にち琉語ぞく

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にち琉語ぞく
日本語にほんごぞく
はなされる地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
言語げんご系統けいとう世界せかい主要しゅよう語族ごぞくひと
祖語そごにち琉祖
下位かい言語げんご
ISO 639-2 / 5jpx
Glottologjapo1237
区分くぶんいちれい(ここでは日本語にほんご本土ほんど方言ほうげん琉球りゅうきゅう琉球りゅうきゅう方言ほうげんとしている)

にち琉語ぞく(にちりゅうごぞく、英語えいご: Japonic languages, Japanese-Ryukyuan languages)またはにち琉諸(にちりゅうしょご)、日本語にほんごぞく(にほんごぞく)とは、日本にっぽん列島れっとうはなされる語族ごぞくである。日本にっぽん本土ほんどはなされる日本語にほんごと、奄美あまみ群島ぐんとうからさきとう諸島しょとうにかけて(南西諸島なんせいしょとう琉球りゅうきゅう諸島しょとうはなされる琉球りゅうきゅう諸語しょごおもぞくする。奈良なら時代じだいごろには東国とうごく上代じょうだい東国とうごくはなされていた。

アイヌウィルタニヴフ日本にっぽん列島れっとう北部ほくぶはなされている(はなされていた)言語げんごであり、とくアイヌにち琉語ぞくといくつかの語彙ごい借用しゃくようしあっているとかんがえられるが、にち琉語ぞくとは系統けいとうことなる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本にっぽん琉球りゅうきゅう関係かんけいせいにち琉同ろんなどとばれ、指摘してきするものは以前いぜんからいたが、近代きんだいてき比較ひかく言語げんごがくもとづく厳密げんみつ研究けんきゅう服部はっとり四郎しろうはじまり[1]現在げんざいまでにおおくの研究けんきゅうしゃ日本語にほんご琉球りゅうきゅう諸語しょごあいだ複数ふくすう規則きそくてき対応たいおう関係かんけいしめしている[2][3][4][5][6]

一方いっぽう琉球りゅうきゅう諸島しょとう言語げんご日本語にほんご一方いっぽうげんとしてあつか見方みかた存在そんざいする(琉球りゅうきゅう諸語しょご#言語げんご方言ほうげん参照さんしょう)。この場合ばあい琉球りゅうきゅう方言ほうげん」をふくむ「日本語にほんご」は孤立こりつした言語げんごということになる。

しかし、日本にっぽんには沖永良部おきのえらぶ方言ほうげん宮古みやこいけあいだ方言ほうげんのような相互そうご理解りかい可能かのうせいのない言語げんごられるじょう伝統でんとうてき言語げんご変種へんしゅ最低さいていでもすうひゃく存在そんざい[7]し、日本語にほんご系統的けいとうてき孤立こりつしているとはえない。このように、近年きんねんになって、琉球りゅうきゅう列島れっとう言語げんごたんなる方言ほうげんではなく、個別こべつ言語げんごであると認識にんしきされるようになった[8]

分類ぶんるい[編集へんしゅう]

ペラールによる系統けいとう分岐ぶんき[編集へんしゅう]

にち琉祖はまず日本にっぽん本土ほんど琉球りゅうきゅう諸島しょとうの2つのかたりかれたとかんがえられるが、八丈はちじょう歴史れきしてき位置いち不明ふめいである[9][10]

トマ・ペラールは、しょ言語げんご共通きょうつう改新かいしんもとづく系統けいとう分類ぶんるいおこなった[11]。これは表面ひょうめんてき類似るいじもとづく分類ぶんるいとは性質せいしつことなる[8]UNESCOのいう「国頭くにがみ」なる系統けいとう存在そんざいせず、きた琉球りゅうきゅうぐんふたつに分類ぶんるいできるとされる[12]

ペラール (2015, 2021) による系統けいとう分岐ぶんき
にち琉語ぞく

五十嵐いがらしによる系統けいとう分岐ぶんき[編集へんしゅう]

