こうけい 艦 かん として3万 まん トン級 きゅう 強襲 きょうしゅう 揚陸 ようりく 艦 かん 「トリエステ 」が現在 げんざい 艤装 ぎそう 中 ちゅう である。
4万 まん 5,879名 めい の要員 よういん からなり、F-16 ・タイフーン など一線 いっせん 級 きゅう の空軍 くうぐん 機 き を保有 ほゆう している。航空機 こうくうき の国産 こくさん 化 か にも熱心 ねっしん で、アエリタリア (旧 きゅう フィアット社 しゃ 航空機 こうくうき 部門 ぶもん )が開発 かいはつ したG.91 軽 けい 戦闘 せんとう 機 き は戦後 せんご 復興 ふっこう からまもない時期 じき (1956年 ねん )でありながら高 たか い性能 せいのう を誇 ほこ り、同 おな じく国産 こくさん にこだわるイギリスやフランスは拒 こば んだものの、ドイツ空軍 くうぐん やポルトガル空軍 くうぐん への採用 さいよう が決定 けってい し、「ジーナ」の愛称 あいしょう で20年 ねん ほど前 まえ まで長 なが らく愛用 あいよう されていた。KC-767 などのように、世界 せかい でイタリアと日本 にっぽん のみが保有 ほゆう する機種 きしゅ もあり、組織 そしき 間 あいだ 交流 こうりゅう も盛 さか んである。
近年 きんねん はタイフーンに見 み られるような欧米 おうべい での共同 きょうどう 開発 かいはつ 機 き に意欲 いよく を見 み せ、空母 くうぼ を増産 ぞうさん した海軍 かいぐん の意向 いこう もあってか、オランダ とともにF-35 の開発 かいはつ 計画 けいかく でイギリスに次 つ ぐ協力 きょうりょく を示 しめ している。
正式 せいしき 名称 めいしょう はカラビニエリ (Carabinieri) で、国家 こっか 憲兵 けんぺい である。日本 にっぽん では、そのままカラビニエリと称 しょう するほか、「国家 こっか 憲兵 けんぺい 」「憲兵 けんぺい 隊 たい 」「国家 こっか 警察 けいさつ 」「国防省 こくぼうしょう 警察 けいさつ 」「軍 ぐん 警察 けいさつ 」などさまざまに訳 やく されている。
平時 へいじ は各種 かくしゅ の警察 けいさつ 活動 かつどう として、警備 けいび や事件 じけん ・事故 じこ 対応 たいおう 、マフィア や反 はん 政府 せいふ グループなどの犯罪 はんざい 組織 そしき の摘発 てきはつ などを担当 たんとう しており、戦時 せんじ には戦地 せんち での警察 けいさつ ・憲兵 けんぺい 活動 かつどう を行 おこな う。またテロ 対策 たいさく ・要人 ようじん 警護 けいご ・人質 ひとじち 救出 きゅうしゅつ などを担当 たんとう する独自 どくじ の特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい (国家 こっか 憲兵 けんぺい 隊 たい 特殊 とくしゅ 介入 かいにゅう 部隊 ぶたい )を保持 ほじ しており、同 どう 部隊 ぶたい はイラク戦争 せんそう など海外 かいがい 戦争 せんそう においても戦歴 せんれき を重 かさ ねている。
地形 ちけい 図 ず
最高峰 さいこうほう モンテ・ビアンコ(仏 ふつ 名 めい :モンブラン)
イタリアは地中海 ちちゅうかい に突 つ き出 だ した長靴 ながぐつ 型 がた イタリア半島 はんとう 、および周辺 しゅうへん の島 しま (サルデーニャ島 とう 、シチリア島 とう など。コルシカ島 とう はフランス領 りょう )から構成 こうせい されている。東 ひがし はアドリア海 あどりあかい 、西 にし でティレニア海 うみ とリグリア海 うみ 、南 みなみ でイオニア海 かい と地中海 ちちゅうかい に面 めん している。国境 こっきょう を接 せっ する国 くに としては、大陸 たいりく 部 ぶ では西側 にしがわ をフランス、北側 きたがわ をスイスとオーストリア、東側 ひがしがわ をスロヴェニア 。アドリア海 あどりあかい を挟 はさ んで、クロアチア 、アルバニア 、ギリシアなどとも地理 ちり 、歴史 れきし 的 てき に結 むす びつきが強 つよ い[ 14] 。キリスト教 きりすときょう ・カトリック教会 きょうかい の治 おさ めるバチカン市 し 国 こく があるが、これはイタリアの首都 しゅと ローマが周囲 しゅうい を囲 かこ んでいる。ほかにもアドリア海 あどりあかい 近 ちか くのサンマリノ共和 きょうわ 国 こく を包 つつ み込 こ むように接 せっ する。さらに、スイス領内 りょうない には飛 と び地 ち として面積 めんせき 1.7km2 ほどのカンピョーネ・ディターリア を持 も つ。
領土 りょうど 内 ない 北部 ほくぶ ではアルプス山脈 あるぷすさんみゃく が東西 とうざい に弧 こ を描 えが き、国境 こっきょう をなしている。国境 こっきょう にはマッターホルン や、モンテローザ 、モンブラン のような高峰 こうほう があり、イタリアの最高 さいこう 点 てん はフランスとの国境 こっきょう 線 せん 上 じょう のモンブラン頂上 ちょうじょう 付近 ふきん にある。アルプスは北西 ほくせい 部 ぶ で分岐 ぶんき し、イタリア半島 はんとう を縦断 じゅうだん するアペニン山脈 さんみゃく を形成 けいせい する。アペニン山脈 さんみゃく を境 さかい に、イタリア半島 はんとう の気候 きこう は、アドリア海 あどりあかい 側 がわ とティレニア海 うみ 側 がわ とでは非常 ひじょう に異 こと なっている。特 とく にアドリア海 あどりあかい 側 がわ は寒冷 かんれい であり、海岸 かいがん 部 ぶ ではときにボラ(冬 ふゆ の北東 ほくとう 季節風 きせつふう )の影響 えいきょう が及 およ んで冷 つめ たい潮風 しおかぜ が吹 ふ きつける。
火山 かざん 国 くに でもあり、特 とく に中部 ちゅうぶ (アブルッツォ州 しゅう 、ラツィオ州 しゅう )と南部 なんぶ ではしばしば地震 じしん が起 お こる。エトナ山 さん 、ヴェスヴィオ山 さん などが有名 ゆうめい である。エトナ山 さん はヨーロッパ最大 さいだい の活火山 かっかざん であり、頻繁 ひんぱん に噴火 ふんか している。時 とき には大 おお きな噴火 ふんか を起 お こすこともあるが、特別 とくべつ に危険 きけん な火山 かざん とはみなされておらず数 すう 千 せん 人 にん が斜面 しゃめん と麓 ふもと に居住 きょじゅう している。イタリアには多 おお くの川 かわ があるが、ポ ぽ ー川 がわ 、アディジェ川 がわ 、テヴェレ川 がわ が上位 じょうい 3位 い の長 なが さを持 も つ。テヴェレ川 がわ はアルノ川 かわ 源流 げんりゅう 近 ちか くに源 みなもと を発 はっ し、ローマ市内 しない を抜 ぬ けて流 なが れることで有名 ゆうめい である。
イタリアの州 しゅう
イタリアの地方 ちほう 行政 ぎょうせい 区分 くぶん の最上 さいじょう 単位 たんい は、20の州 しゅう (regione) である。各州 かくしゅう はさらに、110の県 けん (provincia) に分 わ かれる。各 かく 県 けん にはさらに、コムーネ (comune)(市町村 しちょうそん と似 に た行政 ぎょうせい 区分 くぶん )が存在 そんざい する。ローマにはさらに、ローマのムニチーピオ (イタリア語 ご 版 ばん ) が存在 そんざい する。
名称 めいしょう
人口 じんこう (人 ひと )
州都 しゅうと /主 おも 府 ふ /本部 ほんぶ
備考 びこう
ピエモンテ州 しゅう Piemonte
4,394,580
トリノ (トリノ県 けん )Torino
1
ヴァッレ・ダオスタ州 しゅう (特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう )Valle d'Aosta
126,732
アオスタ (州 しゅう と県 けん が同 おな じ)Aosta
2
リグーリア州 しゅう Liguria
1,565,566
ジェノヴァ (ジェノヴァ県 けん )Genova
3
ロンバルディア州 しゅう Lombardia
10,001,304
ミラノ (ミラノ県 けん )Milano
4
トレンティーノ=アルト・アディジェ州 しゅう (特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう )Trentino-Alto Adige
1,061,318
トレント (トレント自治 じち 県 けん )Trento
5
ヴェネト州 しゅう Veneto
4,907,284
ヴェネツィア (ヴェネツィア県 けん )Venezia
6
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 しゅう (特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう )Friuli-Venezia Giulia
1,218,068
トリエステ (トリエステ県 けん )Trieste
7
エミリア=ロマーニャ州 しゅう Emilia-Romagna
4,447,580
ボローニャ (ボローニャ県 けん )Bologna
8
トスカーナ州 しゅう Toscana
3,743,370
フィレンツェ (フィレンツェ県 けん )Firenze
9
ウンブリア州 しゅう Umbria
889,817
ペルージャ (ペルージャ県 けん )Perugia
10
マルケ州 しゅう Marche
1,539,316
アンコーナ (アンコーナ県 けん )Ancona
11
ラツィオ州 しゅう Lazio
5,893,935
ローマ (ローマ県 けん )Roma
12
アブルッツォ州 しゅう Abruzzo
1,322,585
ラクイラ (ラクイラ県 けん )L'Aquila
13
モリーゼ州 しゅう Molise
310,685
カンポバッソ (カンポバッソ県 けん )Campobasso
14
カンパニア州 しゅう Campania
5,840,219
ナポリ (ナポリ県 けん )Napoli
15
プッリャ州 しゅう Puglia
4,066,819
バーリ (バーリ県 けん )Bari
16
バジリカータ州 しゅう Basilicata
571,133
ポテンツァ (ポテンツァ県 けん )Potenza
17
カラブリア州 しゅう Calabria
1,966,819
カタンザーロ (カタンザーロ県 けん )Catanzaro
18
シチリア州 しゅう (特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう )Sicilia
5,055,838
パレルモ (パレルモ県 けん )Palermo
19
サルデーニャ州 しゅう (特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう )Sardegna
1,654,587
カリャリ (カリャリ県 けん )Cagliari
20
順位 じゅんい
都市 とし
行政 ぎょうせい 区分 くぶん
人口 じんこう (人 ひと )
都市 とし
行政 ぎょうせい 区分 くぶん
人口 じんこう (人 ひと )
1
ローマ (ローマ県 けん )
ラツィオ州 しゅう
2,895,206
11
ヴェネツィア (ヴェネツィア県 けん )
ヴェネト州 しゅう
258,600
2
ミラノ (ミラノ県 けん )
ロンバルディア州 しゅう
1,437,436
12
