(Translated by https://www.hiragana.jp/)
日馬富士公平 - Wikipedia コンテンツにスキップ

日馬くさま富士ふじ公平こうへい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日馬くさま富士ふじ 公平こうへい
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい やす日馬くさま富士ふじ
本名ほんみょう ダワーニャミーン・ビャンバドルジ
Даваанямын Бямбадорж
愛称あいしょう ヒマ、アマ
生年月日せいねんがっぴ (1984-04-14) 1984ねん4がつ14にち(40さい
出身しゅっしん モンゴル人民共和国の旗 モンゴルゴビアルタイ
身長しんちょう 186cm
体重たいじゅう 137kg
BMI 39.59
所属しょぞく部屋へや 安治川あじがわ部屋へや伊勢いせはま部屋へや
得意とくいわざ みぎよっつ、
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう だい70だい横綱よこづな
生涯しょうがい戦歴せんれき 827しょう444はい85きゅう(101場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 712しょう373はい85きゅう(78場所ばしょ
優勝ゆうしょう 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう9かい
十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい
さんだん優勝ゆうしょう1かい
序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう1かい
しょう 殊勲賞しゅくんしょう4かい
敢闘かんとうしょう1かい
技能ぎのうしょう5かい
データ
はつ土俵どひょう 2001ねん1がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 2004ねん11月場所ばしょ
引退いんたい 2017ねん11月場所ばしょ
引退いんたい 城西国際大学じょうさいこくさいだいがく国際こくさいアドミニストレーション研究けんきゅう修了しゅうりょうモンゴル小中しょうちゅうだか一貫いっかんこうしんモンゴルにち富士学園ふじがくえん」を設立せつりつ理事りじちょう就任しゅうにん
活動かつどう 特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじんハートセービングプロジェクトでの慈善じぜん活動かつどう
趣味しゅみ ゴルフ油絵あぶらえ
備考びこう
金星かなぼし1個いっこあさあおりゅう1個いっこ
2017ねん11月30にち現在げんざい

日馬くさま富士ふじ 公平こうへい(はるまふじ こうへい、1984ねん4がつ14にち - )は、モンゴルこくゴビアルタイ出身しゅっしん伊勢いせはま部屋へや入門にゅうもん安治川あじがわ部屋へや)に所属しょぞくしていたもと大相撲おおずもう力士りきしだい70だい横綱よこづな2012ねん11月場所ばしょ - 2017ねん11月場所ばしょ)。

本名ほんみょうダワーニャミーン・ビャンバドルジ[ちゅう 1]モンゴルキリル文字もじ表記ひょうきДаваанямын Бямбадоржラテン文字もじ転写てんしゃDavaanyamyn Byambadorj )、愛称あいしょうはアマ。2008ねん11月場所ばしょまでの四股しこめいやす 公平こうへい(あま こうへい)。「公平こうへい」のは、自身じしんが「日本にっぽんちち」とした後援こうえん会長かいちょう小巻こまき公平こうへいにちなんだ。

実際じっさいまれそだったところはウランバートル市内しないであるが、取組とりくみまえ場内じょうないアナウンスでは実父じっぷレグジーブーギーン・ダワーニャムモンゴルばん出身しゅっしんであるゴビ・アルタイけん自身じしん出身しゅっしんとしていた[ちゅう 2]身長しんちょう186cm、体重たいじゅう137kg、血液けつえきがたはOがた得意とくいしゅみぎよっつ、り。

インタビューのさい口癖くちぐせは「おきゃくさんをよろこばせるはげしい相撲すもうをとりたい」。きな言葉ことばは「全身全霊ぜんしんぜんれい」「なんでやねん」。2017ねん11月場所ばしょこう引退いんたいいろは、引退いんたいくろ

素質そしつくち

幕内まくうちではいちあらそ軽量けいりょう力士りきしであったにもかかわらず、最高さいこう横綱よこづなのぼめた。尊敬そんけいしている力士りきしは、おなじく軽量けいりょうだったもと大関おおぜき初代しょだいたかはな稽古けいこ熱心ねっしん力士りきしとしてられており、ビデオで初代しょだいたかはな相撲すもう研究けんきゅうしていた。2012ねん7がつ場所ばしょつなりの時期じきからはもと横綱よこづな千代ちよ富士ふじ相撲すもう参考さんこうにしていることをしばしばかた[ちゅう 3][1]

非常ひじょう強気つよきめん目立めだ力士りきしであり、物怖ものおじしない言動げんどう随所ずいしょられた。すでさんやく定着ていちゃくしていた2007ねん平成へいせい19ねん)9がつ場所ばしょでは、しん入幕にゅうまくにして優勝ゆうしょうあらそいを展開てんかいする新鋭しんえいごうさかえどう挑戦ちょうせんおくとし大技おおわざ退しりぞけ「さんやくをなめられてはこまる」とさんやく常連じょうれんとしてのプライドをしめした。同年どうねん11がつ場所ばしょにも「全部ぜんぶちたい。ける相手あいてはいないとおもっている」と強気つよき一辺倒いっぺんとう姿勢しせいのぞみ、見事みごと2場所ばしょ連続れんぞくけた勝利しょうりげてだい関取せきとりの足固あしがためをした。2008ねん1がつ場所ばしょまえ横審よこしん稽古けいこ総見そうけんでも復帰ふっきしたあさあおりゅうはくほうりょう横綱よこづなさるいにただ1にんってはいり、あさあおりゅうにぶつかっていくこう意気いきつよさをせるなどした。このような前向まえむきな姿勢しせい場所ばしょごとに力強ちからづよさをくちなどから、強力きょうりょく大関おおぜき候補こうほとして期待きたいされていた。

日馬くさま富士ふじのかつてのブログのタイトルにもあったように「こう勝負しょうぶ」を身上しんじょうとしていた。からだ重心じゅうしんひくところにあるうえに、足腰あしこし非常ひじょうつよく、変化へんかいにくく、土俵際どひょうぎわでのねばりもある。立合たちあするど相手あいてさるようであると形容けいようされており、朝日山あさひやまもと関脇せきわけ琴錦ことにしき)からも絶賛ぜっさんされている[2]現代げんだい力士りきしなかでは相対そうたいてき軽量けいりょうであるにもかかわらず、相撲すもう出足であしするどうでがよくび、相手あいてぐに土俵どひょうがいすことができるほどのちからがあった。まわしをとってのげも、はくほうくだすほどのするどさをほこっていた[3]。また、かた非常ひじょうやわらかく、力士りきしではかんがえられない位置いちからまわしをることができた。たいはくほうせんではとくにこの特徴とくちょう発揮はっきされ、上手じょうずあたえずつづけることもあった。調子ちょうしわる場所ばしょではひくいはおこなわずこし上手じょうずりにげからめていた[4]

大関おおぜき横綱よこづな昇進しょうしんしたころ日馬くさまとみは、みぎからのはなしが強烈きょうれつで、いからはなしで相手あいて圧倒あっとうしてののスピードがあじであった。2017ねん時点じてんではみぎひじの怪我けがからりがおもうようにできないものの、立合たちあいのするどさでそれをカバーしていた。どう時点じてんでは、れないときぜんまわしをって対処たいしょしていた[2]

大関おおぜき昇進しょうしんまえこう勝負しょうぶのイメージを逆手さかてり、立合たちあいの変化へんか使つかことおおかった。2005ねん平成へいせい17ねん)11月場所ばしょ9にちきん欧州おうしゅう当時とうじせんではけたものの、「変化へんかはしたくなかった。これからも対戦たいせんする相手あいてだから」とかたるなどこう勝負しょうぶをにおわせる発言はつげんをしていた。相手あいて変化へんか警戒けいかいしないので非常ひじょうまりやすいため、[5]実際じっさいにはおおくのみで変化へんかもちいていた。また2008ねん9がつ場所ばしょは12しょうげたが、ちにいく相撲すもうっていたために変化へんか目立めだっており、客席きゃくせきからもややかなこえがあったと夕刊ゆうかんフジ取材しゅざいこたえている[6]。ところが、大関おおぜきりとなったよく11がつ場所ばしょでは、変化へんかもちいることなく13しょうし、大関おおぜき昇進しょうしんたしている[7]。しかしながら、2009ねん5がつ場所ばしょでは11にちまれぜいさとせん立合たちあ変化へんかとったり勝利しょうりおさめるなど、大関おおぜきとなったのち完全かんぜん変化へんかてたわけではなかった。この取組とりくみでは、全勝ぜんしょうと1はい対戦たいせん熱戦ねっせん期待きたいされていただけに、館内かんない落胆らくたんこえつつまれた。しかし、横綱よこづな昇進しょうしんしてからは変化へんからしい変化へんかかげひそめた。

さんやく定着ていちゃくころから上位じょういじんには闘志とうしをむきしにしてつよさを発揮はっきするものの、とき同等どうとう以下いか力士りきしにあっさりりこぼしてしまうことがあり、大関おおぜき横綱よこづなになったのちもなお完全かんぜんには改善かいぜんされなかった。

日馬くさまとみはその軽量けいりょう注文ちゅうもん相撲すもうなにより外国がいこくじん力士りきしという境遇きょうぐうあさあおりゅう暴行ぼうこう事件じけん引退いんたいまれたこともあり、当時とうじ外国がいこく人力じんりき昇進しょうしんかんして平素へいそ以上いじょう慎重しんちょう空気くうきがあった)、さらにしばしば上位じょういくるしめる安美やすみにしきおな部屋へや[ちゅう 4]であるためにつなりにさいしてはきびしい意見いけんい、横綱よこづな審議しんぎ委員いいんかい内館うちだて牧子まきこいたっては2009ねん平成へいせい21ねん)7がつ場所ばしょまえに「2場所ばしょ連続れんぞく優勝ゆうしょうすれば横綱よこづな昇進しょうしんというのであれば横審よこしんはいらない」と発言はつげんし、日馬くさま富士ふじつなりにはきわめてこうレベルな成績せいせき要求ようきゅうされた。こうした横審よこしん逆風ぎゃくふうなか2012ねん平成へいせい24ねん)9がつ場所ばしょにて2場所ばしょ連続れんぞく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうめ、見事みごと横綱よこづな昇進しょうしんたした。2場所ばしょ連続れんぞく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうでの横綱よこづな昇進しょうしんは、1994ねん11月の貴乃花たかのはな以来いらいじつに18ねんぶりのことである。

横綱よこづな昇進しょうしん以後いごまえ集中しゅうちゅうりょくするど立合たちあいや素早すばやめではくほう存在そんざいとして角界かくかいっていた。

しかし下位かい力士りきしりこぼすくせ改善かいぜんされておらず、金星きんぼし配給はいきゅうしてしまうことおおかった。

とくに3にち日馬くさま富士ふじにとって「鬼門きもん」とわれており、とく平成へいせい28ねん春場所はるばしょから平成へいせい29ねん春場所はるばしょいたるまで、じつに7場所ばしょちゅう6場所ばしょで3にち黒星くろぼしきっしている。平成へいせい29ねん夏場所なつばしょでは勝利しょうりしている。

ぎゃく場所ばしょすすむにつれて調子ちょうしげていく傾向けいこうがあり、平成へいせい28ねん名古屋なごや場所ばしょのように序盤じょばん中盤ちゅうばん平幕ひらまく相手あいてほしとしていながら、優勝ゆうしょうあらそいを展開てんかいする相手あいて直接ちょくせつ対決たいけつみずかきずりろし、優勝ゆうしょうをさらうこともあった。調子ちょうしなみはげしい部分ぶぶんがあり、いときは横綱よこづな昇進しょうしんした場所ばしょのように全勝ぜんしょうして相手あいて圧倒あっとうしていくが、調子ちょうしわる場所ばしょでは序盤じょばんおおきくほしとしてしまうことも散見さんけんされた。

優勝ゆうしょう回数かいすう9かい、うち全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう3かい歴代れきだい横綱よこづな比較ひかくしても上位じょうい記録きろくだが、ぜん6場所ばしょのうち、春場所はるばしょだけ優勝ゆうしょう経験けいけんがない(ただし序ノ口じょのくちさんだん優勝ゆうしょうしたのは3がつ場所ばしょである。)。