五十嵐いがらし陽介ようすけ共通きょうつう改新かいしんもとづく系統けいとう分類ぶんるいおこない、琉球りゅうきゅう諸語しょご南部なんぶ九州きゅうしゅう言語げんごどう系統けいとう八丈はちじょう糸魚川いといがわ浜名湖はまなこせん以東いとう言語げんごどう系統けいとうであり、「本土ほんど日本語にほんご」ないし「日本語にほんご」という分類ぶんるいぐん成立せいりつしない、とした[13]。ペラールはこの「みなみ日本語にほんご仮説かせつについて「その可能かのうせい十分じゅうぶんあり, 厳密げんみつ検討けんとう必要ひつようである」とひょうしたうえで、根拠こんきょ十分じゅうぶんでなく、そのいくつかは琉球りゅうきゅう祖語そご九州きゅうしゅうにおいて基層きそう言語げんごであったとすれば説明せつめいできるとした[14]

五十嵐いがらし (2021) による系統けいとう分岐ぶんき
にち琉語ぞく

Boerによる系統けいとう分岐ぶんき[編集へんしゅう]

de Boerによる系統けいとう分類ぶんるいはアクセントを重視じゅうししたものだが、アクセントは基本きほんてき規則きそくてき変化へんかしめすもので、系統けいとう関係かんけい推定すいていする根拠こんきょとしてはてきさないとする指摘してきがある[15]

Boer (2020) による系統けいとう分岐ぶんき[16]
にち琉語ぞく
  • 出雲いずも東北とうほく
    • 保守ほしゅてき東北とうほく出雲いずも
      • 下北しもきた岩手いわて東部とうぶ
      • 出雲いずも周辺しゅうへん
    • 革新かくしんてき東北とうほく出雲いずも
      • 東北とうほく
        • 東北とうほく北部ほくぶ
        • 東北とうほく南部なんぶ
      • 出雲いずも中央ちゅうおう
  • 九州きゅうしゅう琉球りゅうきゅう
    • 九州きゅうしゅう北東ほくとう
    • 九州きゅうしゅう南東なんとう
    • 九州きゅうしゅう西部せいぶ南部なんぶ琉球りゅうきゅう
      • 九州きゅうしゅう西部せいぶ
      • 九州きゅうしゅう南部なんぶ琉球りゅうきゅう

歴史れきし[編集へんしゅう]

祖語そご[編集へんしゅう]

にち琉祖母音ぼいん体系たいけいには*i, *u, *e, , *o, *a再建さいけんする6母音ぼいんせつ有力ゆうりょくである[17][18]上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいにおけるo2(オだんおつるい)はさかのぼる。上代じょうだい日本語にほんご琉球りゅうきゅう祖語そご上代じょうだい東国とうごく方言ほうげんなどとの比較ひかくから、にち琉祖*e*oのうちの一部いちぶは、上代じょうだい日本語にほんご中央ちゅうおう)でそれぞれi1u合流ごうりゅうしたとみられる[19][18][17]。また上代じょうだい日本語にほんごにはアマ/アメおつあめ)、ウハ/ウヘおつうえ)のようなae2(エだんおつるい)の母音ぼいん交替こうたい多数たすうあり、e2由来ゆらいとして*ai再建さいけんされている。同様どうようi2(イだんおつるい)の由来ゆらいとして*əi*oi*uiといった重母音じゅうぼいん再建さいけんされている[9][18]

にち琉祖子音しいんには、*p, *t, *k, *m, *n, *s, *r, *w, *j再建さいけんされている[20]日本語にほんご濁音だくおんは、鼻音びおん+阻害そがいおん子音しいん連続れんぞく由来ゆらいするとかんがえられている[20][9]

起源きげん原郷はらごう[編集へんしゅう]