ヴェローナ (ヴェローナ県 けん )
ヴェネト州 しゅう
261,411
3
ナポリ (ナポリ県 けん )
カンパニア州 しゅう
962,736
13
メッシーナ (メッシーナ県 けん )
シチリア州 しゅう
226,263
4
トリノ (トリノ県 けん )
ピエモンテ州 しゅう
870,599
14
パドヴァ (パドヴァ県 けん )
ヴェネト州 しゅう
213,975
5
パレルモ (パレルモ県 けん )
シチリア州 しゅう
658,037
15
トリエステ (トリエステ県 けん )
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 しゅう
203,513
6
ジェノヴァ (ジェノヴァ県 けん )
リグーリア州 しゅう
571,107
16
ターラント (ターラント県 けん )
プッリャ州 しゅう
194,014
7
ボローニャ (ボローニャ県 けん )
エミリア=ロマーニャ州 しゅう
395,602
17
ブレシア (ブレシア県 けん )
ロンバルディア州 しゅう
202,074
8
フィレンツェ (フィレンツェ県 けん )
トスカーナ州 しゅう
375,612
18
プラート (プラート県 けん )
トスカーナ州 しゅう
197,352
9
バーリ (バーリ県 けん )
プッリャ州 しゅう
323,932
19
レッジョ・ディ・カラブリア (レッジョ・カラブリア県 けん )
カラブリア州 しゅう
178,249
10
カターニア (カターニア県 けん )
シチリア州 しゅう
315,937
20
モデナ (モデナ県 けん )
エミリア=ロマーニャ州 しゅう
188,801
2021年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ
イタリアは欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU)加盟 かめい 国 こく であり、その単一 たんいつ 市場 いちば の構成 こうせい 国 こく である
イタリア国内 こくない は気候 きこう 、土壌 どじょう 、高度 こうど が地域 ちいき 差 さ に富 と んでいるため、旧来 きゅうらい さまざまな農作物 のうさくもつ の栽培 さいばい が可能 かのう である。ポー平原 へいげん を中心 ちゅうしん に半島 はんとう 全体 ぜんたい で冬 ふゆ 小麦 こむぎ を産 さん する。半島 はんとう 南部 なんぶ 沿岸 えんがん で野菜 やさい と果物 くだもの が採 と れる。イタリアは世界 せかい 有数 ゆうすう のワイン 生産 せいさん 国 こく であり、オリーブ とオリーブ・オイル の生産 せいさん 量 りょう も多 おお い。酪農 らくのう も主要 しゅよう な産業 さんぎょう であり、ゴルゴンゾーラ 、パルミジャーノ・レッジャーノ をはじめ約 やく 50種類 しゅるい のチーズ が生産 せいさん される。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以降 いこう 、工業 こうぎょう が急速 きゅうそく に発展 はってん し、農業 のうぎょう 国 こく から転換 てんかん した。重要 じゅうよう な工業 こうぎょう に、繊維 せんい 工業 こうぎょう と、硫酸 りゅうさん 、アンモニア、水酸化 すいさんか ナトリウムの製造 せいぞう などの化学 かがく 工業 こうぎょう がある。そのほか自動車 じどうしゃ 、鉄鋼 てっこう 、ゴム、重 じゅう 機械 きかい 、航空機 こうくうき 、家電 かでん 製品 せいひん 、パスタ などの食料 しょくりょう 品 ひん の製造 せいぞう 業 ぎょう が盛 さか ん。工業 こうぎょう の中心 ちゅうしん 地 ち はジェノヴァ、ミラノ、ローマ、トリノである。
1958年 ねん から1963年 ねん にかけてイタリアはGDP年率 ねんりつ +6.3%のめざましい経済 けいざい 発展 はってん を遂 と げ、1959年 ねん 5月 がつ 25日 にち にイギリスの日刊 にっかん 紙 し がイタリアの経済 けいざい 復興 ふっこう のめざましさを指 さ して「奇跡 きせき の経済 けいざい 」と名付 なづ けた。1960年代 ねんだい 後半 こうはん から圧迫 あっぱく されてきた膨大 ぼうだい な財政 ざいせい 赤字 あかじ を立 た て直 なお した。しかしモンテディソンをめぐるスキャンダルをはじめとして、イタリアの政治 せいじ 経済 けいざい は混乱 こんらん していった。
1980年代 ねんだい 初頭 しょとう にはバブル経済 けいざい を経験 けいけん し、GDPでECの牽引 けんいん 役 やく を担 にな う存在 そんざい であり、巨大 きょだい な植民 しょくみん 地 ち 大国 たいこく だったイギリスを抜 ぬ き世界 せかい 第 だい 5位 い となったものの、1990年 ねん にはまた戻 もど っている。1990年 ねん 、イタリアの銀行 ぎんこう 制度 せいど は欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい に同調 どうちょう し大幅 おおはば に変更 へんこう され、公営 こうえい 銀行 ぎんこう の削減 さくげん 、外国 がいこく 資本 しほん に対 たい する規制 きせい 緩和 かんわ が行 おこな われた。以後 いご 政府 せいふ は輸出 ゆしゅつ を活性 かっせい 化 か させ、研究 けんきゅう 開発 かいはつ の促進 そくしん よりも為替 かわせ 相場 そうば をリラ安 やす に誘導 ゆうどう することを選択 せんたく した。EMU (経済 けいざい 通貨 つうか 統合 とうごう )への第 だい 1陣 じん 参加 さんか を実現 じつげん するため、1993年 ねん から政府 せいふ は大 だい 規模 きぼ な歳出 さいしゅつ 削減 さくげん 策 さく を継続 けいぞく して実施 じっし した。その結果 けっか 、財政 ざいせい 赤字 あかじ のGDP比 ひ は94年 ねん の9.5%から99年 ねん には1.9%にまで改善 かいぜん され、目標 もくひょう としていたEUの財政 ざいせい 基準 きじゅん (3.0%以内 いない )を達成 たっせい することができた。1990年代 ねんだい 半 なか ばには産業 さんぎょう 復興 ふっこう 公社 こうしゃ (IRI)が分解 ぶんかい され、多 おお くの企業 きぎょう が民営 みんえい 化 か した。1998年 ねん 12月31日 にち に1ユーロ=1,936.27リラという交換 こうかん レートが固定 こてい された。法定 ほうてい 通貨 つうか として長年 ながねん 「リラ 」が使 つか われてきたが、2002年 ねん 1月 がつ 1日 にち からEU の単一 たんいつ 通貨 つうか ユーロ (EURO、エウロ )の紙幣 しへい や硬貨 こうか が流通 りゅうつう し[ 15] 、リラは2月 がつ 末 まつ をもって法的 ほうてき 効力 こうりょく を失 うしな った。
2010年 ねん 欧州 おうしゅう ソブリン危機 きき により、EU 各国 かっこく は財政 ざいせい 赤字 あかじ を対 たい GDP比 ひ 3.0%以内 いない に抑 おさ える基準 きじゅん の達成 たっせい を迫 せま られた。2014年 ねん 5月 がつ 、イタリアは財政 ざいせい 赤字 あかじ のGDP比率 ひりつ を低下 ていか させる裏 うら 技 わざ として、麻薬 まやく 取引 とりひき や売春 ばいしゅん 、密輸 みつゆ などの地下 ちか 経済 けいざい に着目 ちゃくもく し、これらを2015年 ねん からGDP統計 とうけい に加算 かさん すると発表 はっぴょう した。2011年 ねん のイタリア銀行 ぎんこう による推計 すいけい では、イタリアの地下 ちか 経済 けいざい の規模 きぼ はGDPの10.9%を占 し める規模 きぼ とされている[ 16] 。
IMF によると、2018年 ねん のイタリアのGDP は2兆 ちょう 722億 おく ドルである[ 17] 。世界 せかい 8位 い であり、EU 加盟 かめい 国 こく ではドイツ 、フランス に次 つ ぐ3位 い である。また、同年 どうねん の1人 ひとり あたりのGDPは3万 まん 2,747ドルである。
イタリアの森林 しんりん 業 ぎょう 資源 しげん は乏 とぼ しく、FAO の2017年 ねん の統計 とうけい によれば、森林 しんりん 率 りつ は31.97%であり[ 18] 、木材 もくざい の多 おお くを輸入 ゆにゅう に頼 たよ っている。森林 しんりん はまず古代 こだい ローマ人 じん によって、その後 ご 19世紀 せいき に大 だい 部分 ぶぶん が伐採 ばっさい されてしまった。それぞれの目的 もくてき はマラリア 防止 ぼうし と近代 きんだい 化 か であった。その結果 けっか 土壌 どじょう の浸食 しんしょく が進 すす み、林業 りんぎょう の発展 はってん の障害 しょうがい となってはいたが、近年 きんねん は状況 じょうきょう の好転 こうてん がみられる。
1970 - 1980年代 ねんだい にヨーロッパ共同 きょうどう 体 たい (現 げん ・EU)加盟 かめい 国 こく との貿易 ぼうえき が増加 ぞうか したが、イタリアは石炭 せきたん や石油 せきゆ などの原材料 げんざいりょう を輸入 ゆにゅう に依存 いぞん しているため、貿易 ぼうえき 赤字 あかじ が続 つづ いていた。しかし90年代 ねんだい 初頭 しょとう 、リラ切 き り下 さ げで、外国 がいこく 市場 いちば にとってイタリア製品 せいひん の価格 かかく が低下 ていか したため、輸出 ゆしゅつ が増加 ぞうか した。貿易 ぼうえき 相手 あいて 国 こく の5分 ぶん の3近 ちか くはEU加盟 かめい 国 こく で、おもな輸出 ゆしゅつ 相手 あいて 国 こく はドイツ、フランス、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、イギリス、スペイン、輸入 ゆにゅう 相手 あいて 国 こく はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、スペインなどである。イタリアはヨーロッパの輸出 ゆしゅつ 大国 たいこく の中 なか で、ドイツに伍 ご して輸出 ゆしゅつ が成長 せいちょう している唯一 ゆいいつ の国 くに である。2008年 ねん より過去 かこ 7年間 ねんかん 、ドイツは7.8%、イタリアは7.6%の割合 わりあい で輸出 ゆしゅつ が成長 せいちょう している。輸出 ゆしゅつ 先 さき で成長 せいちょう が著 いちじる しいのは、南 なん アメリカ(+79.3%)、トルコ(+35%)、OPEC諸国 しょこく 、ロシア、中国 ちゅうごく である。