来歴らいれき

警察官けいさつかんであり、ブフ(モンゴル相撲すもう)の国家こっかザーン(大相撲おおずもうでの関脇せきわけ相当そうとう)だった父親ちちおやもとで、3にん兄弟きょうだいすえとしてそだつ。幼少ようしょうからあに相撲すもうることがあそびで、あにけてもくやしがるけんつよ子供こどもであった。ウランバートル柔道じゅうどうクラブにもかよっており、あさあおりゅうあさあかりゅうどき天空てんくうらと稽古けいこした。

一方いっぽう現在げんざい趣味しゅみ絵画かいがではこのころつくえすわってなに時間じかんだまってえがつづけていた、という集中しゅうちゅうりょくのあるいちめんもあり、小学校しょうがっこう時代じだいにはのコンクールで入賞にゅうしょうした経験けいけんもある。15さいときにははやくも個展こてんひらいた[8]

旭鷲山きょくしゅうざん活躍かつやくをテレビでて、2000ねん7がつに、旭鷲山きょくしゅうざん部屋へや先輩せんぱいにあたる安治川あじがわ親方おやかたモンゴルひらいた相撲すもう大会たいかい出場しゅつじょう全体ぜんたいで100にんちかくいた日本にっぽん大相撲おおずもう志願しがんしゃなかで、かれ成長せいちょうよくかんじた親方おやかたがスカウト[9][1]父親ちちおやが「うちのいてもかえらないから大丈夫だいじょうぶです」と親方おやかたい、これをいた親方おやかた即決そっけつした[9]

入門にゅうもん

2001ねん平成へいせい13ねん)1がつに「やすうま」(あま)の四股しこめいはつ土俵どひょうみ、よく3がつ場所ばしょ平成へいせい13ねん春場所はるばしょ)ではやくも序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう西にし29まい・7しょう0はい)をたした[10]。その平成へいせい13ねん春場所はるばしょでは10日とおか(2001ねん3がつ20日はつか)におこなわれた序ノ口じょのくち取組とりくみまつ部屋へや序ノ口じょのくち三池山みいけやま引退いんたいの2004ねん大牟田おおむた4にん殺害さつがい事件じけん逮捕たいほ起訴きそされ死刑しけい確定かくてい福岡ふくおか拘置こうちしょ収監しゅうかんちゅう)と対戦たいせんして上手じょうず勝利しょうりしている[10]

2002ねん3がつ場所ばしょにはさんだん優勝ゆうしょう西にし14まい・7しょう0はい)をたした。2004ねん3がつ場所ばしょにはぜん相撲すもうから20場所ばしょしんじゅうりょうめた。同年どうねんの9がつ場所ばしょには11しょう4はいじゅうりょう優勝ゆうしょうたした[1]

入幕にゅうまく

よく11がつ場所ばしょしん入幕にゅうまくで、13にちきたかちりょくやぶ見事みごとした。2005ねん1がつ場所ばしょでは、13にちおなじモンゴル出身しゅっしんあさあかりゅうやぶってしをめていたものの、よく14にち前半ぜんはんせん取組とりくみいためたていこつ部分ぶぶんの「臀部でんぶ膿瘍のうよう」(でんぶのうよう)との診断しんだんけ、入門にゅうもん以来いらいはじめて休場きゅうじょうとどけした。よく3がつ場所ばしょ成績せいせきは9しょう6はいと2けた勝利しょうりにはおよばなかったものの、相撲すもう内容ないようたか評価ひょうかされて技能ぎのうしょうはじめて受賞じゅしょうした。7がつ場所ばしょでは6しょう9はい幕内まくうちはつとなる[1]。9月場所ばしょは3にちあさあおりゅう横綱よこづな土俵入どひょういで、はじめて露払つゆはらつとめている(この露払つゆはらきたかちりょく太刀持たちも高見たかみもり対戦たいせんまれたため。)。

2006ねん1がつ場所ばしょ13にちぜん場所ばしょはつ対戦たいせんおくらった相手あいてであるあさあおりゅう上手じょうずやぶり、はじめての金星かなぼした。この金星きんぼしは、あさあおりゅうにとって幕内まくうち戦績せんせき100はいだった。よく3がつ場所ばしょひがし前頭まえがしら2まいがって魁皇かいおうきん欧州おうしゅうの2大関おおぜきをそれぞれ足取あしどくだして8しょう7はいし、2度目どめ技能ぎのうしょう受賞じゅしょうした。よく5がつ場所ばしょしん小結こむすび射止いとめたが、4しょう11はい大敗たいはいわった。2006ねん9がつには平幕ひらまく中位ちゅういながら11しょう4はい成績せいせきげる優勝ゆうしょう次点じてん好成績こうせいせきで、はじめての(そして唯一ゆいいつの)敢闘かんとうしょうけた[1]

2007ねん1がつ場所ばしょ、14にちあさあおりゅうほし1つのっていたゆたかしま小褄こづままりしゅやぶる「援護えんご射撃しゃげき」をたし、あさあおりゅうの20かい優勝ゆうしょう貢献こうけんした。取組とりくみ支度したく部屋へやもどあさあおりゅう最敬礼さいけいれい部屋へや一門いちもんえたモンゴルじん同士どうしつながりのふかさをせた。自身じしん千秋楽せんしゅうらくまれぜいさとやぶって10しょう5はいけた勝利しょうりげた。よく3がつ場所ばしょ小結こむすび復帰ふっきたし、初日しょにちにそれまで4対戦たいせんいちてていなかった千代ちよ大海たいかいはじめてやぶるなどの活躍かつやくで、8しょう7はいさんやくはじめてした。この場所ばしょしん関脇せきわけきんすすむきくが7しょう8はい関脇せきわけポストいたため、よく5がつ場所ばしょしん関脇せきわけとなった。

関脇せきわけ時代じだい

この場所ばしょ千秋楽せんしゅうらくに、12しょうげていたあさあかりゅうやぶり8しょう7はいしをめた。これ以降いこうさんやく定着ていちゃくすることになる。7がつ場所ばしょは7しょう8はいいちてんしで小結こむすびがる。

よく9がつ場所ばしょは、初日しょにち横綱よこづなはくほうとの8度目どめ対戦たいせんくびによりはじめてはくほうやぶったうえに、12にちにはしん入幕にゅうまく優勝ゆうしょうあらそいの単独たんどくトップにっていたごうさかえどうおくとしでやぶった(前述ぜんじゅつ)。みずからも13にち終了しゅうりょう時点じてんはくほうと1につけるがその連敗れんぱいし10しょう5はいわった。しかし横綱よこづなやぶった相撲すもうとう評価ひょうかされて、はじめての殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょうした。ただ、兄弟子あにでし安美やすみにしき同郷どうきょうあさあかりゅうりょう関脇せきわけしたため、関脇せきわけ復帰ふっきらなかった。

よく11がつ場所ばしょは、8にち横綱よこづなはくほう下手へた連勝れんしょうし、2度目どめ殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょうした。ただ、14にちはくほうほし1つのっていた瑠都やぶって、結果けっかてきはくほう優勝ゆうしょう援護えんごしている。この場所ばしょも10しょう5はいであり、連続れんぞくの10しょうでいよいよ大関おおぜきりの機運きうんたかまった[1]

大関おおぜき

はじめての大関おおぜきりの場所ばしょとなった2008ねん1がつ場所ばしょ10日とおか横綱よこづなはくほう上手じょうずげでやぶたいしろおおとり3連勝れんしょうたす(さんやく平幕ひらまく横綱よこづなに3連勝れんしょうは2002ねん~2003ねん貴ノ浪たかのなみ以来いらいさんやく平幕ひらまく横綱よこづなに3場所ばしょ連続れんぞく勝利しょうりは2000ねん魁皇かいおう以来いらい)も、初日しょにちにベテランとち乃洋としくっするなど、この時点じてんすでに6しょう4はいであった。よく11にちどき天空てんくうやぶれて5はいきっしてからは、12にちまれぜいさとせん、13にちまさやませんと2にちつづけて立合たちあいの変化へんかち、2けた勝利しょうりのぞみをつないだものの、14にちあさあかりゅうせんではぎゃく立合たちあ変化へんかからの足取あしどやぶれ6はいきっした。9しょう6はいわり大関おおぜきりはしにもどってしまったが、この場所ばしょただ一白いっぱくおおとりやぶったことが評価ひょうかされ「千秋楽せんしゅうらく結果けっか関係かんけいなくはくほう優勝ゆうしょうすれば受賞じゅしょう」という他力たりき条件じょうけんたすかたちで3場所ばしょ連続れんぞく殊勲賞しゅくんしょう獲得かくとくした[1]

よく3がつ場所ばしょは、11にちに7はいきっがなくなったものの、その4連勝れんしょうし8しょう7はいとして関脇せきわけ維持いじした。つぎの5がつ場所ばしょには10日とおかに4たびはくほうやぶったほかせんだい大海たいかいきん光喜みつよしの2大関おおぜきくだし、9しょう6はいと2けた勝利しょうりとはならなかったものの相撲すもう内容ないよう評価ひょうかされて3度目どめ技能ぎのうしょう獲得かくとくした(殊勲賞しゅくんしょうはこの場所ばしょ優勝ゆうしょうきんおうしゅう唯一ゆいいつをつけた兄弟子あにでし安美やすみにしき)。7がつ場所ばしょは、中日ちゅうにちまで7しょう1はい優勝ゆうしょうあらそいにからむが9にちわかおおとりせん不運ふうんけをきっし、そのさいひだりひざいためた。結局けっきょく10しょう5はいわったが、2場所ばしょ連続れんぞく4度目どめ技能ぎのうしょう受賞じゅしょうをした。よく9がつ場所ばしょでは、2にちつるりゅうまえ苦杯くはいをなめ、10日とおかはくほうせん意地いじけられるも、13にちまで2はい優勝ゆうしょう候補こうほ名前なまえがっていた。しかし14にちごうさかえどうやぶれ3はいきっした。そののうちにはくほうきんおうしゅうって優勝ゆうしょうをさらわれてしまった。それでも、12しょう3はい好成績こうせいせきげたほか、途中とちゅう休場きゅうじょうしたあさあおりゅうから通算つうさん2しょうげるなどはくほう以外いがい上位じょういじん(1横綱よこづな4大関おおぜき)をそうなめしており、4度目どめ殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょうした。そして、ふたた大関おおぜきりの好機こうきむかえることになった[1]

2008ねん11月場所ばしょ最大さいだい焦点しょうてん当然とうぜんやす大関おおぜき昇進しょうしんであった。ところがやすうま序盤じょばんでは精彩せいさいいた。3にちまれぜいさとに、4にちごうさかえどうやぶれ2しょう2はいとなったので、一時いちじだい関取せきとりがあやぶまれた。しかし5にちからはなおり、途中とちゅう休場きゅうじょうした魁皇かいおうのぞ大関おおぜきそうなめにする活躍かつやくせ、12にちには横綱よこづなはくほううごきでまさ下手へたげでくだすなど11連勝れんしょう初日しょにち安美やすみにしきやぶれたはくほうとは2はい千秋楽せんしゅうらくまでなみそう優勝ゆうしょうあらそいをひろげた[1]最終さいしゅうてきに13しょう2はい好成績こうせいせきはくほうとの優勝ゆうしょう決定けっていせんにもつれんだが、1ふん25びょう攻防こうぼうすえに、あたまさえつけながらの強引ごういん上手じょうずげでやぶれて優勝ゆうしょうたせなかった。両者りょうしゃともにちからった熱戦ねっせんに、NHK大相撲おおずもう中継ちゅうけい千秋楽せんしゅうらく解説かいせつしゃだったきた富士ふじも「やすつよくなったなあ」とうなった。

11月26にち、11月場所ばしょ相撲すもう内容ないようたか評価ひょうかされ相撲すもう協会きょうかい臨時りんじ理事りじかい満場一致まんじょういっち大関おおぜき昇進しょうしん決定けってい昇進しょうしん伝達でんたつしきおこなわれ、その四股しこめいやすから日馬くさま富士ふじあらためることが発表はっぴょうされた[1]伝達でんたつしきさいは「つつしんでおいたします。今後こんごも『全身全霊ぜんしんぜんれい』で相撲すもうどう精進しょうじんします。本日ほんじつはありがとうございました」と口上こうじょうべた。