Whitman2011主張しゅちょうされる、にち琉語ぞく朝鮮ちょうせん語族ごぞく話者わしゃ移動いどう

五十嵐いがらし陽介ようすけ上記じょうきのようににち琉語ぞく下位かい系統けいとう拡大かくだいひがし日本語にほんごみなみ日本語にほんご提案ていあんしており、この分岐ぶんき仕方しかたからにち琉語ぞく原郷はらごう (homeland)愛知あいちけん岐阜ぎふけんから九州きゅうしゅう北部ほくぶまでのどこかだったとみている[21]

一方いっぽうにち琉語ぞく日本にっぽん列島れっとうはなされるようになるよりまえ段階だんかいについては、にち琉語ぞく話者わしゃ弥生やよいじん)が紀元前きげんぜん700ねん~300ねんごろ朝鮮半島ちょうせんはんとうから日本にっぽん列島れっとう移住いじゅうし、最終さいしゅうてき列島れっとう先住せんじゅう言語げんご縄文じょうもん)にってわったとするせつひろれられている[22][23]

朝鮮半島ちょうせんはんとうにおけるにち琉語ぞく話者わしゃ集団しゅうだん無文むもん土器どき文化ぶんかになであったというせつ複数ふくすう学者がくしゃから提唱ていしょうされている[24][25][26][27][28]。これらのせつによれば、古代こだい満州まんしゅう南部なんぶから朝鮮半島ちょうせんはんとう北部ほくぶにかけての地域ちいき確立かくりつされた朝鮮ちょうせん語族ごぞくぞくする言語げんご集団しゅうだん北方ほっぽうから南方なんぽう拡大かくだいし、当時とうじ朝鮮半島ちょうせんはんとう中部ちゅうぶから南部なんぶ存在そんざいしていた琉語ぞく集団しゅうだんわっていったとしている。この過程かてい南方なんぽういやられるかたちとなった琉語ぞく話者わしゃ集団しゅうだん弥生やよいじんであるとされる。

この朝鮮ちょうせん語族ごぞく話者わしゃ拡大かくだいおよにち琉語ぞく話者わしゃえがきた時期じきについては諸説しょせつある。ジョン・ホイットマン宮本みやもと一夫かずおらは山東さんとう半島はんとうから朝鮮半島ちょうせんはんとう南部なんぶ移住いじゅうした琉語ぞく話者わしゃ無文むもん土器どき時代じだいすえまで存続そんぞくし、琵琶びわがた銅剣どうけん使用しよう代表だいひょうされる朝鮮半島ちょうせんはんとう青銅器せいどうき時代じだい朝鮮ちょうせん話者わしゃわったとしている[27][29]

一方いっぽうアレキサンダー・ボビン朝鮮半島ちょうせんはんとうさんこく時代じだいにおいて高句麗こうくりから朝鮮ちょうせん語族ごぞく話者わしゃ南下なんかし、百済くだらしんなどの国家こっか設立せつりつするまで朝鮮半島ちょうせんはんとう南部なんぶではにち琉語ぞく話者わしゃ存在そんざいしていたとする[25]。また、べつ発表はっぴょうでは、にち琉語ぞくオーストロアジア語族ごぞくまたはタイ・カダイ語族ごぞくあいだ接触せっしょく痕跡こんせきがあることから、にち琉語ぞくの(朝鮮半島ちょうせんはんとうよりさらに過去かこの)中国ちゅうごく南部なんぶであり、“Altaic”ではないと主張しゅちょうしている[30][23]

ユハ・ヤンフネンは、言語げんご伝播でんぱひと移動いどうかならずしも一致いっちしないとことわったうえで、にち琉祖はまずシナ・チベット語族ごぞく影響えいきょうけたとし、その場所ばしょ中国ちゅうごくから朝鮮半島ちょうせんはんとうへのルートを考慮こうりょすると、可能かのうせいとしてげられるのは山東さんとう半島はんとう長江ながえデルタではないかとした。そして朝鮮半島ちょうせんはんとう移動いどうしたのちで「アルタイ」され、その日本にっぽん列島れっとうはいったとした。そして日本にっぽん列島れっとう多少たしょうの「縄文じょうもん」をけたとした。また朝鮮半島ちょうせんはんとうのこった日本語にほんご(パラ日本語にほんご)話者わしゃ代表だいひょうれいとして百済くだら言語げんごげた[31]