イタリアはエネルギー資源 しげん の輸入 ゆにゅう 国 こく であり、ガス、石炭 せきたん 、石油 せきゆ の大 だい 部分 ぶぶん を外国 がいこく に依存 いぞん している。イタリアの発電 はつでん 量 りょう の82%は、石油 せきゆ 、天然 てんねん ガス、石炭 せきたん 、亜炭 あたん を用 もち いた火力 かりょく 発電 はつでん が生 う み出 だ しており、13%が水力 すいりょく 発電 はつでん によるものである。イタリアは1950年代 ねんだい 後半 こうはん から原子力 げんしりょく 発電 はつでん の研究 けんきゅう 開発 かいはつ を開始 かいし し、当時 とうじ の世界 せかい 原子力 げんしりょく 技術 ぎじゅつ で最先端 さいせんたん であり、1965年 ねん 時点 じてん には3カ所 かしょ の原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ が稼動 かどう していた。しかしながら1986年 ねん のチェルノブイリ原発 げんぱつ 事故 じこ などがきっかけとなり、1987年 ねん の国民 こくみん 投票 とうひょう で原発 げんぱつ の全面 ぜんめん 停止 ていし を決定 けってい し、運転 うんてん を停止 ていし する。1990年 ねん には停止 ていし 中 ちゅう の原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ の運転 うんてん を再開 さいかい しないことが決 き まった。
石油 せきゆ ・ガス会社 かいしゃ のEni (Eni S.p.A.) はイタリアでもっとも売 う り上 あ げと利益 りえき の多 おお い企業 きぎょう であり、スーパーメジャー の一角 いっかく を占 し めている。もとは公営 こうえい 電力 でんりょく 会社 かいしゃ であったENEL はヨーロッパにおける大手 おおて 電力 でんりょく 会社 かいしゃ で、地熱 じねつ 発電 はつでん 技術 ぎじゅつ では100年 ねん の経験 けいけん 蓄積 ちくせき がある。
1万 まん リラ紙幣 しへい
戦前 せんぜん からミラノとローマがイタリア金融 きんゆう の中心 ちゅうしん である。主要 しゅよう 銀行 ぎんこう としてはEU圏 けん 1位 い の資本 しほん を持 も つウニクレディト などがある。
イタリア経済 けいざい が依然 いぜん として抱 かか える課題 かだい は、南部 なんぶ の工業 こうぎょう 化 か の遅 おく れである。ミラノ やトリノ などの北部 ほくぶ は工業 こうぎょう 化 か が進 すす んでいるが、南部 なんぶ やサルデーニャ などの島嶼 とうしょ 部 ぶ は農業 のうぎょう や観光 かんこう 業 ぎょう や軽工業 けいこうぎょう 中心 ちゅうしん で南北 なんぼく 格差 かくさ が大 おお きい。中心 ちゅうしん 工業 こうぎょう 地帯 ちたい はジェノヴァ などで、工業 こうぎょう 化 か が遅 おく れている南部 なんぶ のターラントには半官半民 はんかんはんみん の製鉄 せいてつ 所 しょ があり、第 だい 三 さん のイタリア が新 あら たな経済 けいざい の牽引 けんいん 役 やく となっている。政府 せいふ による工業 こうぎょう 化 か 育成 いくせい の努力 どりょく も、労働 ろうどう 力 りょく の問題 もんだい や、多 おお くの産業 さんぎょう がマフィアとの結 むす びつきによって成 な り立 た っているため大 だい 企業 きぎょう の南部 なんぶ 進出 しんしゅつ が阻 はば まれるといった複雑 ふくざつ な現実 げんじつ に直面 ちょくめん している。多 おお くの労働 ろうどう 者 しゃ が職 しょく を求 もと めて南部 なんぶ から北部 ほくぶ へ移住 いじゅう しており(国内 こくない 移民 いみん )、南部 なんぶ で耕作 こうさく が放棄 ほうき されるなどして一時期 いちじき は大 おお きな社会 しゃかい 問題 もんだい となった。
国内 こくない 移民 いみん はルーマニアやポーランドなど、ほかのEU諸国 しょこく からの移民 いみん や中東 ちゅうとう 系 けい の外国 がいこく 人 じん 移民 いみん が増加 ぞうか した現在 げんざい では言及 げんきゅう されることが少 すく なくなった。しかし依然 いぜん として北部 ほくぶ ・中部 ちゅうぶ に比 くら べて産業 さんぎょう が乏 とぼ しい南部 なんぶ ・島嶼 とうしょ 部 ぶ という経済 けいざい 格差 かくさ がある。北部 ほくぶ の7州 しゅう 2自治 じち 州 しゅう (ピエモンテ州 しゅう 、リグーリア州 しゅう 、ロンバルディア州 しゅう 、ヴェネト州 しゅう 、エミリア=ロマーニャ州 しゅう 、ヴァッレ・ダオスタ自治 じち 州 しゅう 、トレンティーノ=アルト・アディジェ自治 じち 州 しゅう 、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治 じち 州 しゅう )、中部 ちゅうぶ 4州 しゅう (トスカーナ州 しゅう 、ウンブリア州 しゅう 、マルケ州 しゅう 、ラツィオ州 しゅう )はフランスのパリ周辺 しゅうへん やドイツ西部 せいぶ の工業 こうぎょう 地帯 ちたい に匹敵 ひってき する経済 けいざい 力 りょく を有 ゆう している。
対 たい する南部 なんぶ 5州 しゅう (アブルッツォ州 しゅう 、カンパニア州 しゅう 、バジリカータ州 しゅう 、プーリア州 しゅう 、カラブリア州 しゅう )は、戦後 せんご 復興 ふっこう で著 いちじる しい経済 けいざい 成長 せいちょう を遂 と げたアブルッツォ州 しゅう を除 のぞ いてポルトガルやギリシャなど欧州 おうしゅう 後進 こうしん 地域 ちいき と同 どう 程度 ていど の経済 けいざい 水準 すいじゅん から抜 ぬ け出 だ せていない。島嶼 とうしょ 部 ぶ 2自治 じち 州 しゅう (サルデーニャ自治 じち 州 しゅう 、シチリア自治 じち 州 しゅう )では資源 しげん 豊 ゆた かな島 しま という似 に た歴史 れきし を持 も ちながら明暗 めいあん がはっきり分 わ かれており、情報 じょうほう 産業 さんぎょう が発展 はってん したサルデーニャ島 とう に対 たい してシチリア島 とう は農業 のうぎょう 中心 ちゅうしん で犯罪 はんざい 組織 そしき による経済 けいざい への悪影響 あくえいきょう もいまだ根強 ねづよ い。
フィアット・500
イタリアの経済 けいざい に占 し める自動車 じどうしゃ 産業 さんぎょう の割合 わりあい は、国内 こくない 総 そう 生産 せいさん の8.5%にものぼる。国内 こくない ではコンパクトカー、エコノミーカーが上位 じょうい を占 し め、エコロジカル な自動車 じどうしゃ の売 う れ行 ゆ きが伸 の びている。輸出 ゆしゅつ 車 しゃ の売上 うりあげ 高 だか は800億 おく ユーロ(約 やく 10兆 ちょう 4,000億 おく 円 えん )規模 きぼ である。南北 なんぼく 格差 かくさ が要因 よういん となり輸出 ゆしゅつ が伸 の び悩 なや んでいる。フィアット がドイツのクライスラー やアメリカのゼネラルモーターズ と提携 ていけい している。北部 ほくぶ の都市 とし モデナにはフェラーリ やランボルギーニ 、アルファロメオ がある。なお、フィアット・パンダ は欧州 おうしゅう における新車 しんしゃ 登録 とうろく 台数 だいすう 3万 まん 3,593台 だい (2009年 ねん 3月 がつ )でEUトップとなっている。2位 い はフォルクスワーゲン・ポロ 。
ジョルジオ・アルマーニ
19世紀 せいき ごろから近代 きんだい 服飾 ふくしょく ・装飾 そうしょく 産業 さんぎょう が発展 はってん し、20世紀 せいき から現在 げんざい にかけては、服飾 ふくしょく ブランド のベネトン やプラダ 、グッチ 、ジョルジオ・アルマーニ やジャンニ・ヴェルサーチ 、ジャンフランコ・フェレ 、バレンチノ 、靴 くつ のサルヴァトーレ・フェラガモ やトッズ 、宝飾 ほうしょく 品 ひん のブルガリ などが世界 せかい 各国 かっこく に輸出 ゆしゅつ されている。
イタリアは幼稚園 ようちえん の先端 せんたん 的 てき 教育 きょういく 方法 ほうほう でアトリエリスタと呼 よ ばれる芸術 げいじゅつ 的 てき 、工芸 こうげい 的 てき 活動 かつどう の専門 せんもん 家 か を配置 はいち し、人間 にんげん を育成 いくせい している。ヴァイオリン などの楽器 がっき 、ガラス細工 ざいく や工芸 こうげい 美術 びじゅつ 品 ひん もおもな産業 さんぎょう となっている。
ほかにも伝統 でんとう 的 てき に映画 えいが 産業 さんぎょう や観光 かんこう 産業 さんぎょう が盛 さか んである。イタリア映画 えいが のみならず、イタリアを舞台 ぶたい にした映画 えいが が世界中 せかいじゅう で作 つく られ公開 こうかい されており、それらの映画 えいが が観光 かんこう 産業 さんぎょう を後押 あとお ししていると評価 ひょうか されている。
世界 せかい 観光 かんこう 機関 きかん によると、2015年 ねん イタリアの国際 こくさい 観光 かんこう 客 きゃく 到着 とうちゃく 数 すう は5位 い であり、世界 せかい 経済 けいざい フォーラム の2017年 ねん 旅行 りょこう ・観光 かんこう 競争 きょうそう 力 りょく レポート によるとイタリアの競争 きょうそう 力 りょく は136か国 こく 中 ちゅう 8位 い である。
アッピア街道 かいどう
アウトストラーダ (イタリアの高速 こうそく 道路 どうろ )の図 ず
古 ふる くから地中 ちちゅう 海域 かいいき の交通 こうつう の要衝 ようしょう として栄 さか えた。古代 こだい ローマ のころには歴代 れきだい 執政 しっせい 官 かん によって街道 かいどう が整備 せいび され、それはアッピア街道 かいどう のように史跡 しせき として残 のこ っているのみならず「執政 しっせい 官 かん 街道 かいどう 」と呼 よ ばれ、現在 げんざい も使用 しよう されている。ロ ろ ーマ帝国 まていこく 時代 じだい のローマは、「すべての道 みち はローマに通 つう ず」とさえ呼 よ ばれた。新 しん 世界 せかい 発見 はっけん 後 ご は帝国 ていこく 郵便 ゆうびん が整備 せいび された。
ムッソリーニ時代 じだい よりアウトストラーダ (Autostrada) と呼 よ ばれる有料 ゆうりょう 高速 こうそく 道路 どうろ 網 あみ が整備 せいび されはじめた。さらに、フィアット社 しゃ のバックアップもあり高速 こうそく 道路 どうろ 網 もう が全土 ぜんど に敷 し き詰 つ められている。ただし車 くるま が便利 べんり と言 い い切 き れない。在 ざい ミラノ日本国 にっぽんこく 総領事館 そうりょうじかん は、「イタリアにおける運転 うんてん 手 しゅ のマナーはほかの国 くに と変 か わらず自己 じこ 中心 ちゅうしん 的 てき で交通 こうつう ルールはあってないようなもの、交通 こうつう 事故 じこ の危険 きけん 性 せい も日本 にっぽん に比較 ひかく してはるかに高 たか い」と説明 せつめい している[ 19] 。
フレッチャロッサ ETR500型 がた
フェッロヴィーエ・デッロ・スタート のグループ会社 かいしゃ であるトレニタリア と呼 よ ばれる旧 きゅう 国鉄 こくてつ (Ferrovie dello Stato) の業務 ぎょうむ を引 ひ き継 つ ぐ民営 みんえい 鉄道 てつどう 会社 かいしゃ が全土 ぜんど を網羅 もうら し、ローマ-フィレンツェ間 あいだ の高速 こうそく 新 しん 線 せん (ディレティッシマ)を中心 ちゅうしん にフレッチャロッサ やフレッチャルジェント 、フレッチャビアンカ 呼 よ ばれる高速 こうそく 列車 れっしゃ も多数 たすう 運転 うんてん されている。旧 きゅう 国鉄 こくてつ 以外 いがい ではヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ (NTV Italo)、チルクムヴェスヴィアーナ鉄道 てつどう やスッド・エスト鉄道 てつどう などがある。