大関おおぜき時代じだい

2009ねん

しん大関おおぜきの2009ねん1がつ場所ばしょでは初日しょにちから4連敗れんぱいきっし、昭和しょうわ以降いこうしん大関おおぜき昇進しょうしん直後ちょくご場所ばしょでの初日しょにちからの連敗れんぱい記録きろくえる。そのは3しょう6はい黒星くろぼし先行せんこうしたあと、10日とおか横綱よこづなしろおおとりやぶっていきおいづき5連勝れんしょうして14にちにようやくにこぎつけた。千秋楽せんしゅうらくでは瑠都にやぶれ、8しょう7はいわった。3月場所ばしょ初日しょにち苦手にがてきんすすむきくやぶれ、大関おおぜき昇進しょうしん2場所ばしょ連続れんぞく黒星くろぼしスタートとなった。2にちからは土俵際どひょうぎわ逆転ぎゃくてん連続れんぞくからくも4連勝れんしょうしたが、中日ちゅうにちまでにきんすすむきくとち煌山つるりゅう平幕ひらまく力士りきしばかり3にんやぶれて5しょう3はいとなり優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくしてしまう。しかし、10日とおかあさあおりゅうやぶり、13にちしをめて10しょう5はいえ、大関おおぜきになってからははじめての2けた勝利しょうりとなった。5月場所ばしょでは初日しょにちから12にちまで自身じしんはつの12連勝れんしょうまえの3がつ場所ばしょからは15連勝れんしょう)を達成たっせいするが、全勝ぜんしょう対決たいけつとなった13にち横綱よこづなはくほうせんでは、はくほうすそばらめられはつ黒星くろぼしきっした。だがそのは、14にち横綱よこづなあさあおりゅう千秋楽せんしゅうらく大関おおぜききんおうしゅうくだ自身じしん最高さいこうの14しょう1はいげ、きんおうしゅうやぶれて1はいとなっていたはくほうとの優勝ゆうしょう決定けっていせんにもつれんだ。その優勝ゆうしょう決定けっていせんでは横綱よこづなしろおおとり下手へたげでやぶってほんわり雪辱せつじょくたし、はつ幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょうとげなり[1]伊勢いせはま部屋へやとしてはやく40ねんぶりの優勝ゆうしょう力士りきしとなった。

よく7がつ場所ばしょつなりをけてのぞ場所ばしょとなった。しかし3にち苦手にがてきんすすむきく圧倒あっとうされ、5にちにはおもねらん土俵際どひょうぎわはたきにくっして2はいとなり、のこすべてをって優勝ゆうしょうしないかぎつなりはむずかしくなった。しかし9にち地元じもと場所ばしょ好調こうちょうだったきん光喜みつよしやぶれ、13にちにはあさあおりゅう幕内まくうちでは34ねんぶりとなる見舞みまわれて4はいきっし、ここにつなりはゆめえた。さらにその優勝ゆうしょうあらそしろおおとりきんおうしゅう連敗れんぱいし、9しょう6はいけた勝利しょうりすらたせずに場所ばしょえた。そのも9がつ場所ばしょと11月場所ばしょ発熱はつねつあし怪我けが影響えいきょうもあってともに9しょう6はいとなった。

2010ねん

けて2010ねん1がつ場所ばしょは、早々そうそうに3はいきっしたものの、12にちはくほうくだ活躍かつやくせ13にちまでは1はい単独たんどくトップのあさあおりゅうほし2つでっていたが、14にちあさあおりゅうとの直接ちょくせつ対決たいけつ下手へたげで敗北はいぼくあさあおりゅう優勝ゆうしょう献上けんじょうする羽目はめになってしまった。結果けっか10しょう5はいわったが4場所ばしょぶりのけた勝利しょうりとなった。つづく3がつ場所ばしょ初日しょにちから7連勝れんしょうしたものの、8にち苦手にがてきんすすむきくやぶれてからは失速しっそく、2場所ばしょ連続れんぞくの10しょう5はいだった。よく5がつ場所ばしょ直前ちょくぜんひざいためた影響えいきょうもあってか初日しょにち・2にち連敗れんぱいスタート。その7連勝れんしょうしてなおったかにえたが、10日とおかはつ対戦たいせん白馬はくば不覚ふかくきっし、また終盤しゅうばん3連敗れんぱい結局けっきょく9しょう6はいわった。7がつ場所ばしょひざ怪我けがかんなおせず、序盤じょばん6にちまでに4はいきっするくるしいがりとなったがそのなおし、はくほうにはやぶれたものの、大関おおぜきじんにはち(魁皇かいおうせん不戦勝ふせんしょう)、3がつ場所ばしょ以来いらいけた勝利しょうりとなる10しょう5はいえた。9月場所ばしょ中盤ちゅうばんくずれて優勝ゆうしょうあらそいから後退こうたいし、8しょう7はいわった。11月場所ばしょ場所ばしょまえから体調たいちょう不十分ふじゅうぶんであり、初日しょにちから自分じぶん相撲すもうれずに3連敗れんぱいきっして4にちから休場きゅうじょうした。

2011ねん

自身じしん唯一ゆいいつ大関おおぜき角番かどばんとなった2011ねん1がつ場所ばしょ休場きゅうじょう原因げんいんとなった怪我けが治療ちりょうのため、場所ばしょまえ本格ほんかくてき稽古けいこおくれることとなった。そのため、5にちから連敗れんぱいきっするなど精彩せいさいいたが、13にち魁皇かいおうやぶし、角番かどばん脱出だっしゅつした。最終さいしゅうてきには14にち千秋楽せんしゅうらく連敗れんぱいして8しょう7はいわった。よく5がつ技量ぎりょう審査しんさ場所ばしょでは中日ちゅうにちまでで4しょう4はい苦戦くせんしたが後半こうはんは6しょう1はいおおきくし10しょう5はいけた勝利しょうりげ、12にちきんすすむきくせん連敗れんぱいを6でめ、13にちはくほう連勝れんしょうめるなど存在そんざいかんせた。

7がつ場所ばしょでは大関おおぜき昇進しょうしん当時とうじおもわせるような立合たちあいのするどさとはやめの相撲すもうもどり、全勝ぜんしょうむかえた14にちに1はいしろおおとりやぶり、はくほうの8場所ばしょ連続れんぞく優勝ゆうしょうはばむと同時どうじ自身じしん2度目どめとなる優勝ゆうしょう千秋楽せんしゅうらくたずしてめた[11][1]。しかし翌日よくじつ千秋楽せんしゅうらくまれぜいさととしでやぶれ、全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうはならなかった。よく9がつ場所ばしょは2009ねん7がつ場所ばしょ以来いらい2ねんぶり2度目どめつな挑戦ちょうせんだったが、場所ばしょまえ臀部でんぶ膿瘍のうよう悪化あっかにより十分じゅうぶん稽古けいこめないまま場所入ばしょいりとなる[12]初日しょにちゆたかしません物言ものいのつくきわどい取組とりくめながら、かろうじてまっての白星しろぼし発進はっしんだったが、2にち隠岐おき海戦かいせんでは土俵際どひょうぎわとされてはつ黒星くろぼし。そのも4にちゆたかしょうせん、5にちごうふうせん不覚ふかく早々そうそう3はいきっし、優勝ゆうしょうあらそいからも完全かんぜん脱落だつらくして2度目どめつなりは消滅しょうめつ。12にちにようやくしをめたが終盤しゅうばん3連敗れんぱいきっして結局けっきょく8しょう7はいわった。よく11がつ場所ばしょ不調ふちょうで7にちに3しょう4はい黒星くろぼし先行せんこう、13にちしたが2場所ばしょ連続れんぞくの8しょう7はいるわなかった。

2012ねん

2012ねん1がつ場所ばしょ初日しょにちから5連勝れんしょうこうスタートをったが、6にちつるりゅう、7にちごうさかえどう連敗れんぱい。11にちには全勝ぜんしょうだった瑠都にやぶれ3はい後退こうたい。12にちには1はいしろおおとりを3場所ばしょぶりにおくしでくだしたが、千秋楽せんしゅうらくしをけたきんすすむきく敗退はいたいして11しょう4はいとまずまずの成績せいせきだった。同年どうねん3がつ場所ばしょ初日しょにちから4連勝れんしょうさき場所ばしょつづいてこうスタートをったが5にちよしみふうやぶれ、7にちつるりゅうやぶれ2はい後退こうたい。12にちまで10しょう2はい優勝ゆうしょうあらそいにくわわっていたが、13にち瑠都にされて3はいとなり優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらく、2場所ばしょ連続れんぞくの11しょう4はいだった。5月場所ばしょりこぼしがおおく(とく大関おおぜきせんでは瑠都にしかてなかった)、千秋楽せんしゅうらくむすびにはくほうってようやく8しょう7はいしをめた。7がつ場所ばしょ初日しょにちから14連勝れんしょう千秋楽せんしゅうらくむかえ、おなじく14せん全勝ぜんしょう[13]はくほうち、自身じしんはつ全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょうは6場所ばしょぶり3かい)をたした。7がつ場所ばしょ千秋楽せんしゅうらく取組とりくみでは、はくほうみぎしをねらったが日馬くさまとみひだりからおっつけてゆるさず、1みぎからこして左上ひだりうえしゅってあたまをつけてみぎ下手へたる。はくほうひだりからおっつけてようとしたが。日馬くさまとみひだり上手じょうずげからのりをめた[14]。9月場所ばしょ自身じしん3度目どめつな挑戦ちょうせんとなった。この場所ばしょ初日しょにちから14連勝れんしょう好調こうちょうで、千秋楽せんしゅうらくに1はいっていたはくほう熱戦ねっせんすえ下手へたげでやぶり、2場所ばしょ連続れんぞく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうたした。大関おおぜきでの2場所ばしょ連続れんぞく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうは、双葉ふたばさん貴乃花たかのはな以来いらい史上しじょう3にん快挙かいきょ[1]。また、千秋楽せんしゅうらく勝利しょうり連勝れんしょうが31となった。

9月場所ばしょ9月24にち横綱よこづな審議しんぎ委員いいんかいいて出席しゅっせき委員いいん満場一致まんじょういっちにより横綱よこづな推薦すいせんすることを決定けってい事実じじつじょう70にん横綱よこづな誕生たんじょうとなった。よく25にち横綱よこづな土俵入どひょうい師匠ししょう伊勢いせはま親方おやかたあさひ富士ふじ)とおな不知火しらぬいがた決定けっていされた。不知火しらぬいがた横綱よこづな複数ふくすうじん同時どうじ在位ざいいするのは大相撲おおずもう歴史れきしじょうはじめてとなる。なお大関おおぜき在位ざいいすうは22場所ばしょかぞえたが、これはきんさくら武蔵丸むさしまる若乃花わかのはなかち史上しじょう4のスロー昇進しょうしん記録きろくである[1]

2012ねん9月26にち日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎならびに理事りじかいいて、正式せいしき横綱よこづな昇進しょうしん決定けっていされた[15]。それをけて伊勢いせはま部屋へやおこなわれた昇進しょうしん伝達でんたつしきでは日馬くさまとみは「横綱よこづな自覚じかくして、全身全霊ぜんしんぜんれい相撲すもうどう精進しょうじんします」と使者ししゃたいして口上こうじょうべ、「いちにちいちにちしっかりときたい」と、角界かくかい最高さいこうについたものとして意気込いきごみをかたった[16]

横綱よこづな時代じだい

2012ねん平成へいせい24ねん)11月場所ばしょより横綱よこづな昇進しょうしんし、16場所ばしょぶりにはくほうとも東西とうざいならかたちとなる。その11月場所ばしょ初日しょにち横綱よこづな土俵入どひょういでは度目どめ四股しこんださいみぎひざえた右手みぎてすべってしまい、会場かいじょうわらいをさそった。解説かいせつしゃきた富士ふじ勝昭かつあきは「初々ういういしい土俵入どひょういり」と表現ひょうげんした。しかしこの場所ばしょは2にち隠岐おきうみやぶはやくも金星かなぼし献上けんじょうしてしまうとともに、平成へいせい24ねん5がつ場所ばしょ千秋楽せんしゅうらくからつづいた連勝れんしょうは「32」でストップした[17]。その白星しろぼしかさね9にちしたものの、終盤しゅうばん11にちから千秋楽せんしゅうらくまで5連敗れんぱい[ちゅう 5]きっしてしまい、1けたぼし[ちゅう 6]の9しょう6はい不振ふしんわった。なおこの場所ばしょまえの10がつ2にちにはみぎみみれて頭痛ずつううったえて病院びょういん診察しんさつけた様子ようすほうじられており、伊勢ケ濱いせがはまいわく「かねてよりの持病じびょうで、としに3、4かいみみうみまる」という[18]

