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みずうみがつしょう

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みずうみがつしょう』(こげつしょう)は、北村きたむら季吟きぎんあらわした『源氏物語げんじものがたり』の注釈ちゅうしゃくしょである。のべたから元年がんねん1673ねん成立せいりつ。『源氏物語げんじものがたりみずうみがつしょう』(げんじものがたりこげつしょう)とぶこともある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

全体ぜんたいで60かんで、『源氏物語げんじものがたり』55かん(「若菜わかな上下じょうげと「くもかくれ」をともかぞえるため)に、発端ほったん1かん系図けいず天文てんもんほん)1かんとしりつ2かん表白ひょうはく1かんからなる首巻しゅかん構成こうせいされる。「みずうみがつしょう」の名前なまえは『源氏物語げんじものがたりのおこり』にある、紫式部むらさきしきぶ石山寺いしやまでら参詣さんけいし、琵琶湖びわこかぶつきて「須磨すま」のまきから『源氏物語げんじものがたり』をはじめたという伝承でんしょう由来ゆらいする。

源氏物語げんじものがたり』の本文ほんぶん全文ぜんぶん掲載けいさいし、そのわき傍注ぼうちゅう、そのうえ頭注とうちゅう解説かいせつくわえるという形式けいしきっている。くわえて自説じせつ主張しゅちょうするだけでなく、それと対立たいりつする先行せんこうせつについても収載しゅうさいしてあり、基礎きそてき事柄ことがらからほとんどもれなく説明せつめいしてあるため、『源氏物語げんじものがたり』についての知識ちしきくてもこのほんがあればそれだけで『源氏物語げんじものがたり』が理解りかいできるようになっている。

そのため、江戸えど時代じだいつうもっと流布るふした『源氏物語げんじものがたり』のはんであり注釈ちゅうしゃくしょであるとされ、そのも「(『源氏物語げんじものがたり大成たいせい』といった学術がくじゅつてき校本こうほんができる)20世紀せいき前半ぜんはんまでは『みずうみがつしょう』で『源氏物語げんじものがたり』を時代じだいだった」とわれるほど影響えいきょうりょくった。

いわば『みずうみがつしょう』は、中世ちゅうせいまでの『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃくしょ成果せいか集成しゅうせいする性格せいかくち、近世きんせい中期ちゅうきはいると国学こくがくおこり、あらたな視点してん注釈ちゅうしゃくおこなわれるようになる。ゆえに『みずうみがつしょう』までを「きゅうちゅう」、契沖けいちゅうによる『みなもと拾遺しゅうい以降いこうを「しんちゅう」とみなされている。

後年こうねんにも、国学こくがくしゃ賀茂真淵かものまぶちによる『源氏物語げんじものがたり』の注釈ちゅうしゃくしょ源氏物語げんじものがたり新釈しんしゃく』は『みずうみがつしょう』の刊本かんぽんれるかたちあらわされ、最初さいしょ現代げんだい訳者やくしゃだった歌人かじん与謝野よさの晶子あきこも、この『みずうみがつしょう』を底本ていほんにしたとされる。国文学こくぶんがくしゃ折口おりぐち信夫しのぶも『みずうみがつしょう』をもちい、慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく文学部ぶんがくぶでの講義こうぎろく冒頭ぼうとうに「テキストはみずうみがつしょう使用しようする」との一文いちぶんがある(講義こうぎろくはのちに『折口おりぐち信夫しのぶ全集ぜんしゅう(ノートへんだい14かんおよびだい15かん)』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ収録しゅうろく)。現代げんだいでも、NHKラジオだい2放送ほうそうの「古典こてん購読こうどくめい場面ばめんでつづる源氏物語げんじものがたり」(島内とうないけい解説かいせつ、2024ねん4がつから放送ほうそう[1])では、『みずうみがつしょう』の解釈かいしゃくくらべて、ほんきょ宣長のりながの『源氏物語げんじものがたりだましょうくし』(1799ねん刊行かんこう)によるちが解釈かいしゃく紹介しょうかいしている。

源氏物語げんじものがたり』の本文ほんぶん自体じたい先行せんこうする版本はんぽんである『にゅう源氏物語げんじものがたり』や『くびしょ源氏物語げんじものがたり』の本文ほんぶん大筋おおすじいでおり、三条さんじょう西家にしいえほん系統けいとうあお表紙ひょうしほんであるとわれるが、河内かわうちほんべつほん影響えいきょうけているめんおおいとされる。

刊本かんぽん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]