また、ローマ、ミラノ、ナポリなどの主要 しゅよう 都市 とし には地下鉄 ちかてつ が整備 せいび されている。一部 いちぶ の都市 とし では路面 ろめん 電車 でんしゃ やケーブルカー が走 はし っており、市民 しみん の足 あし となっている。
ロ ろ ーマ帝国 まていこく 時代 じだい 前 まえ から地中海 ちちゅうかい 海域 かいいき の海運 かいうん の要所 ようしょ として重要 じゅうよう な地 ち であったこともあり、海運 かいうん が古 ふる くから盛 さか んである。現在 げんざい も地中海 ちちゅうかい クルーズの拠点 きょてん とされることも多 おお く、有名 ゆうめい な港 みなと としてはナポリやヴェネツィア、ジェノヴァ、ブリンディジなどがある。
ITAエアウェイズ のA350-900型 がた 機 き
政府 せいふ が主要 しゅよう 株主 かぶぬし のITAエアウェイズ が、イタリアのフラッグキャリア として国内線 こくないせん と域内 いきない および中 ちゅう 長距離 ちょうきょり 国際線 こくさいせん を運航 うんこう するほか、イタリアを本拠地 ほんきょち として運航 うんこう を行 おこな う航空 こうくう 会社 かいしゃ として、メリディアーナ航空 こうくう や、エア・ドロミティ などの航空 こうくう 会社 かいしゃ があり、それぞれが国内線 こくないせん や域内 いきない 国際線 こくさいせん を運航 うんこう している。
現在 げんざい 、日本 にっぽん との間 あいだ にはアリタリア航空 こうくう が東京 とうきょう 国際 こくさい 空港 くうこう とローマ の間 あいだ に直行 ちょっこう 便 びん を運航 うんこう させている。
また、パリ やアムステルダム 、チューリッヒ などのヨーロッパの主要 しゅよう 都市 とし や、バンコク や香港 ほんこん 、ドバイ などのアジアの主要 しゅよう 都市 とし 経由 けいゆ で行 い くこともできる。
イタリアにおける科学 かがく と技術 ぎじゅつ の歴史 れきし は古 ふる く、その起源 きげん と発祥 はっしょう は古代 こだい ローマ時代 じだい にまで遡 さかのぼ ることが出来 でき る。イタリアは何 なに 世紀 せいき にも亘 わた って、生物 せいぶつ 学 がく や物理 ぶつり 学 がく 、化学 かがく や数学 すうがく 、天文学 てんもんがく ならびにその他 た の科学 かがく 技術 ぎじゅつ において多 おお くの重要 じゅうよう な発明 はつめい と発見 はっけん を生 う み出 だ しており、科学 かがく 界 かい を自国 じこく のみならず国際 こくさい 的 てき に発展 はってん させて来 き ている。
少子 しょうし 高齢 こうれい 化 か が進 すす み、1人 ひとり の高齢 こうれい 者 しゃ を2.9人 にん で支 ささ える高齢 こうれい 社会 しゃかい に突入 とつにゅう しており(2012年 ねん )、OECD各国 かっこく では日本 にっぽん 、ドイツ の次 つぎ に少子 しょうし 高齢 こうれい 化 か が進行 しんこう している。
民族 みんぞく 構成 こうせい (イタリア)
その他 た (7%)
イタリアの人口 じんこう ピラミッド
古代 こだい ローマ人 じん を祖先 そせん とするイタリア民族 みんぞく が国民 こくみん の主流 しゅりゅう を占 し める。国家 こっか 公用 こうよう 語 ご のイタリア語 ご がロマンス諸語 しょご に属 ぞく することや、ローマ人 じん がラテン人 じん を中心 ちゅうしん とした勢力 せいりょく であったことから一般 いっぱん 的 てき にラテン系 けい と考 かんが えられることが多 おお い。しかし、ほかの欧州 おうしゅう 諸国 しょこく と同 おな じく単純 たんじゅん 化 か できるものではなく、ラテン人 じん 以外 いがい のイタリック人 じん 、エトルリア人 じん 、フェニキア人 じん 、古代 こだい ギリシャ人 じん 、ケルト系 けい 、ゲルマン系 けい など多様 たよう な祖先 そせん が民族 みんぞく の形成 けいせい に影響 えいきょう を与 あた えている。また近世 きんせい ・近代 きんだい におけるフランス系 けい 、オーストリア系 けい 、スペイン系 けい との関 かか わりもある。
イタリア統一 とういつ 後 ご 、標準 ひょうじゅん 語 ご の制定 せいてい 、方言 ほうげん や地方 ちほう 言語 げんご の廃止 はいし 、徴兵 ちょうへい 制 せい や初等 しょとう 教育 きょういく の普及 ふきゅう によって国民 こくみん の均一 きんいつ 化 か を進 すす め、段階 だんかい 的 てき に民族 みんぞく 意識 いしき の浸透 しんとう が進 すす んだ。イタリア民族 みんぞく 主義 しゅぎ (英語 えいご 版 ばん ) の高 たか まりは未 み 回収 かいしゅう のイタリア を求 もと める戦争 せんそう を生 う み、民族 みんぞく の完全 かんぜん 統合 とうごう を目指 めざ す民族 みんぞく 統一 とういつ 主義 しゅぎ (イレデンティズム)の語源 ごげん ともなった。イタリアにおけるナショナリズムがもっとも大 おお きく高 たか まったのは第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん であり、国粋 こくすい 主義 しゅぎ や民族 みんぞく 運動 うんどう が高揚 こうよう した。こうした流 なが れは最終 さいしゅう 的 てき に20年 ねん 以上 いじょう にわたって続 つづ くファシズム 政権 せいけん を生 う み出 だ し、全体 ぜんたい 主義 しゅぎ 体制 たいせい によってイタリア化 か (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ばれる民族 みんぞく 浄化 じょうか 政策 せいさく が推進 すいしん された。
イタリア国内 こくない における少数 しょうすう 民族 みんぞく としては南 みなみ チロル のチロル人 じん などが挙 あ げられる。かつてイストリア半島 はんとう などではスラブ系 けい の住民 じゅうみん も存在 そんざい したが、上記 じょうき の通 とお りファシズム体制 たいせい 下 か で徹底 てってい した弾圧 だんあつ を受 う けた。ファシズム政権 せいけん 後 ご の現代 げんだい では一定 いってい の自治 じち 権 けん を認 みと められつつあるが、統一 とういつ 以来 いらい の集権 しゅうけん 政策 せいさく も継続 けいぞく されている。近年 きんねん は地中海 ちちゅうかい やアドリア海 あどりあかい に面 めん しているという要素 ようそ から移民 いみん や難民 なんみん の流入 りゅうにゅう が続 つづ き、失業 しつぎょう や貧困 ひんこん 、治安 ちあん 問題 もんだい 、生活 せいかつ 習慣 しゅうかん や宗教 しゅうきょう 上 じょう の軋轢 あつれき など大 おお きな社会 しゃかい 問題 もんだい を引 ひ き起 お こしている。
移民 いみん 大国 たいこく のフランスやドイツには及 およ ばないものの、2016年 ねん における外国 がいこく 人 じん 人口 じんこう は502万 まん 6,153名 めい を数 かぞ え[ 21] 、イタリア国民 こくみん の1割 わり 近 ちか くに達 たっ しつつあり、移民 いみん 2世 せい ・3世 せい の定着 ていちゃく も進 すす んでいる。移民 いみん グループでもっとも多 おお いのは同 おな じローマ人 じん を祖先 そせん とするルーマニア人 じん で、2014年 ねん 時点 じてん で100万 まん 名 めい 以上 いじょう が移民 いみん しており、国内 こくない で批判 ひはん の対象 たいしょう とされることも多 おお い。次 つ いで地中海 ちちゅうかい やアドリア海 あどりあかい を越 こ えて訪 おとず れるモロッコ人 じん とアルバニア人 じん が挙 あ げられる。アジア系 けい では中国 ちゅうごく 系 けい 移民 いみん (華人 かじん )がトップを占 し め、数 すう 年 ねん で倍 ばい 近 ちか く増加 ぞうか している。
対 たい テロ戦争 せんそう 、アラブの春 はる 、シリア内戦 ないせん 、ISIL (イスラム国 こく )の台頭 たいとう などで中東 ちゅうとう が混乱 こんらん してからは、海路 かいろ でイタリアに不法 ふほう 上陸 じょうりく する者 もの が急増 きゅうぞう した。2013年 ねん 10月 がつ には、ソマリア 人 ひと とエリトリア 人 ひと をおもに載 の せた船 ふね が沈没 ちんぼつ 、368人 にん が死亡 しぼう する事件 じけん があり、それ以降 いこう 、イタリア海軍 かいぐん は不法 ふほう 移民 いみん を救助 きゅうじょ する活動 かつどう に力 ちから を入 い れているが[ 22] [ 23] 、国民 こくみん の間 あいだ では難民 なんみん への反感 はんかん も高 たか まっている。
公用 こうよう 語 ご はイタリア語 ご 。エスノローグ による調査 ちょうさ では、イタリア国民 こくみん のうち約 やく 5,700万 まん 名 めい がイタリア語 ご を使用 しよう している[ 24] 。欧州 おうしゅう 連合 れんごう による調査 ちょうさ では、イタリア語 ご を母国 ぼこく 語 ご としているのはEU圏内 けんない で約 やく 6,500万 まん 名 めい になっている[ 25] 。
等 とう 語 かたり 線 せん のラ・スペツィア=リミニ線 せん があり、この線 せん の北西 ほくせい の北 きた イタリア (西 にし ロマニアの側 がわ )と、南東 なんとう にあたる中 なか 南部 なんぶ のイタリア(東 ひがし ロマニアの側 がわ )では言葉 ことば が異 こと なる。東 ひがし ロマニアに分類 ぶんるい される中部 ちゅうぶ イタリアのトスカーナ州 しゅう の言葉 ことば を中心 ちゅうしん に標準 ひょうじゅん 語 ご が形成 けいせい されている。北 きた イタリアではフランス語 ふらんすご などに近 ちか い西 にし ロマニアの言葉 ことば であるガロ・イタリア語 ご を使用 しよう する[ 注釈 ちゅうしゃく 6] 。
イタリアは歴史 れきし 的 てき に別 べつ の国 くに に分 わ かれていた期間 きかん が長 なが いため方言 ほうげん の差 さ が激 はげ しいとされているが、そもそも言語 げんご 成立 せいりつ の過程 かてい にも複雑 ふくざつ な事情 じじょう が絡 から んでいる。古代 こだい ローマで話 はな されていた言葉 ことば (ラテン語 らてんご )の俗語 ぞくご 形 がた である「俗 ぞく ラテン語 らてんご 」が、ローマ消滅 しょうめつ 以降 いこう にかつての統治 とうち 領 りょう (イタリア・フランス・スペインなど)ごとに統一 とういつ 性 せい を失 うしな って方言 ほうげん 化 か した際 さい 、イタリア各地 かくち のラテン語 らてんご 方言 ほうげん がイタリア地方 ちほう 特有 とくゆう の変化 へんか を遂 と げたと判断 はんだん した人々 ひとびと が、近世 きんせい になってこれらをひとつの言語 げんご 体系 たいけい (イタリア語 ご )と定 さだ めたことに起因 きいん する。