2013ねん

2013ねん平成へいせい25ねん)1がつ場所ばしょぜん場所ばしょから一転いってんして絶好調ぜっこうちょう維持いじし、初日しょにちから順調じゅんちょう白星しろぼしかさねて、14にち通算つうさん5かいおよ横綱よこづな昇進しょうしんはつ幕内まくうち優勝ゆうしょうめた。千秋楽せんしゅうらくはくほうやぶって、自身じしん3度目どめの15せん全勝ぜんしょうめくくった。

3がつ場所ばしょはじめてひがし横綱よこづな地位ちいいたが、3にち前頭まえがしら筆頭ひっとう髙安とされて連勝れんしょうは17でストップ。さらにどう2まい千代ちよ大龍おおたつに、どう4まいゆたかしま次々つぎつぎやぶれ、はやくも中日ちゅうにち平幕ひらまく3にん金星きんぼし配給はいきゅうしてしまう。11にち関脇せきわけごうさかえどうせんすも13にちから3連敗れんぱい横綱よこづな3場所ばしょで2度目どめの9しょう6はいわった。とく千秋楽せんしゅうらくでははくほうたいし、史上しじょう最多さいたとなる9度目どめ全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうゆるしてしまった。なお15にちせい(1949ねん5がつ場所ばしょ以降いこう横綱よこづな昇進しょうしん3場所ばしょすべ皆勤かいきんうち2場所ばしょが1けた勝利しょうり横綱よこづなは、日馬くさまとみ史上しじょうはじめてとなる[19][20]

5月場所ばしょりょう足首あしくびつうみぎひじの不調ふちょう稽古けいこ不足ふそく状態じょうたいのままむかえ、早々そうそう2にち前頭まえがしら筆頭ひっとう妙義みょうぎりゅうされてふたた金星きんぼし献上けんじょう。さらに5にち小結こむすびとち煌山に肩透かたすかしでやぶ序盤じょばんで2はいきっしてしまった[21]。そのおおむなおっていったが、12にちにはまれぜいさとりで完敗かんぱいして3はいとなり優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらく千秋楽せんしゅうらくはくほうられて11しょう4はいにとどまった。7がつ場所ばしょも3にち目高めだかやす早々そうそう金星きんぼし配給はいきゅう中盤ちゅうばん3連敗れんぱいきっし10にちで6しょう4はいとなり、途中とちゅう休場きゅうじょう危惧きぐされたがそのなおり、千秋楽せんしゅうらくはくほうを3場所ばしょぶりに一方いっぽうてきしてかろうじてけた勝利しょうりの10しょう5はいせた。

9月場所ばしょも、2にち早々そうそう前頭まえがしら筆頭ひっとうまつおおとりさんされて金星きんぼし供給きょうきゅうはつ黒星くろぼし。4にちには前頭まえがしら2まいあおやまにもされてしまい、自身じしん9金星かなぼし配給はいきゅうした。その7連勝れんしょうしたものの12にちまれぜいさとよく13にちきんすすむきくりょう大関おおぜき連敗れんぱい優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくした。千秋楽せんしゅうらくはくほうやぶれて2場所ばしょ連続れんぞくの10しょう5はいわった。とはいえ9がつ30にち横審よこしんによる定例ていれいかいでは、あしのけがをかかえて序盤じょばんに2はいしたものの皆勤かいきんしてかえしたことが評価ひょうかされ、内山うちやまひとし委員いいんちょうが「来年らいねんいっぱいまで激励げきれいせずちょうてき見守みまもる」と説明せつめいしたのをはじめとして横審よこしんない同情どうじょうてき意見いけんおおせられた[22]

11月場所ばしょは、4にち師匠ししょう伊勢いせはま検査けんさのために休場きゅうじょうしただけでなく当初とうしょのう梗塞こうそくうたがいも報道ほうどうされる(検査けんさ結果けっかこうあぶらしょう)といったおだやかでない状況じょうきょうかれたなか[23]療養りょうようちゅう師匠ししょう元気げんきづける活躍かつやくたした。初日しょにちから12連勝れんしょう久々ひさびさかい進撃しんげきつづけ、13にち大関おおぜきまれぜいさとられてはつ黒星くろぼしきっしたが、はくほうも14にちまれぜいさとやぶれたことにより千秋楽せんしゅうらく横綱よこづな対決たいけつは1はい同士どうしあいほし決戦けっせんとなった。その一番いちばん正面しょうめん土俵どひょうはくほうみ、たまらずはくほうあしたわらったのを勝負しょうぶ審判しんぱん鏡山かがみやま)がげ、行司ぎょうじ木村きむらしょうすけ両者りょうしゃうごきをめて日馬くさま富士ふじ軍配ぐんばいげた。これにより1がつ場所ばしょ以来いらいとなる6かい幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょうたした。

2014ねん

2014ねん平成へいせい26ねん)1がつ場所ばしょ直前ちょくぜんには2013ねん下旬げじゅんにおいてランニングの最中さいちゅうすべってあしねじった[24]ことが原因げんいん慢性まんせいてきかかえていたひだり足首あしくびつうちがけられ靭帯じんたい損傷そんしょうまでうたがわれる段階だんかいまで悪化あっかしているとほうじられ、その時点じてんひだり足首あしくび状態じょうたいについて伊勢いせはまも「本当ほんとうならギプスをしないといけない。靭帯じんたいだんきれしている部分ぶぶんもある。(3がつ春場所はるばしょまでに)なおして、体調たいちょうととのえてやらなきゃいけない」とはなしていた。2014ねん1がつ8にち明治めいじ神宮じんぐうでの奉納ほうのう土俵入どひょういりに参加さんかしたものの[25]結果けっかとしてこの1がつ場所ばしょ初日しょにちから全休ぜんきゅうするはこびとなった[26]自身じしんにとってはつ土俵どひょう以来いらいはじめての全休ぜんきゅうであり、ぜん場所ばしょ優勝ゆうしょう力士りきし休場きゅうじょうは2007ねん7がつ場所ばしょ優勝ゆうしょう巡業じゅんぎょうやすんでサッカーにきょうじ、2場所ばしょ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんけたあさあおりゅう以来いらいとなる[27][ちゅう 7]

休場きゅうじょうけの3がつ場所ばしょまえ出稽古でげいこではつるりゅう圧倒あっとうされる[28]など、状態じょうたいけっして万全ばんぜんとはえなかったが、初日しょにちから11連勝れんしょう無敗むはいはくほうとともに優勝ゆうしょうあらそいの先頭せんとうはしっていた。しかし12にちつるりゅうおくされはつ黒星くろぼしきっし、13にちごうさかえどうせんやぶれた。そして14にちきんすすむきくのがぶりりにくっし3はいきっし、優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくした。千秋楽せんしゅうらくむすびの一番いちばんはくほうたおしたが、同時どうじ自分じぶんについた。軍配ぐんばい日馬くさま富士ふじがったが、物言ものいいのすえなおしに。なおしの一番いちばんはくほうやぶり、12しょう3はい場所ばしょえた。

よく5がつ場所ばしょだい71だい横綱よこづなつるりゅうただ横綱よこづな土俵入どひょういりは雲竜うんりゅうがた選択せんたく)が昇進しょうしんし3横綱よこづなとなったが、横綱よこづな3にん全員ぜんいんはくほう日馬くさま富士ふじつるりゅう)がモンゴル出身しゅっしん力士りきしとなるのは大相撲おおずもう史上しじょうはじめてとなる。同年どうねん9がつ場所ばしょは4にちよしみふうせんまげつかみによる反則はんそくけをきっし、これにより横綱よこづな地位ちいで2反則はんそくけという史上しじょうはつ不名誉ふめいよ記録きろくのこしてしまった[29]。11月場所ばしょは11しょう4はいとまずまずの成績せいせきおさめたが、千秋楽せんしゅうらく翌日よくじつである11月24にちひらかれた横審よこしん会合かいごうでは「横綱よこづなたるもの2はいわるくても3はいでしょう」と厳格げんかく評価ひょうかくだされた[30]

2015ねん

2015ねん1がつ場所ばしょはくほうらととも初日しょにちから6連勝れんしょうも、7にちつねさいわいりゅうはつ黒星くろぼし。11にちにはあおやまにもやぶれ、13にちつるりゅう、14にち目白めじろほう連敗れんぱいし11しょう4はい。3月場所ばしょは3にちいっしろせんはやくも黒星くろぼし、8にちとちこころ、9にちゆたかしまと2にち連続れんぞく不覚ふかく優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくし、結局けっきょく10しょう5はいに。よく5がつ場所ばしょも12にちまですでに4はいきっまた優勝ゆうしょうあらそいから蚊帳かやそとだったが、千秋楽せんしゅうらくにモンゴル出身しゅっしんどう伊勢いせはま部屋へや弟弟子おとうとでし当時とうじ関脇せきわけあきら富士ふじ最後さいごまで優勝ゆうしょうあらそったはくほう千秋楽せんしゅうらくたおし、あきら富士ふじ幕内まくうちはつ優勝ゆうしょうどう場所ばしょ大関おおぜき昇進しょうしんのアシストに貢献こうけんたした。なお優勝ゆうしょうパレードの旗手きしゅ優勝ゆうしょう力士りきしより番付ばんづけしたものつとめるのが通例つうれいであるが、日馬くさまとみみずか志願しがんして旗手きしゅつとめた。

その5月場所ばしょ5月26にち慢性まんせいしたみぎひじ遊離ゆうり関節かんせつ(ねずみ)の手術しゅじゅつ決行けっこう5月31にちには九重ここのえ親方おやかただい58だい横綱よこづな千代ちよ富士ふじ)の還暦かんれき土俵入どひょうい露払つゆはらいをつとめた。つぎの7がつ場所ばしょ強行きょうこう出場しゅつじょうしたが、初日しょにち妙義みょうぎりゅうちながらも手術しゅじゅつしたみぎひじを土俵どひょうしたたかにけてしまい、2にちより「みぎひじ外側そとがわがわふく靱帯じんたい損傷そんしょうで、やく1かげつ安静あんせいきゅうつとむ加療かりょうようす」との診断しんだんしょ提出ていしゅつして途中とちゅう休場きゅうじょうよく9がつ場所ばしょみぎひじ怪我けが回復かいふくおもわしくないため初日しょにちから全休ぜんきゅうとなった。

11月場所ばしょは2にちだい砂嵐すなあらしやぶれ、2013ねんなら自己じこワースト8通算つうさん23金星きんぼしゆるす。その連勝れんしょうし、13にちはくほうたおしでやぶはくほうと1はいならぶ、14にち弟弟子おとうとでしあきら富士ふじはくほうりでやぶ援護えんご射撃しゃげきたすなど優勝ゆうしょうあらそいの先頭せんとうつ。千秋楽せんしゅうらくまれぜいさとりでやぶれたが、2はいっていたはくほうまつおおとりさんがいずれもやぶれ、2ねんぶり7かい幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょうめた。優勝ゆうしょうパレードは同年どうねん5がつ場所ばしょ優勝ゆうしょうあきら富士ふじ旗手きしゅつとめた。

2016ねん

2016ねん1がつ場所ばしょ自身じしん横綱よこづなとしてはつの2連覇れんぱねらうも、二日ふつかまつおおとりさんせんですくいげをって黒星くろぼしきっす。12にち、1無敗むはい大関おおぜききんすすむきくどう場所ばしょで10ねんぶりの日本にっぽん出身しゅっしん力士りきしとして幕内まくうち優勝ゆうしょう達成たっせい)と直接ちょくせつ対戦たいせんとなったが、とされて2はい優勝ゆうしょうあらそいからいち後退こうたい。この敗戦はいせん通算つうさん400はいきっした。14にちにもつるりゅう小手こてげでやぶれるも、千秋楽せんしゅうらくでははくほう勝利しょうりして12しょう3はい成績せいせきとどまった。