マーティン・ロベーツは、ぜん6〜5千年紀せんねんき以降いこう山東さんとう半島はんとうだい汶口文化ぶんかなどと交流こうりゅうのあった遼東りゃおとん半島はんとうこうくぼ遺跡いせき文化ぶんかにち琉祖ではないかとしており、この交流こうりゅうつうじてだい汶口文化ぶんかからオーストロネシア語族ごぞく影響えいきょうがあったのではないかとした[32]。さらにぜん3300ねんごろ水稲すいとう稲作いなさく朝鮮半島ちょうせんはんとうつたわり、無文むもん土器どき文化ぶんか成立せいりつした。朝鮮半島ちょうせんはんとうひがし南部なんぶでは水稲すいとう稲作いなさく普及ふきゅうすすまず、この文化ぶんかまえ3千年紀せんねんき九州きゅうしゅうつたわって弥生やよい文化ぶんか成立せいりつし、日本にっぽん列島れっとうにち琉語ぞくひろまったとした[33][32]。ただしロベーツらのトランス・ユーラシア語族ごぞくへはいくつかの批判ひはんがある[34][35]

大陸たいりく倭語わご[編集へんしゅう]

さん国史こくし』にしるされた地名ちめいとその意味いみから、古代こだいにはにち琉語ぞく系統けいとうてき関連かんれんする言語げんご朝鮮半島ちょうせんはんとうでもはなされていたというせつがある[27][36]

分岐ぶんきとそれ以降いこう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Pellard 2020, p. 9, Pellard 2024, §2
  2. ^ 中本なかもと 1976.
  3. ^ Thorpe 1983.
  4. ^ Vovin 2017, §2.
  5. ^ 五十嵐いがらし 2021, pp. 20–21.
  6. ^ Pellard 2024.
  7. ^ Celik & 木部きべ 2019, pp. 5–8.
  8. ^ a b Pellard 2016, §1.1.
  9. ^ a b c Pellard 2019.
  10. ^ 平子ひらこ & Pellard 2013, §2.5, §6.
  11. ^ Pellard 2015, Pellard 2021.
  12. ^ Pellard 2013, §3.
  13. ^ 五十嵐いがらし 2018, 五十嵐いがらし 2021.
  14. ^ Pellard 2021, §3.
  15. ^ はやし & ころもはたけ 2021, 脚注きゃくちゅう4.
  16. ^ de Boer 2020.
  17. ^ a b Whitman 2016.
  18. ^ a b c Pellard 2016.
  19. ^ Pellard 2008.
  20. ^ a b Whitman 2012.
  21. ^ 五十嵐いがらし 2021.
  22. ^ Vovin 2017.
  23. ^ a b Vovin 2021a.
  24. ^ Bellwood 2013.
  25. ^ a b Vovin 2013.
  26. ^ Lee & Ramsey 2011.
  27. ^ a b c Whitman 2011.
  28. ^ Unger 2009.
  29. ^ Miyamoto 2016.
  30. ^ Vovin, Alexander (2014), “Out of the Southern China? – Some philological and linguistic musings on the Urheimat of the Japonic language family”, XXVIIe Journées de Linguistique - Asie Orientale, https://www.academia.edu/7869241/Out_of_Southern_China 
    VovinAlexander「日本語にほんご起源きげん消滅しょうめつ危機きき言語げんご」『だい5かい人間にんげん文化ぶんか機構きこう日本にっぽん研究けんきゅう功労賞こうろうしょう授与じゅよしき』2015ねんhttps://www.academia.edu/19646207/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%A8%E6%B6%88%E6%BB%85%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E8%A8%80%E8%AA%9E 
  31. ^ Janhunen 2010.
  32. ^ a b Robbeets 2017.
  33. ^ Robbeets et al. 2021.
  34. ^ Vovin 2021b.
  35. ^ Zheng et al. 2022.
  36. ^ 伊藤いとう 2019.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]