言語 げんご と言語 げんご の違 ちが いを研究 けんきゅう する作業 さぎょう は古 ふる くから言語 げんご 学 がく の分野 ぶんや で行 おこな われていたが、どの程度 ていど の類似 るいじ 性 せい をもって「同 おな じ系統 けいとう の言語 げんご 」(方言 ほうげん )とするのか、あるいは「異 こと なる系統 けいとう の言語 げんご 」とするのかの客観 きゃっかん 的 てき 判断 はんだん はほとんど不可能 ふかのう で、結局 けっきょく は個々人 ここじん の価値 かち 観 かん に頼 たよ るしかなく、民族 みんぞく 問題 もんだい や領土 りょうど 主張 しゅちょう との兼 か ね合 あ いもあって政治 せいじ 的 てき 判断 はんだん が下 くだ されるケースが多 おお い(「言語 げんご とは軍 ぐん に守 まも られし方言 ほうげん である」という皮肉 ひにく も存在 そんざい する)。よってイタリア語 ご も方言 ほうげん の集合 しゅうごう 体 たい とするか、無数 むすう の独立 どくりつ 言語 げんご とするかは政治 せいじ 的 てき に決定 けってい され、当時 とうじ の民族 みんぞく 主義 しゅぎ 政策 せいさく に基 もと づいて方言 ほうげん であるとされた。近年 きんねん はEU統合 とうごう の流 なが れから欧州 おうしゅう 各国 かっこく で方言 ほうげん を地域 ちいき 言語 げんご と認 みと める動 うご きが芽生 めば え始 はじ めており、イタリアでも方言 ほうげん を地域 ちいき 言語 げんご として承認 しょうにん するべきかどうか盛 さか んに意見 いけん が重 かさ ねられている。こうした現象 げんしょう はイタリアだけでなく、同 おな じ経緯 けいい を持 も つほかのロマンス諸語 しょご でも発生 はっせい しているほか、ゲルマン語 ご 派 は のドイツ語 ご でも方言 ほうげん の尊重 そんちょう と権利 けんり 拡大 かくだい が進 すす められている。
現在 げんざい 、エスノローグ はイタリア共和 きょうわ 国内 こくない に以下 いか の少数 しょうすう 言語 げんご の存在 そんざい を認 みと めている。
一部 いちぶ の特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう 、ヴァッレ・ダオスタ州 しゅう でフランス語 ふらんすご 、トレンティーノ=アルト・アディジェ州 しゅう ではドイツ語 ご も使用 しよう する。フリウリ地方 ちほう ではフリウリ語 ご 、南 みなみ ティロルではラディン語 ご という、イタリア語 ご よりラテン語 らてんご に近 ちか いレト・ロマンス語 ご 系 けい の言葉 ことば を母語 ぼご とする住民 じゅうみん もいる。また、最 さい 南部 なんぶ のカラブリア州 しゅう には東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく 統治 とうち 下 か (マグナ・グラエキア )の影響 えいきょう を残 のこ すギリシャ語 ご 系 けい のグリコ語 ご の話者 わしゃ も存在 そんざい する。さらに、オスマン帝国 ていこく 時代 じだい のアルバニアからイタリア南部 なんぶ に定着 ていちゃく した人々 ひとびと の子孫 しそん はアルバニア語 ご の方言 ほうげん を母語 ぼご とする。サルデーニャ島 とう では、イタリア語 ご 系 けい のサルデーニャ語 ご (イタリア語 ご の一方 いっぽう 言 げん とする説 せつ もある)が話 はな される。アルゲーロ ではアラゴン=カタルーニャ連合 れんごう 王国 おうこく 支配 しはい の影響 えいきょう からカタルーニャ語 ご の方言 ほうげん が話 はな される。
婚姻 こんいん においては基本 きほん 的 てき に夫婦 ふうふ 別姓 べっせい となっているが、結合 けつごう 姓 せい も認 みと められている。
子 こ の姓 せい に関 かん しては、伝統 でんとう 的 てき には父親 ちちおや の姓 せい としていたが、父親 ちちおや の姓 せい としなければならないという法律 ほうりつ は存在 そんざい しないとの理由 りゆう で、母親 ははおや の姓 せい を子 こ の姓 せい としてよいことが裁判 さいばん を通 とお し2012年 ねん に認 みと められた[ 26] 。
また、イタリアはきわめて離婚 りこん が少 すく ない国 くに として知 し られている[ 27] 。
バチカン市 し 国 こく 南東 なんとう 端 はし にあるカトリック教会 きょうかい の総本山 そうほんざん 、サン・ピエトロ大 だい 聖堂 せいどう
2014年 ねん の推定 すいてい では、キリスト教 きりすときょう のカトリック教会 きょうかい が75.2%[ 注釈 ちゅうしゃく 7] と最大 さいだい で、残 のこ りの大半 たいはん が無 む 宗教 しゅうきょう または無 む 神 かみ 論 ろん 者 しゃ で、数 かず %のムスリム のほか、その他 た 宗教 しゅうきょう が1%未満 みまん となっていた[ 29] [ 30] 。
4分 ぶん の3と最大 さいだい 多数 たすう のカトリックであるが、信条 しんじょう はリベラルであり、カトリック教会 きょうかい の教義 きょうぎ に反 はん して同棲 どうせい ・離婚 りこん ・妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ などについては大 だい 多数 たすう が肯定 こうてい 的 てき であるとの報告 ほうこく も出 で ている[ 31] 。
プロテスタント は少数 しょうすう で、アラブ系 けい 移民 いみん の増加 ぞうか により、イスラム教 いすらむきょう は近年 きんねん 増加 ぞうか 傾向 けいこう にある。
イタリアの医療 いりょう は、1978年 ねん より税金 ぜいきん を原資 げんし とするユニバーサルヘルスケア が施行 しこう されており[ 32] 、公営 こうえい ・民営 みんえい の混合 こんごう 制度 せいど となっている。公営 こうえい 制度 せいど はServizio Sanitario Nazionale と呼 よ ばれる公費 こうひ 負担 ふたん 医療 いりょう であり、保健 ほけん 省 しょう が方針 ほうしん を定 さだ め、現場 げんば は地方自治体 ちほうじちたい が運営 うんえい している。保健 ほけん 支出 ししゅつ は2008年 ねん にはGDPの9.0%ほどであり、OECD各国 かっこく 平均 へいきん の8.9%より若干 じゃっかん 上 じょう であった。2000年 ねん にはWHOより、医療 いりょう 制度 せいど の効率 こうりつ 性 せい は世界 せかい 2位 い 、市民 しみん の保健 ほけん 状態 じょうたい については世界 せかい 3位 い と評 ひょう されている[ 33] 。
平均 へいきん 余命 よめい は82.7歳 さい 、2013年 ねん には世界 せかい 8位 い であった[ 35] 。健康上 けんこうじょう のリスクとしては、イタリアはほかの西欧 せいおう 各国 かっこく と同様 どうよう に肥満 ひまん 者 もの が増 ふ えており、人口 じんこう の34.2%が太 ふと りすぎと自己 じこ 申告 しんこく 、また9.8%が肥満 ひまん だと自己 じこ 申告 しんこく している[ 36] 。日常 にちじょう 的 てき な喫煙 きつえん 者 しゃ は2008年 ねん では人口 じんこう の22%であり[ 37] 、2005年 ねん からは公共 こうきょう のバー、レストラン、ナイトクラブにおいては隔離 かくり された喫煙 きつえん 室 しつ が設 もう けられるようになった[ 38] 。
イタリアの治安 ちあん は、ヨーロッパ諸国 しょこく の中 なか で最 もっと も不安定 ふあんてい さが顕著 けんちょ な状態 じょうたい となっている。イタリア政府 せいふ は犯罪 はんざい 組織 そしき (マフィア )の取締 とりしま りの強化 きょうか ならびに不法 ふほう 移民 いみん 問題 もんだい の解消 かいしょう などを中心 ちゅうしん とした総合 そうごう 的 てき な治安 ちあん 対策 たいさく に取 と り組 く んでおり、その甲斐 かい もあって効果 こうか が現 あらわ れて来 き ている。
2016年 ねん のイタリア内務省 ないむしょう の統計 とうけい によると、犯罪 はんざい 認知 にんち 件数 けんすう は約 やく 250万 まん 件 けん で前年 ぜんねん と比較 ひかく すると7.99%減少 げんしょう している。しかし、それに反 はん してスリ が約 やく 16万 まん 件 けん (前年 ぜんねん 比 ひ 6.39%減 げん )、ひったくり が約 やく 1.7万 まん 件 けん (前年 ぜんねん 比 ひ 6.22%減 げん )と多数 たすう 発生 はっせい していることから、イタリアに滞在 たいざい 中 ちゅう はこれらの犯罪 はんざい に対 たい して用心 ようじん と予防 よぼう が必要 ひつよう となって来 く る。
また、外国 がいこく 人 じん 観光 かんこう 客 きゃく の犯罪 はんざい 被害 ひがい 報告 ほうこく が多 おお く寄 よ せられており、都市 とし 部 ぶ ではローマやミラノ、フィレンツェ、ナポリなどの観光 かんこう 地 ち に被害 ひがい が集中 しゅうちゅう している。これらの観光 かんこう 地 ち における日本人 にっぽんじん 観光 かんこう 客 きゃく などの犯罪 はんざい 被害 ひがい は依然 いぜん として多 おお く、窃盗 せっとう (車 くるま 上 じょう 荒 あ らし や置 お き引 び き やひったくり、スリ)をはじめとして強盗 ごうとう (睡眠薬 すいみんやく 強盗 ごうとう など)や押 お し売 う り 、バー のぼったくり 行為 こうい が発生 はっせい しており、さらには警察官 けいさつかん になりすました外国 がいこく 人 じん 犯罪 はんざい 者 しゃ が偽札 にせさつ や違法 いほう 薬物 やくぶつ の捜査 そうさ などと称 しょう し、所持 しょじ 品 ひん 検査 けんさ を装 よそお って現金 げんきん やクレジットカード を窃取 せっしゅ する事件 じけん なども相次 あいつ いで発生 はっせい していることから滞在 たいざい 中 ちゅう の外出 がいしゅつ や散策 さんさく は常 つね に警戒 けいかい を強 つよ める姿勢 しせい が求 もと められている[ 39] 。
イタリアにおける法 ほう 執行 しっこう は国家 こっか レベルで集中 しゅうちゅう 化 か されている面 めん が強 つよ く、複数 ふくすう の警察 けいさつ 組織 そしき やその他 た の公的 こうてき 機関 きかん が様々 さまざま な公務 こうむ や任務 にんむ に参与 さんよ している。また、法 ほう 執行 しっこう 制度 せいど も複雑 ふくざつ であると捉 とら えられており、実際 じっさい に少数 しょうすう の限定 げんてい された地方 ちほう 機関 きかん からの助力 じょりょく を得 え たり、複数 ふくすう の省庁 しょうちょう によって執行 しっこう を実施 じっし されていることが多 おお い[ 40] 。
イタリアにおける法 ほう 執行 しっこう 機関 きかん ・警察 けいさつ 機構 きこう は、複 ふく 合 あい であり、国家 こっか レベルの組織 そしき のみでも5つある。その他 た に、地方自治体 ちほうじちたい の警察 けいさつ 組織 そしき として、県 けん レベルの地方 ちほう 警察 けいさつ (Polizia Provinciale)、コムーネ レベルの自治体 じちたい 警察 けいさつ (Polizia Municipale) がある。