春場所はるばしょでは3にち前頭まえがしら筆頭ひっとうにまでがってきた新鋭しんえいきんいさむあきらされ、通算つうさん25金星きんぼし配給はいきゅうとなってしまう。そのひざ状態じょうたいかんばしくなく、6にちよしみふうとしでやぶれる。2横綱よこづなにもいいところなくやぶれ、横綱よこづなとなってからは3かいとなる9しょう6はいえた。千秋楽せんしゅうらくはくほう優勝ゆうしょうめたため。5月場所ばしょは、12にちまで2はいをキープし、優勝ゆうしょう可能かのうせいのこしていたが、13にちつるりゅうやぶれて優勝ゆうしょう可能かのうせい消滅しょうめつ。その連敗れんぱいして10しょう5はいわった。7がつ場所ばしょは3にち隠岐おきうみたいして金星きんぼし配給はいきゅう。このつるりゅうとち煌山にたいして金星きんぼし配給はいきゅうしており、おなに2つの金星きんぼし配給はいきゅう武蔵丸むさしまる、3代目だいめ若乃花わかのはなやぶれた1999ねん秋場所あきばしょ11にち以来いらい17ねんぶり[31]。9にちまでに平幕ひらまく相手あいてに2はいするも、10日とおか高安たかやす、13にちまれぜいさと優勝ゆうしょうあらそいをしていた力士りきしやぶり、千秋楽せんしゅうらくはくほうやぶって13しょう2はい成績せいせき単独たんどく優勝ゆうしょうたした。4場所ばしょぶり8度目どめ幕内まくうち優勝ゆうしょうとなる。兄弟子あにでし安美やすみにしき負傷ふしょうによりじゅうりょう位置いちした9がつ場所ばしょ幕内まくうちさい古参こさん力士りきしとしてむか[32]、13にちに3はいきっするまで優勝ゆうしょうあらそいをえんじ、場所ばしょ成績せいせきは12しょう3はい。11月場所ばしょでは11しょう4はいわり年間ねんかん最多さいたしょうのがすも、3横綱よこづななか唯一ゆいいつ1年間ねんかん休場きゅうじょうがなかったてん評価ひょうかされ、優勝ゆうしょう2はくほう年間ねんかん最多さいたしょう(69しょう21はい)ながら優勝ゆうしょうのなかったまれぜいさとおさはじめて報知ほうち年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう力士りきししょう受賞じゅしょうした[33]年間ねんかん成績せいせきは67しょう23はいで、最多さいたしょう力士りきし年間ねんかん幕内まくうち勝率しょうりつ下回したまわ力士りきしどうしょう受賞じゅしょうは1975ねん三重みえうみ以来いらい41ねんぶり3れいとなる。

2017ねん

1がつ場所ばしょは5にち隠岐おきうみとの一番いちばん右足みぎあしふとももをいため、6にちはテーピングをして強行きょうこう出場しゅつじょうするも症状しょうじょう悪化あっかし7にちから休場きゅうじょうした。7にちいきおいせん不戦敗ふせんぱいとなった[34]くわしい症状しょうじょうみぎハムストリング肉離にくばなれで全治ぜんちまで1かげつ程度ていど安静あんせい加療かりょうようする見込みこみと診断しんだんされ、日馬くさま富士ふじ休場きゅうじょうは2015ねん秋場所あきばしょ以来いらい7度目どめとなった[35]。2月11にち、NHK福祉ふくし大相撲おおずもう復帰ふっきし、横綱よこづな土俵入どひょういりと取組とりくみおこなった。「順調じゅんちょう回復かいふくしている。春場所はるばしょけて頑張がんばる」とはなした。やく1週間しゅうかんまえから四股しこんでいるという[36]

3がつ場所ばしょは3にちに2はいきっし、4にちには左目ひだりめ付近ふきん負傷ふしょうする[37]など序盤じょばん散々さんざん展開てんかいであったが、13にちまで3はい尻上しりあがりの成績せいせきせた。しかしのこりを連敗れんぱいしたため、結局けっきょくこの場所ばしょは10しょう5はい平凡へいぼんしにわった。4月2にちおこなわれた伊勢神宮いせじんぐう奉納ほうのう大相撲おおずもうでは幕内まくうちトーナメントに参加さんかしたが、ひざ不調ふちょうなどから1回戦かいせんでの敗退はいたいあまんじた[38]

4がつ29にち、30にちの2日間にちかんわたっておこなわれた「ニコニコちょう会議かいぎ場所ばしょ 2017」では幕内まくうち力士りきしによるトーナメントに優勝ゆうしょう賞金しょうきん100まんえんとカップヌードル1ねんぶんおくられた[39]

5月場所ばしょ負傷ふしょう影響えいきょうのこした満身まんしん創痍そういながら相撲すもう好調こうちょう初日しょにちから連勝れんしょう。19場所ばしょぶりの中日ちゅうにち給金きゅうきん記録きろく[40]。9にちあし負傷ふしょうするも[41]そのまま、10連勝れんしょう記録きろく。11にち御嶽おんたけ海戦かいせん土俵際どひょうぎわあしてしまい黒星くろぼし記録きろくする[42]翌日よくじつたかいわ休場きゅうじょうしたため不戦勝ふせんしょうで11しょう記録きろくし、1はい優勝ゆうしょうあらそいをする。しかし、だい関取せきとりを目指めざしていた高安たかやすけるなど連敗れんぱい優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくし14にちはくほう優勝ゆうしょうめられてしまった。千秋楽せんしゅうらくはくほうやぶ結局けっきょく3連敗れんぱいの11しょう4はい場所ばしょえた。しかしこの場所ばしょつるりゅうまれぜいさと休場きゅうじょうしたこともあって、場所ばしょには皆勤かいきんして本場所ほんばしょ土俵どひょう屋台骨やたいぼねささえたことを慰撫いぶする記事きじられた[43]八角はっかく理事りじちょう過去かこ8しょう8はいくちわるよしみふうと7にち対戦たいせんして勝利しょうりした相撲すもうて「いいながれで、いいめぐわせになっている。ひじひざはよくなっていないだろうが、気力きりょくっている」と復調ふくちょうかんじた[43]

7がつ場所ばしょ初日しょにちから連敗れんぱいからだ状態じょうたいわるく、休場きゅうじょう心配しんぱいていたが3にちからは連勝れんしょう復調ふくちょう。7にちには3ねんぶりにくびげをめてきんすすむきくたおしている。本人ほんにんは「きんすすむきくむかしくびめたのをおぼえてる。十両じゅうりょう(04ねん秋場所あきばしょ14にち)で、その場所ばしょ優勝ゆうしょうした。(じゃあ今度こんども?とかれて)ハッハッハッ!」と笑顔えがおせていた[44]。その6連勝れんしょうまで連勝れんしょうばすが9にち宇良うらやぶれて金星きんぼしあたえてしまい、3はい後退こうたい。だが翌日よくじつから連勝れんしょうして11にちしをめた。3はい終盤しゅうばんまで優勝ゆうしょうあらそいにからみ、5連勝れんしょうまで連勝れんしょうばしたがはくほうが1はいまもったため優勝ゆうしょう可能かのうせい消滅しょうめつ。その千秋楽せんしゅうらく熱戦ねっせんすえやぶれるも11しょう4はい場所ばしょえた。千秋楽せんしゅうらく横綱よこづな通算つうさん100はいきっしており、29場所ばしょでの到達とうたつ歴代れきだい横綱よこづな最速さいそく[45]場所ばしょ武蔵川むさしがわのコラムでは、怪我けが影響えいきょう立合たちあけしてされる相撲すもうおおかったと指摘してきされている[46]

9月場所ばしょ横綱よこづな3にん相次あいついで休場きゅうじょうしたためはつ一人ひとり横綱よこづなとしてのぞむ。怪我けが治療ちりょうなどの調整ちょうせい不足ふそくで3にちからきんすすむきくきた勝富かつとみ阿武あぶさきと3連敗れんぱい10日とおかにも景勝けいしょうやぶれ、4金星きんぼし配給はいきゅうするが、一人ひとり横綱よこづなということもあり休場きゅうじょうせず出場しゅつじょうつづける(3にち連続れんぞく金星きんぼし配給はいきゅうは2003ねん名古屋なごや場所ばしょ武蔵丸むさしまる以来いらい[47]通算つうさん4金星きんぼし配給はいきゅうは2001ねん秋場所あきばしょ武蔵丸むさしまる以来いらい[48])。その無敗むはいでトップのごうさかえどうとはほしひとつの千秋楽せんしゅうらくむかえ、直接ちょくせつ対決たいけつほんわり優勝ゆうしょう決定けっていせん連勝れんしょうして9かい優勝ゆうしょうめた。千秋楽せんしゅうらく直接ちょくせつ対決たいけつから1逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうは、日馬くさま富士ふじ以前いぜんに10れいあるが、4金星きんぼし配給はいきゅうした横綱よこづな優勝ゆうしょうしたのは史上しじょうはつ[49]。11しょうでの幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょうは15にちせい定着ていちゃく以来いらい3度目どめであり[50]、11にち終了しゅうりょう時点じてんでついた3をひっくりかえしての優勝ゆうしょう史上しじょうはつであった。場所ばしょサンデースポーツなま出演しゅつえんでは杉浦すぎうら友紀ゆきキャスターのいにたいして「おかみさんになにがあってもじゅうにちつとめてくださいとわれました。ささえていただいたほう気持きもちにこたえたかったです」と感謝かんしゃ言葉ことばくちにした。さらに若手わかて台頭たいとうについて「あたらしい時代じだいてほっとしています。わかがってくると気合きあいがはいります。せいいっぱいつとめてつぎ世代せだいわたしたいともおもっています」と大相撲おおずもうしん時代じだいにな力士りきし養成ようせいへのおもいもかたった[51]

11月場所ばしょ初日しょにちから2連敗れんぱいしたのちに3にちから後述こうじゅつ暴行ぼうこう問題もんだいにより途中とちゅう休場きゅうじょう[52]

引退いんたい

2017ねん11月29にち日馬くさまとみ日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいによる処分しょぶん決定けっていたずして協会きょうかい引退いんたいとどけ提出ていしゅつ。この午後ごご2福岡ふくおかけん太宰府だざいふ市内しない記者きしゃ会見かいけんおこなわれ「たかいわせきにケガをさせたことにたいし、横綱よこづなとしての責任せきにんかんじました」とはな引退いんたい表明ひょうめいした[53][54]

会見かいけんには日馬くさま富士ふじ師匠ししょうである伊勢いせはま同席どうせきし、会見かいけん冒頭ぼうとう日馬くさま富士ふじ引退いんたい説明せつめいしたさいにはなみだせていたが、会見かいけん後半こうはんには記者きしゃ質問しつもんたいつよ口調くちょうさえぎるなど弟子でしである日馬くさまとみまも場面ばめんもあった。日馬くさまとみ引退いんたい会見かいけん暴行ぼうこういたった経緯けいいわれると、「先輩せんぱい横綱よこづなとして、礼儀れいぎ礼節れいせつがなっていないとおもい、なおすのが先輩せんぱい義務ぎむだとおもっていますし、しかったことが、かれたかいわ)をきずつけ、世間せけんさわがし、ファンや協会きょうかい迷惑めいわくをかけることになった」と説明せつめいしている。「これからのことをおもってしかったが、きすぎたことになった」と後悔こうかいものぞかせた。

暴行ぼうこう宴席えんせきおこなわれたとされ、日馬くさまとみ酒癖さけぐせについてわれると、「おさけんでひときずつけたりあばれたり、酒癖さけぐせわるいといわれたことはいちもないです」と断言だんげんしている。さけとのかたわれ「さけんだからこその事件じけんじゃないので、これは」と語気ごきつよめる場面ばめんもあった。最後さいご質問しつもんはくほう九州きゅうしゅう場所ばしょ千秋楽せんしゅうらく優勝ゆうしょうインタビューで「日馬くさまとみ士関しかんたかいわせきふたた土俵どひょうげてあげたい」と発言はつげんしたことへの感想かんそうであり、日馬くさまとみは「その気持きもちはうれしかったです」と淡々たんたんべると、師匠ししょうとともに再度さいどあたまげて会場かいじょうのちにした[55]