国家 こっか レベルの警察 けいさつ 組織 そしき は以下 いか のものである。
このほか、イタリア沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい がイタリア海軍 かいぐん の傘下 さんか にあり、海上 かいじょう 交通 こうつう 整理 せいり 、捜索 そうさく 救難 きゅうなん 、漁業 ぎょぎょう 監視 かんし 、不法 ふほう 移民 いみん に対 たい する海上 かいじょう 監 かん 視 し などを行 おこな っている。
歴史 れきし が示 しめ すように、マフィア はイタリアの経済 けいざい と社会 しゃかい に多大 ただい な影響 えいきょう 力 りょく を持 も っている。マフィアとは元来 がんらい 中世 ちゅうせい 後期 こうき にシチリアで生 う まれた秘密 ひみつ 結社 けっしゃ で、親族 しんぞく 組織 そしき からなり、冷酷 れいこく な暴力 ぼうりょく とオメルタ という厳 きび しい掟 おきて で知 し られる[ 注釈 ちゅうしゃく 8] 。
19世紀 せいき 後半 こうはん にはシチリアの田園 でんえん 地帯 ちたい を支配 しはい し、地方 ちほう 当局 とうきょく への介入 かいにゅう 、ゆすり 、市民 しみん に対 たい するテロ活動 かつどう を行 おこな っていた。戦 せん 間 あいだ 期 き はムッソリーニがマフィアを弾圧 だんあつ したため、彼 かれ らは移民 いみん に混 ま じって北米 ほくべい に渡 わた った。この時代 じだい を除 のぞ いて、マフィアはイタリア南部 なんぶ を中心 ちゅうしん に合法 ごうほう ・非合法 ひごうほう 活動 かつどう を展開 てんかい した。合衆国 がっしゅうこく で服役 ふくえき 中 ちゅう のラッキー・ルチアーノ が第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん のハスキー作戦 さくせん に協力 きょうりょく してから、マフィアは戦後 せんご の国際 こくさい 政治 せいじ にまで関係 かんけい するようになった。そして1970年代 ねんだい までに世界 せかい の代表 だいひょう 的 てき な麻薬 まやく のヘロイン 取 と り引 ひ きの大 だい 部分 ぶぶん がマフィアの支配 しはい 下 か に入 はい った。Confesercentiの報告 ほうこく 書 しょ で、マフィアの総 そう 売上 うりあげ 高 だか は900億 おく ユーロに相当 そうとう するという。この犯罪 はんざい 収益 しゅうえき は資金 しきん 洗浄 せんじょう の対象 たいしょう である。
北 きた イタリアのトスカーナ 地方 ちほう はルネサンス 発祥 はっしょう の地 ち であり、またその中心 ちゅうしん 地 ち でもあった。この影響 えいきょう 下 か で数 すう 多 おお くの芸術 げいじゅつ 家 か が輩出 はいしゅつ され、同時 どうじ に作品 さくひん も制作 せいさく された。詳 くわ しくはルネサンスの項 こう を参照 さんしょう されたい。
また、ジュゼッペ・ヴェルディ の『アイーダ 』などオペラ や音楽 おんがく なども多 おお く知 し られる。民衆 みんしゅう 音楽 おんがく ではカンツォーネ と呼 よ ばれるナポリの歌謡 かよう 曲 きょく が有名 ゆうめい である。バレエ の発祥 はっしょう の地 ち ともされる。現代 げんだい においてもノーベル賞 しょう 作家 さっか を輩出 はいしゅつ し、映画 えいが においても絶 た えず世界 せかい 的 てき な作品 さくひん を送 おく り出 だ している。
イタリアを代表 だいひょう する有名 ゆうめい な料理 りょうり の一部 いちぶ 。 時計 とけい 回 まわ りにピッツア・マルゲリータ 、スパゲッティ・カルボナーラ 、エスプレッソ 、ジェラート
イタリア料理 りょうり は地方 ちほう 色 しょく が強 つよ く各 かく 地方 ちほう 料理 りょうり の集合 しゅうごう 体 たい のようなものであり、北部 ほくぶ はバター やチーズ を多 おお く使 つか い、南部 なんぶ はトマト やオリーブオイル を多用 たよう する傾向 けいこう がある。また沿岸 えんがん 部 ぶ は魚 さかな を食 た べるが、内陸 ないりく 部 ぶ はほとんど食 た べない、シチリア島 とう はマグリブ の食 しょく 文化 ぶんか の影響 えいきょう があり、北東 ほくとう 部 ぶ はオーストリア料理 りょうり やハンガリー料理 りょうり など中 ちゅう 欧 おう に近 ちか い食 しょく 文化 ぶんか があるなど地域 ちいき 色 しょく 豊 ゆた かである。
おもにパスタ やパン を主食 しゅしょく とし、北部 ほくぶ のポ ぽ ー川 がわ 流域 りゅういき では米 べい をよく食 た べる。北部 ほくぶ の一部 いちぶ 地域 ちいき にはパンの代用 だいよう としてトウモロコシ の粉 こな でできたポレンタ を食 た べる地域 ちいき もある。イタリア料理 りょうり のピザ などもある。
食事 しょくじ にワイン を合 あ わせる習慣 しゅうかん があり、基本 きほん 的 てき にはその土地 とち のワインを飲 の む。また、サラミ 、ハム などの肉 にく 製品 せいひん 、チーズの種類 しゅるい の豊富 ほうふ なことも特徴 とくちょう である。コーヒー の消費 しょうひ も多 おお く、イタリア式 しき のいれ方 かた にはエスプレッソ 、カプチーノ 、カフェ・ラッテ が有名 ゆうめい 。一方 いっぽう 、ヨーロッパの国 くに としては珍 めずら しくタコ も食 た べる[ 注釈 ちゅうしゃく 9] 。
ダンテ・アリギエーリ サンドロ・ボッティチェッリ 作 さく
近代 きんだい イタリア語 ご の基礎 きそ はフィレンツェの詩人 しじん ダンテ・アリギエーリ によって創設 そうせつ され、彼 かれ の偉大 いだい な作品 さくひん 『神 かみ 曲 きょく 』は中世 ちゅうせい ヨーロッパで最高 さいこう の文学 ぶんがく 作品 さくひん だと考 かんが えられている。イタリアはそれ以外 いがい にも祝福 しゅくふく された文学 ぶんがく 者 しゃ に不足 ふそく しなかった。例 れい を挙 あ げるならジョヴァンニ・ボッカチオ 、ジャコモ・レオパルディ 、アレッサンドロ・マンゾーニ 、トルクァート・タッソ 、ルドヴィーコ・アリオスト 、フランチェスコ・ペトラルカ のような人物 じんぶつ の名 な が挙 あ げられ、彼 かれ らのもっとも知 し られた表現 ひょうげん の媒体 ばいたい は彼 かれ らがイタリアで生 う んだソネット だった。近代 きんだい の文学 ぶんがく 者 しゃ であり、ノーベル文学 ぶんがく 賞 しょう 受賞 じゅしょう 者 しゃ には、1906年 ねん 受賞 じゅしょう の国民 こくみん 主義 しゅぎ 詩人 しじん ジョズエ・カルドゥッチ 、1926年 ねん 受賞 じゅしょう の写実 しゃじつ 主義 しゅぎ 作家 さっか のグラツィア・デレッダ 、1934年 ねん 受賞 じゅしょう の近代 きんだい 劇 げき 作家 さっか ルイージ・ピランデッロ 、1959年 ねん 受賞 じゅしょう の詩人 しじん サルヴァトーレ・クァジモド 、1975年 ねん 受賞 じゅしょう のエウジェーニオ・モンターレ 、1997年 ねん 受賞 じゅしょう の風刺 ふうし 家 か かつ劇 げき 作家 さっか ダリオ・フォ の名 な が挙 あ げられる[ 41] 。
ルネサンスの時代 じだい には、ジョルダーノ・ブルーノ やマルシリオ・フィチーノ 、ニッコロ・マキャベリ 、ジャンバティスタ・ヴィコ のような傑出 けっしゅつ した哲学 てつがく 者 しゃ が現 あらわ れた。
20世紀 せいき 前半 ぜんはん において、イタリアではベネデット・クローチェ やジョヴァンニ・ジェンティーレ によって新 しん ヘーゲル主義 しゅぎ が新 しん 観念論 かんねんろん に昇華 しょうか した。ジェンティーレの哲学 てつがく はファシズム の理論 りろん 的 てき 支柱 しちゅう となった。そのほかにも特筆 とくひつ されるべき哲学 てつがく 者 しゃ として、マルクス主義 まるくすしゅぎ の新 あら たな読 よ み方 かた を発見 はっけん し、サバルタン やヘゲモニー といった概念 がいねん につながる思想 しそう を生 う み出 だ したアントニオ・グラムシ や、市民 しみん 社会 しゃかい 論 ろん 的 てき にヘーゲルを読 よ み直 なお したジョエーレ・ソラーリ が挙 あ げられる。
20世紀 せいき 後半 こうはん においてはマルチチュード を新 あら たな概念 がいねん として昇華 しょうか したマルチチュード学派 がくは のアントニオ・ネグリ や、ホモ・サケル 論 ろん で知 し られるジョルジョ・アガンベン などが活躍 かつやく している。
現在 げんざい も世界 せかい で用 もち いられる音楽 おんがく 用語 ようご の多数 たすう がイタリア語 ご であることからもわかるように、イタリアはルネサンス音楽 おんがく の後期 こうき からバロック音楽 おんがく 、古典 こてん 派 は 音楽 おんがく の時代 じだい において西洋 せいよう 音楽 おんがく の中心 ちゅうしん 地 ち であった。ルネサンス音楽 おんがく ではジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ が知 し られている。
バロック音楽 おんがく 初期 しょき ではクラウディオ・モンテヴェルディ 、中期 ちゅうき ではアレッサンドロ・スカルラッティ 、アルカンジェロ・コレッリ 、後期 こうき ではアントニオ・ヴィヴァルディ が名高 なだか い。
古典 こてん 派 は 音楽 おんがく 時代 じだい も当時 とうじ としてはイタリアが音楽 おんがく の中心 ちゅうしん 地 ち であったが、現代 げんだい の視点 してん から見 み れば、18世紀 せいき 終盤 しゅうばん からウィーン古典 こてん 派 は の台頭 たいとう 、続 つづ くヨハン・ゼバスティアン・バッハ の復権 ふっけん などによって主導 しゅどう 権 けん はドイツ・オーストリ圏 けん に移 うつ った。古典 こてん 派 は 音楽 おんがく 時代 じだい のイタリアの作曲 さっきょく 家 か にはドメニコ・チマローザ 、ルイジ・ボッケリーニ などがいるが、ウィーン古典 こてん 派 は に比 くら べ、現代 げんだい では演奏 えんそう 機会 きかい は比較的 ひかくてき 少 すく ない。
ロマン派 は 音楽 おんがく 時代 じだい もオペラに関 かん してはイタリア音楽 おんがく は人気 にんき を集 あつ め、前期 ぜんき においてはジョアッキーノ・ロッシーニ 、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ 、ガエターノ・ドニゼッティ らが活躍 かつやく した。中期 ちゅうき においてはジュゼッペ・ヴェルディ 、後期 こうき にはジャコモ・プッチーニ らの作曲 さっきょく 家 か を輩出 はいしゅつ したイタリアがなお大 だい 勢力 せいりょく を保 たも ち続 つづ け、今 いま なおオペラといえばイタリアというイメージは強 つよ い(ただし、長年 ながねん の財政難 ざいせいなん からカンパニーを維持 いじ できない歌劇 かげき 場 じょう が多 おお く、現在 げんざい では上演 じょうえん 数 すう に関 かん してはドイツに3倍 ばい の差 さ をつけられてしまった。首都 しゅと のローマ歌劇 かげき 場 じょう すら今世紀 こんせいき に入 はい って管弦楽 かんげんがく 団 だん と合唱 がっしょう 団 だん の全員 ぜんいん 解雇 かいこ が宣告 せんこく されたことがある)。
一方 いっぽう で、交響 こうきょう 曲 きょく など器楽 きがく 曲 きょく 分野 ぶんや では19世紀 せいき 以降 いこう は発展 はってん が滞 とどこお り、20世紀 せいき 初頭 しょとう の近代 きんだい 音楽 おんがく の時代 じだい に入 はい ってオットリーノ・レスピーギ やジャン・フランチェスコ・マリピエロ らが魅力 みりょく 的 てき な作品 さくひん を発表 はっぴょう したが、既 すで に音楽 おんがく 発展 はってん の中心 ちゅうしん 地 ち ではなくなっていた。
現代 げんだい 音楽 おんがく においてはルイジ・ノーノ やルチアーノ・ベリオ が名高 なだか い。
ベルニーニ 作 さく 『聖 せい テレジアの法悦 ほうえつ 』
ルネサンス後期 こうき のイタリア美術 びじゅつ をマニエリスム という。それ以降 いこう 、イタリア独 どく 自性 じしょう は作品 さくひん から消 き えてしまった。
19世紀 せいき 後半 こうはん 、色彩 しきさい 豊 ゆた かなマッキア派 は が登場 とうじょう した。20世紀 せいき はじめに未来 みらい 派 は という好戦 こうせん 的 てき なモードが生 う まれた。1910年代 ねんだい は形而上 けいじじょう 絵画 かいが という抽象 ちゅうしょう 画 が の量産 りょうさん が社会 しゃかい 不安 ふあん を象徴 しょうちょう した。イタリアらしさは外圧 がいあつ に原 はら 像 ぞう をかき消 け されて表現 ひょうげん できなくなっていった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご にアルテ・ポーヴェラ やトランスアバンギャルド といった美術 びじゅつ 運動 うんどう がみられた。
フェデリコ・フェリーニ
イタリア映画 えいが の歴史 れきし はリュミエール兄弟 きょうだい が活動 かつどう 写真 しゃしん の公開 こうかい を始 はじ めてからわずか数 すう か月 げつ 後 ご に始 はじ まった。最初 さいしょ のイタリア映画 えいが は、教皇 きょうこう レオ13世 せい がカメラに祝福 しゅくふく して見 み せた数 すう 秒間 びょうかん のものだった。イタリアの映画 えいが 産業 さんぎょう は1903年 ねん から1908年 ねん の間 あいだ に3つの映画 えいが 会社 かいしゃ とともに生 う まれた。ローマのチネス、トリノのアンブロシオ、イタラ・フィルム社 しゃ がそれである。ほかの会社 かいしゃ はすぐにミラノやナポリに設立 せつりつ された。まもなくこれら最初 さいしょ の会社 かいしゃ は公正 こうせい な制作 せいさく 力 りょく に達 たっ し、作品 さくひん はすぐに外国 がいこく に売 う られていった。映画 えいが はのちにベニート・ムッソリーニによって第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん までプロパガンダ のために使 つか われた。
戦後 せんご 、イタリアの映画 えいが は広 ひろ く認知 にんち され、1980年 ねん ごろの芸術 げいじゅつ 的 てき な凋落 ちょうらく まで輸出 ゆしゅつ された。この時期 じき の世界 せかい 的 てき に有名 ゆうめい なイタリアの映画 えいが 監督 かんとく としては、ヴィットリオ・デ・シーカ 、フェデリコ・フェリーニ 、セルジオ・レオーネ 、ルキノ・ヴィスコンティ 、ピエル・パオロ・パゾリーニ 、ミケランジェロ・アントニオーニ 、ダリオ・アルジェント などの名 な が挙 あ げられる。ネオレアリスモと呼 よ ばれる重厚 じゅうこう な現実 げんじつ 主義 しゅぎ から出発 しゅっぱつ し、次第 しだい に奔放 ほんぽう 華麗 かれい な前衛 ぜんえい 性 せい を獲得 かくとく 、さらに残酷 ざんこく 味 あじ を前面 ぜんめん に出 だ したマカロニウェスタンからホラーへと展開 てんかい する娯楽 ごらく 映画 えいが など、その幅 はば は驚 おどろ くほど広 ひろ い。お国柄 くにがら を生 い かした歴史 れきし 劇 げき や、日本 にっぽん での紹介 しょうかい は少 すく ないが喜劇 きげき の伝統 でんとう も厚 あつ い。世界 せかい の映画 えいが 史 し に残 のこ る作品 さくひん としては、『甘 あま い生活 せいかつ 』『続 ぞく ・夕陽 ゆうひ のガンマン 』『自転車 じてんしゃ 泥棒 どろぼう 』などが挙 あ げられる。
音楽 おんがく
文学 ぶんがく
映画 えいが
漫画 まんが
ミラノ・コレクション (2010年 ねん )
イタリアのファッション は、フランス、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、イギリス 、日本 にっぽん のファッションと並 なら ぶ、世界 せかい で最 もっと も重要 じゅうよう な服飾 ふくしょく 文化 ぶんか の1つと見 み なされている。
イタリアは歴史 れきし 上 じょう 、非常 ひじょう に多様 たよう かつ幅広 はばひろ い建築 けんちく 様式 ようしき を持 も っており、その起源 きげん は紀元前 きげんぜん のロ ろ ーマ帝国 まていこく 時代 じだい にまで遡 さかのぼ ることが出来 でき る。
また、1861年 ねん まで同国 どうこく 地域 ちいき が小国 しょうこく の設立 せつりつ など様々 さまざま な形 かたち で分割 ぶんかつ されていたため、時代 じだい や地域 ちいき で分類 ぶんるい することは簡単 かんたん に出来 でき ないものとなっており、ヨーロッパにおける建築 けんちく のカテゴリーでも複雑 ふくざつ 化 か した状態 じょうたい となっている。
イタリア国内 こくない には、ユネスコ の世界 せかい 遺産 いさん リストに登録 とうろく された文化 ぶんか 遺産 いさん が45件 けん 、自然 しぜん 遺産 いさん が4件 けん 存在 そんざい している(2013年 ねん 現在 げんざい )。2014年 ねん 時点 じてん で、世界 せかい 遺産 いさん がもっとも多 おお い国 くに である[ 42] 。
この他 ほか には、各州 かくしゅう に「州 しゅう の記念 きねん 日 び 」と呼 よ ばれる祝日 しゅくじつ が存在 そんざい している。なお、それらの祝日 しゅくじつ は必 かなら ずしも休日 きゅうじつ として扱 あつか われているわけではないことを留意 りゅうい する必要 ひつよう がある。
イタリアでは伝統 でんとう 的 てき にサッカー (カルチョ)が最 もっと も人気 にんき のスポーツであり、その他 た にもF1 やミッレミリア などのモータースポーツ も人気 にんき である。さらに自転車 じてんしゃ 競技 きょうぎ やマリンスポーツ 、プロリーグ もあるバレーボール なども盛 さか んである。また、北部 ほくぶ 山岳 さんがく 地域 ちいき にコルティーナ・ダンペッツォ などのスキー のリゾート が多数 たすう あることから、ウィンタースポーツ も人気 にんき である。中部 ちゅうぶ にはアペニン山脈 さんみゃく があり、登山 とざん も盛 さか んとなっている。近年 きんねん 、シックス・ネイションズ に加 くわ わった影響 えいきょう もありラグビー も人気 にんき が高 たか まっている。バスケットボール などのアメリカ 発祥 はっしょう のスポーツも、他 た のヨーロッパ諸国 しょこく に比 くら べると盛 さか んである。
イタリアは過去 かこ に1回 かい の夏季 かき オリンピック (1960年 ねん ローマ五輪 ごりん )と2回 かい の冬季 とうき オリンピック (1956年 ねん コルチナ・ダンペッツオ五輪 ごりん 、2006年 ねん トリノ五輪 ごりん )を開催 かいさい していて、今後 こんご 2026年 ねん ミラノ・コルティナ冬季 とうき 五輪 ごりん の開催 かいさい を予定 よてい している。また、第 だい 1回 かい パラリンピック は1960年 ねん にローマ で行 おこな われた。
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ
カルチョ と呼 よ ばれる16世紀 せいき のイタリアに起源 きげん を持 も つフィレンツェ 古代 こだい サッカー発祥 はっしょう の地 ち として知 し られ、イングランド のフットボール と双璧 そうへき の存在 そんざい となっている。イタリアは数 すう 多 おお くのスター選手 せんしゅ を輩出 はいしゅつ してきた強豪 きょうごう 国 こく であり、FIFAワールドカップ にはこれまで全 ぜん 22回 かい 中 ちゅう 18回 かい 出場 しゅつじょう し4度 ど の優勝 ゆうしょう を達成 たっせい しており[ 注釈 ちゅうしゃく 10] 、準 じゅん 優勝 ゆうしょう にも2度 ど 輝 かがや いている。さらにUEFA欧州 おうしゅう 選手権 せんしゅけん でも、2度 ど の優勝 ゆうしょう と2度 ど の準 じゅん 優勝 ゆうしょう の実績 じっせき を誇 ほこ る。
イタリアサッカー連盟 れんめい (FIGC)によって編成 へんせい されるサッカーイタリア代表 だいひょう は、ユニフォームの青 あお い色 いろ からアズーリ と呼 よ ばれている[ 43] 。イタリア語 ご で「鍵 かぎ をかける」という意味 いみ の、カテナチオ と呼 よ ばれる鉄壁 てっぺき の守備 しゅび をベースとして現在 げんざい に至 いた る。しかし近年 きんねん は攻撃 こうげき 陣 じん のタレントも豊富 ほうふ で、かつての守備 しゅび だけのチームではなくポゼッションを重視 じゅうし したチームになりつつある。また、伝統 でんとう 的 てき に綿密 めんみつ な戦術 せんじゅつ を重 おも んじる傾向 けいこう があり、アリゴ・サッキ やジョバンニ・トラパットーニ などの名将 めいしょう が、現代 げんだい サッカーにおけるフォーメーションを考案 こうあん してきた。
1898年 ねん に創設 そうせつ されたセリエA は世界 せかい 最高峰 さいこうほう のサッカーリーグの一 ひと つであり、UEFAチャンピオンズリーグ ではACミラン が7度 ど 、インテル・ミラノ が3度 ど 、ユヴェントス が2度 ど の優勝 ゆうしょう を果 は たしている。コッパ・イタリア と呼 よ ばれる国内 こくない のカップ戦 せん も行 おこな われている。また、日本人 にっぽんじん 選手 せんしゅ でセリエAのビッグクラブ に在籍 ざいせき した事 こと があるのは、中田 なかた 英寿 ひでとし 、長友 ながとも 佑 たすく 都 と 、本田 ほんだ 圭 けい 佑 たすく の3名 めい である[ 44] 。
イタリア国内 こくない には欧州 おうしゅう 屈指 くっし の強豪 きょうごう リーグである、レガ・バスケット・セリエA と呼 よ ばれるプロバスケットボール リーグが存在 そんざい している。2006年 ねん にNBAドラフト 1位 い 指名 しめい されたアンドレア・バルニャーニ は、NBA の外国 がいこく 人 じん としては史上 しじょう 2人 にん 目 め 、ヨーロッパ人 じん としては史上 しじょう 初 はつ となった。イタリアバスケットボール連盟 れんめい により派遣 はけん されるバスケットボールイタリア代表 だいひょう は、これまでオリンピック に13回 かい 、ワールドカップ (旧 きゅう :世界 せかい 選手権 せんしゅけん )に9回 かい 出場 しゅつじょう している。2004年 ねん のアテネ五輪 ごりん では、アメリカ の銅 どう メダルを上回 うわまわ る「銀 ぎん メダル」を獲得 かくとく した。さらにユーロバスケット では、1997年 ねん 大会 たいかい で銀 ぎん メダル、1999年 ねん 大会 たいかい で金 きん メダル、2003年 ねん 大会 たいかい では銅 どう メダルを獲得 かくとく している。