伊勢いせはまは「わたし横綱よこづなを16さいという少年しょうねんのころからてきたが、稽古けいこ精進しょうじんしたのみならず、社会しゃかい貢献こうけんにもとど本当ほんとうめずらしいタイプの力士りきしだった」と回顧かいこした。さらに「酒癖さけぐせわるいとかというようなはなしいたことがなく、今回こんかいなぜこのようなことになったのか、ただただ不思議ふしぎでなりません」とはなしたが、「本人ほんにん一番いちばんわるい。他人たにんのせいにするようなことでもありません。これまでささえていただいたファンのみなさま、相撲すもうかい方々かたがたしんから感謝かんしゃとおびをもうげます」と謝罪しゃざいした[56]

日馬くさまとみ日本にっぽん国籍こくせき帰化きか申請しんせいちゅうだったが、引退いんたい時点じてん受理じゅりされておらず日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとくしていないため、協会きょうかい規定きていにより親方おやかたとしてのこることができず退職たいしょくして角界かくかいった[57]

その

2017ねん、この事件じけん関連かんれんして、伊勢いせはま親方おやかた日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじ辞任じにんもう、12月20にち理事りじかい承認しょうにんされた。 鳥取とっとり地方ちほう検察庁けんさつちょう鳥取とっとり簡易かんい裁判所さいばんしょたいして略式りゃくしき起訴きそし、2018ねん1がつ4にち簡易かんい裁判所さいばんしょ罰金ばっきん50まんえん略式りゃくしき命令めいれいした[58][59]同年どうねん1がつ4にちたかいわ所属しょぞくする貴乃花たかのはな部屋へや師匠ししょうである貴乃花たかのはな親方おやかた日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじ解任かいにんされた。

同年どうねん2がつ4にちあさあかりゅう引退いんたい相撲すもう両国りょうこく国技こくぎかんひらかれた「あさあかりゅう引退いんたいにしきとう襲名しゅうめい披露ひろうパーティー」をおとずれた。日馬くさまとみ引退いんたい両国りょうこく国技こくぎかん姿すがたあらわすのははじめてである[60]同月どうげつ28にち伊勢いせはま部屋へやコーチ就任しゅうにんかされた[61]

同年どうねん8がつ20日はつか日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいは9月30にち両国りょうこく国技こくぎかんで「日馬くさま富士ふじ引退いんたい断髪だんぱつ披露ひろう大相撲おおずもう開催かいさい発表はっぴょうした[62]。9月30にち実施じっしされたが、たかいわ出席しゅっせきしなかった[63]

同年どうねん9がつ1にち故国ここくモンゴルにて日本にっぽん文化ぶんか歴史れきし言語げんごまな教育きょういくれた小中しょうちゅうだか一貫いっかんの「しんモンゴルにち富士学園ふじがくえん」を設立せつりつし、理事りじちょう就任しゅうにんしている[64]

2019ねん2がつ2にちおこなわれたたかいわ断髪だんぱつしき時点じてんでは、すでたかいわ和解わかいしており、日馬くさまとみ参列さんれつしゃ1人ひとりとしてたかいわまげやっとこれた[65]

2021ねん3がつ城西国際大学じょうさいこくさいだいがく大学院だいがくいん修了しゅうりょうし、その論文ろんぶんしんモンゴルにち富士学園ふじがくえん創設そうせつプロジェクト-全身全霊ぜんしんぜんれいおこな小中しょうちゅうだか一貫いっかん教育きょういく-」が優秀ゆうしゅう論文ろんぶんしょうけた[66]

同年どうねん10がつ3にち当初とうしょ前年ぜんねん5がつ30にち予定よていされていたものの、新型しんがたコロナウイルス感染かんせん拡大かくだい影響えいきょうにより延期えんきされ、1ねん4かげつおくれで開催かいさいされたもと師匠ししょう伊勢いせはま還暦かんれき土俵入どひょうい太刀持たちもちとして参加さんかした[67]還暦かんれき土俵入どひょういりで露払つゆはらいと太刀持たちもちをどちらも経験けいけんしたのは千代ちよ富士ふじ以来いらい2にん引退いんたい協会きょうかいのこらなかったもと力士りきし還暦かんれき土俵入どひょういりの従者じゅうしゃつとめる事例じれい史上しじょうはつ不祥事ふしょうじにより引責いんせき引退いんたいしたもと力士りきし還暦かんれき土俵入どひょういりに参加さんかすることも異例いれい[ちゅう 8]

2023ねん1がつ28にち同郷どうきょう先輩せんぱい横綱よこづなもとしろおおとり宮城野みやぎの親方おやかた断髪だんぱつしきにも参加さんかし、かれだい銀杏いちょうにはさみをれた。

傷害しょうがい事件じけん

暴行ぼうこう騒動そうどう調査ちょうさした日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい危機きき管理かんり委員いいんかいちゅうあいだ報告ほうこくによると、日馬くさまとみは2017ねん9がつ場所ばしょの10がつ25にちあき巡業じゅんぎょう鳥取とっとり場所ばしょ前日ぜんじつにモンゴルじん力士りきし中心ちゅうしんとしておこなわれた酒席しゅせきにおいて、鳥取とっとりうちカラオケみせ同席どうせきした幕内まくうちたかいわたいして横綱よこづなはくほう説教せっきょうをしている最中さいちゅうたかいわスマートフォン操作そうさしようとしたため日馬くさまとみ注意ちゅういし、たかいわ平手ひらてじゅうすうかい、カラオケのリモコンでたかいわあたますうかいなぐった[68]当初とうしょル瓶るびん殴打おうだしたとほうじられたが[69]ル瓶るびんではなくカラオケのリモコンだったと日馬くさま富士ふじがわたかいわがわ双方そうほうみとめている。

たかいわ師匠ししょうでもある貴乃花たかのはな親方おやかたは10がつまつ鳥取とっとり県警けんけい被害ひがいとどけ提出ていしゅつし、協会きょうかいおそくとも11月2にち問題もんだい把握はあくしていた。関係かんけいしゃ事情じじょういたが、同日どうじつたかいわ貴乃花たかのはな部屋へや宿舎しゅくしゃがある福岡ふくおかけん田川たがわ市役所しやくしょへあいさつにおとずれていたこともあり、「なにもなかったという感覚かんかくだった」という。なお、たかいわよく26にち巡業じゅんぎょうには参加さんかしていたが11月5にちから9にちまで入院にゅういん[70]、11月場所ばしょ全休ぜんきゅうした。日馬くさまとみは11月場所ばしょ出場しゅつじょうしたが2にちまで連敗れんぱい、3にち(11月14にち)に暴行ぼうこう疑惑ぎわく報道ほうどうされるとその事実じじつみとめ、「左上ひだりうえ腕骨わんこつ内側うちがわじょうはてえんおよびひだりじゃくこつ神経痛しんけいつう」との診断しんだんしょ提出ていしゅつ、このから途中とちゅう休場きゅうじょうした[71]

この日馬くさま富士ふじ事件じけんかんしては、ル瓶るびん使用しよう有無うむなど関係かんけいしゃあいだ詳細しょうさいちがいがあり[72]たかいわ知人ちじんでもある旭鷲山きょくしゅうざん証言しょうげんのようにうそだとされるものもあった[73]協会きょうかいないには引退いんたいもとめるこえだけでなく、現役げんえき続行ぞっこう理解りかいしめ意見いけんもあったが、横綱よこづな審議しんぎ委員いいんかい九州きゅうしゅう場所ばしょ定例ていれい会合かいごうで「非常ひじょうきびしい処分しょぶん必要ひつよう」との意見いけん大勢おおぜいめた[72]

11月22にち鳥取とっとり県警けんけい日馬くさまとみ傷害しょうがい容疑ようぎ書類しょるい送検そうけんすると読売新聞よみうりしんぶんほうじた[74]

11月28にち暴行ぼうこう問題もんだい関連かんれんして報道ほうどう各社かくしゃから引退いんたい決意けついしたとほうじられた[75]

12月20にち公表こうひょうされた危機きき管理かんり委員いいんかい報告ほうこくしょによれば、2017ねん9がつ場所ばしょちゅうたかいわ錦糸きんしまちのカラオケバーをおとずれたさい休場きゅうじょうちゅうにもかかわらず飲酒いんしゅしていたモンゴル出身しゅっしん力士りきし[ちゅう 9]叱責しっせきしたところ、その力士りきし同行どうこうしていたはくほう友人ゆうじん(モンゴルじん)と口論こうろんになりこの友人ゆうじん後日ごじつはくほうたいしてたかいわ言動げんどう報告ほうこくしたことが事件じけん伏線ふくせんとされている[76]

先輩せんぱい横綱よこづなあさあおりゅう現役げんえき時代じだい日馬くさま富士ふじのことを「おこるとおれよりこわい」とひょうしていたが、この不祥事ふしょうじはそのいちめん裏目うらめ結果けっかえる。

エピソード

  • はじめてひがしせい横綱よこづなについた2013ねん3がつ場所ばしょで、からだかえきを間違まちがえて忌避きひとされる「正面しょうめんしりける行為こうい」をするミスをおかしてしまった[77]
  • 2013ねん11月場所ばしょ4にちゆたかしませんでは10ねん秋場所あきばしょ2にち自身じしんゆたかしょうせんめて以来いらいやく3ねんぶりのちんしゅである「裾取すそと」で白星しろぼしげる[ちゅう 10][78]
  • 2016ねん7がつ場所ばしょ3にち土俵どひょうじょう黒色こくしょくのサポーターをけていたことで審判しんぱんから注意ちゅういけた[ちゅう 11][79]
  • 2016ねん10がつ4にち両国りょうこく国技こくぎかんひらかれた大相撲おおずもう国際こくさい文化ぶんか交流こうりゅうイベント「大相撲おおずもうbeyond2020場所ばしょ」で、つるりゅうならんで上段じょうだん気迫きはく中段ちゅうだん攻撃こうげき下段げだん防御ぼうぎょ)の3つのかたをつくる「さんだんかまえ」を、貴乃花たかのはなあけぼのが1996ねん4がつ伊勢神宮いせじんぐう奉納ほうのう相撲すもうおこなって以来いらい、20ねんぶりに披露ひろうした。日馬くさまとみは「九重ここのえ親方おやかたもと横綱よこづなせんだい富士ふじきたうみ親方おやかたもと横綱よこづなのビデオをなんかいて、土俵どひょうじょうでも練習れんしゅうしてきました」とコメントした[80]
  • 見込みこみのある力士りきしには一門いちもん関係かんけいなく指導しどうおこな横綱よこづなとしてもられており、2017ねん4がつ11にちおこなわれたはる巡業じゅんぎょう三島みしま場所ばしょではあさ稽古けいこ土俵どひょうで「すじトレ教室きょうしつ」をおこない、宇良うらなどがいたじょうおもりをまるめた5kgのウエイトを両手りょうてってかたまわすというインナーマッスルのトレーニングの講習こうしゅう日馬くさま富士ふじからけた[81]
  • 優勝ゆうしょう9かいのうち、3かい名古屋なごや場所ばしょ。2016ねん7がつ場所ばしょ優勝ゆうしょうしたさいには「縁起えんぎのいい名古屋なごやぼく名古屋なごやひと大好だいすきです」とこえはずませた[82]
  • 2017ねん8がつ8にちおこなわれたなつ巡業じゅんぎょう青山学院大学あおやまがくいんだいがく場所ばしょはこの時点じてん長女ちょうじょ青山学院あおやまがくいん初等しょとうかよっているてんえんのある場所ばしょえる。長女ちょうじょ青山学院あおやまがくいん初等しょとうかよっていることもあって「むすめ学校がっこう巡業じゅんぎょうができてうれしいですね。この巡業じゅんぎょうつうじて、あおがくどもたちに伝統でんとうある相撲すもうきになってもらいたいですね」とのぞんでいた[83]
  • 2017ねん9がつ場所ばしょ初日しょにちから休場きゅうじょうしていたあおやま途中とちゅう出場しゅつじょうし、最初さいしょ対戦たいせんでいきなり相手あいてとなるもあおやまはまともにそんきょも出来できない状況じょうきょうであり日馬くさまとみ怪我けがをしている相手あいて遠慮えんりょをしてしまい敗戦はいせんしそうになりながらなんとか勝利しょうり。これに日馬くさまとみは「まともにそんきょもできていなかったから『やさしくしてやろうかな』とか、いろいろかんがえてしまった。そっちが反省はんせいだな」「勝負しょうぶやさしさはいらない。かってるんだけど、つい…」とやさしい日馬くさま富士ふじ性分しょうぶんせてしまっている[84]
  • 2017ねん10がつ4にち両国りょうこく国技こくぎかんで「大相撲おおずもうbeyond場所ばしょ」がおこなわれ、横綱よこづな下位かい力士りきしつづけざまにいどむ「横綱よこづな5にんかり」を担当たんとう千代ちよくに御嶽みたけかいきた勝富かつとみてる石浦いしうら退しりぞけた。横綱よこづな5にんがかりがおこなわれたのは16ねんぶり[85]