フェラーリ のF1マシン
多数 たすう の自動車 じどうしゃ ・バイクメーカーを持 も つイタリアは、モータースポーツ の創成 そうせい 期 き から多 おお くのコンストラクターとレーシングドライバー を輩出 はいしゅつ してきた。また、AGV やアルパインスターズ といった装備 そうび 品 ひん メーカーも多 おお くイタリアに存在 そんざい している。F1 にはアルファロメオ 、マセラティ 、フェラーリ が1950年 ねん の開幕 かいまく 年 ねん から参戦 さんせん 。スクーデリア・フェラーリ の創業 そうぎょう 者 しゃ であるエンツォ・フェラーリ は、エミリア=ロマーニャ州 しゅう ・モデナ 近郊 きんこう のマラネッロ に拠点 きょてん を構 かま え、「北 きた の教皇 きょうこう 」の異名 いみょう をとった。1950年代 ねんだい でアルファロメオ・マセラティは撤退 てったい してフェラーリのみが残 のこ り、現在 げんざい まで唯一 ゆいいつ 開幕 かいまく から撤退 てったい せず参戦 さんせん しているメーカーとして名 な を馳 は せている。
フェラーリは2000年代 ねんだい 前半 ぜんはん に黄金 おうごん 時代 じだい を築 きず いた「皇帝 こうてい 」ミハエル・シューマッハ など、多 おお くのワールドチャンピオンを輩出 はいしゅつ している。アルファロメオは2019年 ねん にザウバー を買収 ばいしゅう して復活 ふっかつ した。またアルファタウリ(旧 きゅう :トロ・ロッソ )は、ミナルディ を買収 ばいしゅう して成立 せいりつ した経緯 けいい から、非 ひ イタリア系 けい でありながらイタリアを拠点 きょてん としている珍 めずら しいF1チームである。また、レーシングコンストラクターのダラーラ は、インディカーやスーパーフォーミュラ 含 ふく む現在 げんざい 世界 せかい 各 かく 地域 ちいき のワンメイクフォーミュラのシャシー供給 きょうきゅう を独占 どくせん している。
WRC ではフィアットとランチア が活躍 かつやく (ランチアの実働 じつどう 部隊 ぶたい はアバルト であった)。特 とく にランチアはラリー037、デルタ・インテグラーレといった名車 めいしゃ を多 おお く世 よ に送 おく り出 だ し、現在 げんざい でも破 やぶ られていないマニュファクチャラーズ選手権 せんしゅけん 6連覇 れんぱ という偉業 いぎょう をなしとげた。しかしグループA 規定 きてい を最後 さいご に撤退 てったい し、以降 いこう はアバルト がスーパー2000 やグループR-GT にプライベーター向 む けマシンを細々 こまごま と供給 きょうきゅう しているのに留 とど まっている。スポーツカーレース ではフェラーリ、ランチア、ランボルギーニ が活躍 かつやく 。フェラーリは1940年代 ねんだい ~1960年代 ねんだい に何 なん 度 ど かル・マン24時 じ 間 あいだ レースで総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を経験 けいけん し、以降 いこう も現在 げんざい までGTマシンによるプライベーター(ワークス支援 しえん 含 ふく む)の参戦 さんせん が続 つづ いている。
また、2021年 ねん からハイパーカー でル・マンに参戦 さんせん するアメリカのスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウス は、イタリアのチームが主体 しゅたい となってマシン製作 せいさく やチームオペレーションを行 おこな っている。なお、日本人 にっぽんじん ドライバーでイタリアのワークス・チーム入 い りを果 は たしたのは、2013年 ねん の小林 こばやし 可 か 夢 ゆめ 偉 えら が唯一 ゆいいつ の例 れい である。
2輪 りん ロードレースの世界 せかい ではドゥカティ 、アプリリア 、MVアグスタ などが知 し られる。MVアグスタは黎明 れいめい 期 き のロードレース世界 せかい 選手権 せんしゅけん (現 げん MotoGP、旧称 きゅうしょう WGP)において活躍 かつやく し、空前絶後 くうぜんぜつご のライダースタイトル17連覇 れんぱ を達成 たっせい している。その後 ご MVアグスタは消滅 しょうめつ したため、長 なが らく日本 にっぽん メーカーの支配 しはい が続 つづ いているが、それでも2007年 ねん と2020年 ねん にドゥカティがコンストラクターズタイトルを獲得 かくとく している。またヤマハのMotoGPチームは本拠地 ほんきょち をイタリアに構 かま えている。
スーパーバイク世界 せかい 選手権 せんしゅけん では、ドゥカティのVツイン(V型 がた 2気筒 きとう )エンジンが規則 きそく の優遇 ゆうぐう も利用 りよう して一時期 いちじき 黄金 おうごん 時代 じだい を築 きず いた。しかし規則 きそく が見直 みなお されて4気筒 きとう が頭角 とうかく を表 あらわ して以降 いこう は徐々 じょじょ にタイトルから遠 とお ざかっている。ライダーとしてはジャコモ・アゴスチーニ がMVアグスタでWGP500ccクラスと350ccクラスの7連覇 れんぱ という偉業 いぎょう を達成 たっせい している(このうち5連覇 れんぱ は500ccと350cc同時 どうじ であった)。MotoGPに改称 かいしょう 後 ご はバレンティーノ・ロッシ が5年 ねん 連続 れんぞく ワールドチャンピオンとなった。ほかにもフランコ・ウンチーニ 、マルコ・ルッキネリ 、リベロ・リベラッティ 、ウンベルト・マセッティ といった最高 さいこう クラスでの王者 おうじゃ がいる。
ロードレース では、三 さん 大 だい グランツール の一 ひと つであるジロ・デ・イタリア 、モニュメンツ のミラノ〜サンレモ 、イル・ロンバルディア が開催 かいさい されるなど人気 にんき は高 たか い。20世紀 せいき 前半 ぜんはん にはアルフレッド・ビンダ 、ジーノ・バルタリ 、ファウスト・コッピ などが活躍 かつやく した。20世紀 せいき 終盤 しゅうばん から21世紀 せいき にかけては、総合 そうごう 系 けい ではマルコ・パンターニ 、ジルベルト・シモーニ 、イヴァン・バッソ 、ヴィンチェンツォ・ニバリ 、スプリンター ではマリオ・チポッリーニ 、アレッサンドロ・ペタッキ 、エリア・ヴィヴィアーニ 、ジャコモ・ニッツォーロ といった強豪 きょうごう 選手 せんしゅ を次々 つぎつぎ と輩出 はいしゅつ している。
イタリアも競馬 けいば が盛 さか んな国 くに のひとつであったが、21世紀 せいき のユーロ危機 きき 以降 いこう は賞金 しょうきん 不払 ふばら い問題 もんだい など危機 きき 的 てき な状況 じょうきょう に陥 おちい っており、サラブレッド生産 せいさん 頭数 とうすう が4分 ぶん の1に落 お ち込 こ んでいる。歴史 れきし のあるミラノ大賞 たいしょう 典 てん や伊 い ダービー といった大 だい 競走 きょうそう もG1の格付 かくづ けを維持 いじ できていない。平地 ひらち 競走 きょうそう より人気 にんき のあった繋駕 けいが 速歩 はやあし 競走 きょうそう も状況 じょうきょう は悪 わる く、スタンダードブレッド の生産 せいさん 頭数 とうすう も半減 はんげん している。以後 いご イタリア競馬 けいば は崩壊 ほうかい しているものの、かつてその規模 きぼ に似 に つかわしくないほど強力 きょうりょく な競走 きょうそう 馬 ば を輩出 はいしゅつ した歴史 れきし を持 も つ。20世紀 せいき 世界 せかい 最強 さいきょう 馬 ば の候補 こうほ として常 つね に言及 げんきゅう されるリボー 、非常 ひじょう に人気 にんき のあった競走 きょうそう 馬 ば であるヴァレンヌ の2頭 とう は世界 せかい の競馬 けいば 関係 かんけい 者 しゃ に記憶 きおく される存在 そんざい である[ 45] 。また、14戦 せん 不敗 ふはい のネアルコ は競走 きょうそう 馬 ば としてはリボーほどの評価 ひょうか は得 え ていないが、その子孫 しそん は強力 きょうりょく に繁栄 はんえい してその血 ち を持 も たないサラブレッドはほとんどいない状況 じょうきょう となっている。
イタリアはバレーボール も盛 さか んで、特 とく にトップリーグであるセリエA は世界 せかい 的 てき に見 み ても非常 ひじょう に珍 めずら しい「バレーボールのプロリーグ」である。この他 ほか にも、カップ戦 せん であるコッパ・イタリア など多 おお くの大会 たいかい が行 おこな われている[ 46] [ 47] 。かつては日本 にっぽん からも、大林 おおばやし 素子 もとこ や吉原 よしはら 知子 ともこ などといったトップ選手 せんしゅ がイタリアに渡 わた りプレーしていたことがある[ 48] 。イタリア代表 だいひょう も、男子 だんし チーム ・女子 じょし チーム共 とも に世界 せかい 選手権 せんしゅけん や欧州 おうしゅう 選手権 せんしゅけん の優勝 ゆうしょう 経験 けいけん があり、欧州 おうしゅう の強豪 きょうごう チームの一角 いっかく を占 し める。
イタリアは野球 やきゅう も強豪 きょうごう であり、イタリア代表 だいひょう は過去 かこ 5回 かい のWBC の全 すべ ての本戦 ほんせん に出場 しゅつじょう している。2023年 ねん は初 はつ のベスト8入 い りを果 は たした。欧州 おうしゅう 選手権 せんしゅけん の優勝 ゆうしょう 回数 かいすう はオランダ に次 つ ぐ2位 い である。国内 こくない 野球 やきゅう リーグのセリエA も存在 そんざい し、チャンピオンシップ にも多 おお く出場 しゅつじょう している。
また、北 きた にはアルプス山脈 あるぷすさんみゃく 、本島 ほんとう にはアペニン山脈 さんみゃく 、その他 た エトナ山 さん などイタリアは様々 さまざま な山岳 さんがく 地域 ちいき に恵 めぐ まれているので登山 とざん も盛 さか んである。モンブラン 初 はつ 登頂 とうちょう をし、近代 きんだい 登山 とざん を築 きず いたJ・バルマやM・G・パカールなどをはじめ、ラインホルト・メスナー やスキー登山 とざん 家 か でもあるマッテォ・ペドリアーナ、グイド・ジャコメッリなどが有名 ゆうめい である。さらに、日本 にっぽん ではマイナーな山 やま スキー の大会 たいかい が冬 ふゆ 頻繁 ひんぱん に行 おこな われており、南 みなみ チロル やアオスタ を中心 ちゅうしん に上記 じょうき の山脈 さんみゃく に近 ちか い地域 ちいき では山 やま スキーのメッカである。上記 じょうき のペドリアーナ、ジャコメッリもその中 なか の一人 ひとり である。
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