土俵どひょうがい

  • モンゴルの心臓しんぞうびょう子供こどもへの医療いりょう支援しえんNPO「ハートセービングプロジェクト(HSP)」[86]会員かいいんとして、医療いりょうおくれているモンゴルの地方ちほうでの検診けんしん活動かつどう費用ひよう懸賞けんしょうきんですべてまかなったり、日本にっぽん小児しょうに循環じゅんかん病棟びょうとうへの慰問いもん活動かつどうおこなったりしている。さらには、首都しゅとウランバートルにある視覚しかく聴覚ちょうかく障害しょうがいしゃのための雇用こよう施設しせつ運営うんえいするなど、慈善じぜん活動かつどう積極せっきょくてきっている。こうした活動かつどう背景はいけいには、父親ちちおや子供こどもころから「ひとのためにくす人間にんげんとなれ」とつねさとされてそだったことがげられる(HSPによる日馬くさまとみ士関しかんへのインタビュー記事きじ[87]より)。
  • 2006ねんまつ父親ちちおやのダワーニャムと親族しんぞく交通こうつう事故じこにより急死きゅうしした[88]
    • 2008ねん12がつ20日はつか同年どうねんふゆ巡業じゅんぎょう終了しゅうりょうしたさいちち大関おおぜき昇進しょうしん報告ほうこくするために番付ばんづけ発表はっぴょう前日ぜんじつの12月23にちまでをフリータイムとしてあわただしく飛行機ひこうきいて日本にっぽんとモンゴルを往復おうふくし、ちち墓参はかまいりにけた直後ちょくご番付ばんづけ発表はっぴょうの12月24にち午前ごぜん7ぎに部屋へやあさ稽古けいこ参加さんか殺人さつじんてきスケジュールで疲弊ひへいしたなか部屋へやしゅうと25ばんさるいをおこなった[89]
  • 尊敬そんけいする初代しょだいたかはな同様どうよう喫煙きつえんものである[ちゅう 12]。2008ねん9がつ場所ばしょ3にち終了しゅうりょうに、2007ねん5がつ場所ばしょから禁煙きんえんとなっている支度したく部屋へや喫煙きつえんをしたと報道ほうどうされた[90]翌日よくじつあさ稽古けいこ師匠ししょうである伊勢いせはま親方おやかた厳重げんじゅう注意ちゅういされた[91]
  • 2010ねん9がつ、モンゴル出身しゅっしんで、日本にっぽん留学りゅうがくちゅう女子大じょしだいせいだったバトトール夫人ふじんとの婚約こんやく発表はっぴょうした[92]
  • 2015ねん12月23にちから27にちまでのあいだ東京とうきょう銀座ぎんざ日動にちどう画廊がろう自身じしんえがいた油絵あぶらえなどの絵画かいがてんひらかれた。日動にちどう画廊がろうでプロ以外いがい展示てんじれられたのは歌手かしゅ長渕ながぶちつよし以来いらい2にんである[93]
  • 2017ねんはる巡業じゅんぎょうちゅう専門せんもんせてみぎあしなどにつよ電流でんりゅうなが細胞さいぼう筋肉きんにく活性かっせいさせる「ハイボルト治療ちりょう」をおこなった。かずひゃくまんえんする器具きぐ購入こうにゅうして満身まんしん創痍そういからだよみがえらせた[40]
  • あるとき地方ちほう巡業じゅんぎょうで、朝日山あさひやまもと関脇せきわけ琴錦ことにしき知人ちじんむすめ登校とうこう子供こどもかけたさい、それをってからずか、すぐに「おいで、一緒いっしょ写真しゃしんろうよ」とやさしくこえけた。そのおかげでその少女しょうじょはすっかり相撲すもうきになり、小学校しょうがっこうにきちんと元気げんきかようようになった[2]

略歴りゃくれき

  • 2001ねん1がつ場所ばしょ - はつ土俵どひょう
  • 2001ねん3がつ場所ばしょ - 序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう
  • 2002ねん3がつ場所ばしょ - さんだん優勝ゆうしょう
  • 2004ねん3がつ場所ばしょ - しんじゅうりょう
  • 2004ねん9がつ場所ばしょ - 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう
  • 2004ねん11月場所ばしょ - しん入幕にゅうまく
  • 2005ねん3がつ場所ばしょ - 技能ぎのうしょう(1かい
  • 2006ねん1がつ場所ばしょ - 金星かなぼしあさあおりゅう
  • 2006ねん3がつ場所ばしょ - 技能ぎのうしょう(2かい
  • 2006ねん5がつ場所ばしょ - しん小結こむすび
  • 2006ねん9がつ場所ばしょ - 優勝ゆうしょう次点じてん(1かい)・敢闘かんとうしょう(1かい
  • 2007ねん5がつ場所ばしょ - しん関脇せきわけ
  • 2007ねん9がつ場所ばしょ - 殊勲賞しゅくんしょう(1かい
  • 2007ねん11月場所ばしょ - 殊勲賞しゅくんしょう(2かい
  • 2008ねん1がつ場所ばしょ - 殊勲賞しゅくんしょう(3かい
  • 2008ねん5がつ場所ばしょ - 技能ぎのうしょう(3かい
  • 2008ねん7がつ場所ばしょ - 技能ぎのうしょう(4かい
  • 2008ねん9がつ場所ばしょ - 優勝ゆうしょう次点じてん(2かい)・殊勲賞しゅくんしょう(4かい
  • 2008ねん11月場所ばしょ - 優勝ゆうしょう同点どうてん技能ぎのうしょう(5かい
  • 2008ねん11月26にち - 大関おおぜき昇進しょうしん四股しこめいを「やす」から「日馬くさま富士ふじ」へ改名かいめい
  • 2009ねん1がつ場所ばしょ - しん大関おおぜき
  • 2009ねん5がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう(1かい
  • 2011ねん7がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう(2かい
  • 2012ねん7がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう全勝ぜんしょう、3かい
  • 2012ねん9がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう全勝ぜんしょう、4かい
  • 2012ねん11月場所ばしょ - しん横綱よこづな
  • 2013ねん1がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう全勝ぜんしょう、5かい
  • 2013ねん11月場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう(6かい
  • 2015ねん11月場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう(7かい
  • 2016ねん7がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう(8かい
  • 2017ねん9がつ場所ばしょ - 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう(9かい
  • 2017ねん11月場所ばしょ - 3にちより途中とちゅう休場きゅうじょう引退いんたい

くち

  • だい68だい横綱よこづなあさあおりゅうたいしては5しょう17はいおおきくしている。
  • だい69だい横綱よこづなはくほうたいしては21しょう36はい優勝ゆうしょう決定けっていせんふくめると22しょう37はい)としているが、はくほうたいする白星しろぼし幕内まくうち最多さいたである。2007ねん秋場所あきばしょはつ勝利しょうりそこから4しょう2はいとするなどはくほうキラーとしてさんやく時代じだいごした。2012ねん対戦たいせん成績せいせきは4しょう2はい得意とくいにしていたほか、2011ねんから2013ねんまでは9しょう8はい互角ごかくにしていた時期じきがあった。その2015ねん5がつ - 2016ねん1がつ場所ばしょと3連勝れんしょうした時期じきり、日馬くさま富士ふじ横綱よこづな昇進しょうしん対戦たいせん成績せいせきは8しょう14はいとやや拮抗きっこうしている。
    • なお、2012ねん5がつ場所ばしょから2013ねん11月場所ばしょまで10場所ばしょ連続れんぞく千秋楽せんしゅうらくむすびの一番いちばん対戦たいせんしたが、これは輪島わじまきたうみの15場所ばしょいで2記録きろくである。また、千秋楽せんしゅうらくむすびの一番いちばん対戦たいせん回数かいすう24かいあけぼの貴乃花たかのはなの27かいぐ2である。
    • 幕内まくうちでのしろおおとりから10しょう以上いじょうげたのは日馬くさま富士ふじあさあおりゅうきんおうしゅうまれぜいさとの4にんうち20しょう以上いじょうした力士りきし日馬くさまとみだけである。
  • だい71だい横綱よこづなつるりゅうたいしては27しょう17はいしている。とくに、2009ねん5がつ場所ばしょから2010ねん7がつ場所ばしょまで8連勝れんしょうをするなど圧倒的あっとうてきをつけていた。しかし、2012ねん対戦たいせん成績せいせきは2しょう4はい苦手にがてとしていた時期じきもあり、日馬くさま富士ふじ横綱よこづな昇進しょうしんは10しょう9はいである。
  • だい72だい横綱よこづなまれぜいさとたいしては37しょう24はいおおきくしている。2009ねん3がつ場所ばしょから2010ねん9がつ場所ばしょまで10連勝れんしょうをするなど圧倒的あっとうてきをつけていた。しかし、日馬くさまとみ横綱よこづな昇進しょうしんしたころから苦手にがて意識いしきをもつようになり、日馬くさま富士ふじ横綱よこづな昇進しょうしん対戦たいせん成績せいせきは12しょう10はいとほぼ互角ごかくである。とくに、2013ねん3がつ場所ばしょから11月場所ばしょまで5連敗れんぱいきっし、2013ねん対戦たいせん成績せいせきは1しょう5はいおおきくしていた。しかし、2014ねん以降いこう対戦たいせん成績せいせきは11しょう4はいはなした。
    • なお日馬くさま富士ふじまれぜいさと幕内まくうちで61かい対戦たいせんしているが、これはきんすすむきくまれぜいさとの66かいはくほうきんすすむきくの63かい日馬くさま富士ふじきんすすむきくの62かい大相撲おおずもう史上しじょうだい4記録きろくである(それ以前いぜんは、武蔵丸むさしまる貴ノ浪たかのなみの58かい最多さいた記録きろくだった。)
  • もと大関おおぜききんおうしゅうには23しょう17はい日馬くさま富士ふじ横綱よこづな昇進しょうしんは5しょう0はい
  • もと大関おおぜき千代ちよ大海たいかいには2007ねん11月場所ばしょ終了しゅうりょう時点じてんで2しょう7はいしていたが、2008ねん1がつ場所ばしょから10連勝れんしょうで12しょう7はいしている。
  • もと大関おおぜききん光喜みつよしには15しょう12はい
  • もと大関おおぜき魁皇かいおうには16しょう12はい
  • もと大関おおぜき瑠都には16しょう12はい瑠都の大関おおぜき時代じだいは7しょう5はい
  • もと大関おおぜききんすすむきくたいしては29しょう33はい苦手にがてにしている。とくに、2007ねん5がつ場所ばしょから2008ねん3がつ場所ばしょまでと2010ねん3がつ場所ばしょから2011ねん1がつ場所ばしょまで6連敗れんぱいきっするなど圧倒的あっとうてきをつけられた時期じきもあったが、日馬くさま富士ふじ横綱よこづな昇進しょうしんは14しょう8はいぎゃくしている。きんすすむきくもと小結こむすびどき天空てんくうに7しょう16はいしているが、日馬くさまとみきんすすむきく苦手にがてにしているとき天空てんくうに14しょう8はいしている。
  • もと大関おおぜきごうさかえどうたいしては31しょう11はいおおきくしている。とくに、2012ねん5がつ場所ばしょから2013ねん5がつ場所ばしょまで7連勝れんしょう、2009ねん3がつ場所ばしょから2011ねん1がつ場所ばしょまで6連勝れんしょうをするなど圧倒的あっとうてきをつけている。しかし、ごうさかえどう幕内まくうちはつ優勝ゆうしょうした2016ねん9がつ場所ばしょは、土俵際どひょうぎわくびげで逆転ぎゃくてんされ、優勝ゆうしょうあらそいから後退こうたいした。2017ねん秋場所あきばしょ千秋楽せんしゅうらくほんわり優勝ゆうしょう決定けっていせんごうさかえどう連勝れんしょうし、11しょう4はいで7場所ばしょぶり9度目どめ優勝ゆうしょうたした。
  • もと大関おおぜき高安たかやすには15しょう5はい高安たかやす大関おおぜき昇進しょうしんは1しょう
  • もと大関おおぜきとちこころには23しょう6はい不戦敗ふせんぱい1あり)。とちしん大関おおぜき昇進しょうしん対戦たいせんなし。
  • 大関おおぜき景勝けいしょうには1しょう2はい景勝けいしょう大関おおぜき昇進しょうしん対戦たいせんなし。
  • 大関おおぜき正代しょうだいには6しょう1はい正代しょうだい大関おおぜき昇進しょうしん対戦たいせんなし。
  • もと大関おおぜき御嶽みたけかいには5しょう2はい御嶽みたけかい大関おおぜき昇進しょうしん対戦たいせんなし。
  • 格下かくしたなかでも、とくよしみふう苦手にがてにしており10しょう9はい拮抗きっこうしている。とくに2011ねん7がつ場所ばしょから2014ねん9がつ場所ばしょまで5連敗れんぱいちゅうであったが、2015ねん11月場所ばしょ対戦たいせんで4ねんぶりに勝利しょうりした。2014ねん9がつ場所ばしょ対戦たいせんでは日馬くさま富士ふじ軍配ぐんばいがったが、日馬くさまとみよしみふうまげったとして反則はんそくけをきっした[94]、この対戦たいせんみぎ眼窩がんか内壁ないへき負傷ふしょうし、翌日よくじつから休場きゅうじょうしてしまった[95]

おも成績せいせき

通算つうさん成績せいせき

  • 通算つうさん成績せいせき:827しょう444はい85きゅう(101場所ばしょ
  • 通算つうさん勝率しょうりつ:.651
  • 幕内まくうち成績せいせき:712しょう373はい85きゅう(78場所ばしょ)(幕内まくうちぼし歴代れきだい8
  • 幕内まくうち勝率しょうりつ:.656
  • 横綱よこづな成績せいせき:285しょう107はい73きゅう(31場所ばしょ
  • 横綱よこづな勝率しょうりつ:.727
  • 大関おおぜき成績せいせき:214しょう105はい11きゅう(22場所ばしょ
  • 大関おおぜき勝率しょうりつ:.671
  • さんやく成績せいせき:108しょう72はい(12場所ばしょ
  • さんやく勝率しょうりつ:.600
    • 関脇せきわけ成績せいせき:76しょう44はい(8場所ばしょ
    • 関脇せきわけ勝率しょうりつ:.633
    • 小結こむすび成績せいせき:32しょう28はい(4場所ばしょ
    • 小結こむすび勝率しょうりつ:.533
  • 前頭まえがしら成績せいせき:105しょう89はい1きゅう(13場所ばしょ
  • 前頭まえがしら勝率しょうりつ:.541

連勝れんしょう記録きろく

日馬くさま富士ふじ最多さいた連勝れんしょう記録きろくは、32連勝れんしょうである(2012ねん5がつ場所ばしょ千秋楽せんしゅうらく - 2012ねん11月場所ばしょ初日しょにち)。

下記かきに、詳細しょうさいしるす。

順位じゅんい 連勝れんしょうすう 期間きかん めた力士りきし 備考びこう
1 32 2012ねん5がつ場所ばしょ千秋楽せんしゅうらく - 2012ねん11月場所ばしょ初日しょにち 隠岐おきうみ 2012ねん7がつ場所ばしょ - 9月場所ばしょ2場所ばしょ連続れんぞく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう

かくだん在位ざいい場所ばしょすう

  • 幕内まくうち在位ざいい:78場所ばしょ
    • 横綱よこづな在位ざいい:31場所ばしょ歴代れきだい12
    • 大関おおぜき在位ざいい:22場所ばしょ横綱よこづな経験けいけんしゃとしては歴代れきだい5
    • さんやく在位ざいい:12場所ばしょ関脇せきわけ8場所ばしょ小結こむすび4場所ばしょ
    • 平幕ひらまく在位ざいい:13場所ばしょ
  • 十両じゅうりょう在位ざいい:4場所ばしょ
  • 幕下まくした在位ざいい:11場所ばしょ
  • さんだん在位ざいい:5場所ばしょ
  • じょだん在位ざいい:1場所ばしょ
  • 序ノ口じょのくち在位ざいい:1場所ばしょ
  • 番付ばんづけがい:1場所ばしょ

かくだん優勝ゆうしょう

  • 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう:9かい
    • 2009ねん(1かい)5がつ場所ばしょ
    • 2011ねん(1かい)7がつ場所ばしょ
    • 2012ねん(2かい)7がつ場所ばしょ、9月場所ばしょ
    • 2013ねん(2かい)1がつ場所ばしょ、11月場所ばしょ
    • 2015ねん(1かい)11月場所ばしょ
    • 2016ねん(1かい)7がつ場所ばしょ
    • 2017ねん(1かい)9がつ場所ばしょ
    • 幕内まくうち全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう:3かい
  • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい(2004ねん9がつ場所ばしょ
  • さんだん優勝ゆうしょう:1かい(2002ねん3がつ場所ばしょ
  • 序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう:1かい(2001ねん3がつ場所ばしょ

さんしょう金星かなぼし

  • さんしょう:10かいもと横綱よこづなとしては北勝海ほくとうみの11かい歴代れきだい2
    • 殊勲賞しゅくんしょう:4かい(2007ねん9がつ場所ばしょ、2007ねん11月場所ばしょ、2008ねん1がつ場所ばしょ、2008ねん9がつ場所ばしょ
    • 敢闘かんとうしょう:1かい(2006ねん9がつ場所ばしょ
    • 技能ぎのうしょう:5かい(2005ねん3がつ場所ばしょ、2006ねん3がつ場所ばしょ、2008ねん5がつ場所ばしょ、2008ねん7がつ場所ばしょ、2008ねん11月場所ばしょ
  • 金星かなぼし1個いっこ
    • あさあおりゅう1個いっこ(2006ねん1がつ場所ばしょ
  • その
    • 金星かなぼし配給はいきゅう:40歴代れきだい2

場所ばしょべつ成績せいせき

日馬くさま富士ふじ 公平こうへい
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
2001ねん
平成へいせい13ねん
ぜん相撲すもう 西にし序ノ口じょのくち29まい
優勝ゆうしょう
7–0 
ひがしじょだん22まい
5–2 
西にしさんだん88まい
5–2 
ひがしさんだん53まい
4–3 
ひがしさんだん42まい
4–3 
2002ねん
平成へいせい14ねん
西にしさんだん28まい
4–3 
西にしさんだん14まい
優勝ゆうしょう
7–0 
西にし幕下まくした15まい
2–5 
西にし幕下まくした27まい
2–5 
ひがし幕下まくした46まい
5–2 
西にし幕下まくした26まい
2–5 
2003ねん
平成へいせい15ねん
ひがし幕下まくした46まい
4–3 
ひがし幕下まくした38まい
5–2 
ひがし幕下まくした23まい
5–2 
ひがし幕下まくした11まい
5–2 
ひがし幕下まくした7まい
6–1 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
3–4 
2004ねん
平成へいせい16ねん
西にし幕下まくした2まい
4–3 
ひがしじゅうりょう12まい
10–5 
ひがしじゅうりょう7まい
6–9 
ひがしじゅうりょう9まい
9–6 
ひがしじゅうりょう4まい
優勝ゆうしょう
11–4 
西前にしまえあたま14まい
8–7 
2005ねん
平成へいせい17ねん
ひがし前頭まえがしら13まい
8–6–1[ちゅう 13] 
西前にしまえあたま11まい
9–6
わざ
ひがし前頭まえがしら9まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら8まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら11まい
9–6 
西前にしまえあたま5まい
7–8 
2006ねん
平成へいせい18ねん
ひがし前頭まえがしら6まい
9–6
ひがし前頭まえがしら2まい
8–7
わざ
西にし小結こむすび
4–11 
ひがし前頭まえがしら4まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら6まい
11–4
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
6–9 
2007ねん
平成へいせい19ねん
ひがし前頭まえがしら4まい
10–5 
ひがし小結こむすび
8–7 
西にし関脇せきわけ
8–7 
西にし関脇せきわけ
7–8 
西にし小結こむすび
10–5
こと
ひがし小結こむすび
10–5
こと
2008ねん
平成へいせい20ねん
西にし関脇せきわけ
9–6
こと
ひがし関脇せきわけ
8–7 
ひがし関脇せきわけ
9–6
わざ
ひがし関脇せきわけ
10–5
わざ
ひがし関脇せきわけ
12–3
こと
ひがし関脇せきわけ
13–2[ちゅう 14]
わざ
2009ねん
平成へいせい21ねん
東大とうだいせき3
8–7 
西にし大関おおぜき2
10–5 
西にし大関おおぜき1
14–1[ちゅう 14] 
東大とうだいせき1
9–6 
東大とうだいせき2
9–6 
東大とうだいせき2
9–6 
2010ねん
平成へいせい22ねん
西にし大関おおぜき1
10–5 
東大とうだいせき1
10–5 
東大とうだいせき1
9–6 
西にし大関おおぜき1
10–5 
東大とうだいせき1
8–7 
東大とうだいせき2
0–4–11[ちゅう 15] 
2011ねん
平成へいせい23ねん
西にし大関おおぜき2
8–7[ちゅう 16] 
八百長やおちょう問題もんだい
により中止ちゅうし
西にし大関おおぜき2
10–5 
西にし大関おおぜき1
14–1 
東大とうだいせき1
8–7 
西にし大関おおぜき1
8–7 
2012ねん
平成へいせい24ねん
西にし大関おおぜき2
11–4 
西にし大関おおぜき1
11–4 
東大とうだいせき1
8–7 
西にし大関おおぜき2
15–0 
東大とうだいせき1
15–0 
西にし横綱よこづな
9–6 
2013ねん
平成へいせい25ねん
西にし横綱よこづな
15–0 
ひがし横綱よこづな
9–6 
西にし横綱よこづな
11–4 
西にし横綱よこづな
10–5 
西にし横綱よこづな
10–5 
西にし横綱よこづな
14–1 
2014ねん
平成へいせい26ねん
ひがし横綱よこづな
休場きゅうじょう[ちゅう 17]
0–0–15
西にし横綱よこづな
12–3 
西にし横綱よこづな
11–4 
西にし横綱よこづな
10–5 
ひがし横綱よこづな2
3–2–10[ちゅう 18] 
ひがし横綱よこづな2
11–4 
2015ねん
平成へいせい27ねん
ひがし横綱よこづな2
11–4 
西にし横綱よこづな
10–5 
西にし横綱よこづな
11–4 
西にし横綱よこづな
1–1–13[ちゅう 19] 
ひがし横綱よこづな2
休場きゅうじょう[ちゅう 20]
0–0–15
ひがし横綱よこづな2
13–2 
2016ねん
平成へいせい28ねん
ひがし横綱よこづな
12–3 
ひがし横綱よこづな
9–6 
ひがし横綱よこづな2
10–5 
ひがし横綱よこづな2
13–2 
ひがし横綱よこづな
12–3 
ひがし横綱よこづな
11–4 
2017ねん
平成へいせい29ねん
西にし横綱よこづな
4–3–8[ちゅう 21] 
ひがし横綱よこづな2
10–5 
ひがし横綱よこづな2
11–4 
西にし横綱よこづな
11–4 
西にし横綱よこづな
11–4[ちゅう 22] 
ひがし横綱よこづな
引退いんたい
0–3–12[ちゅう 23]
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

おも力士りきしとの幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおやま 15 3 あさあおりゅう 5 17 あさあかりゅう 13 6(1) あらわし 1 1
おもねらん 10 2 いきおい 12 1(1) 石出いしで 0 1 いっしろ 7 2
岩木山いわきやま 3 3 宇良うら 0 1 遠藤えんどう 7 0 すめらぎ 1 0
阿武あぶさき 0 2 だい砂嵐すなあらし 1 3(1) 隠岐おきうみ 14 6 魁皇かいおう 16(1) 12
さきがけきよし 16 0 うみおおとり 0 2 きばまる 5 2 てる 1 0
かき 7 2 つるりゅう 27 17 春日しゅんじつおう 3 1 春日かすがにしき 0 1
まれぜいさと 37 24 きたふとしじゅ 5 0 旭鷲山きょくしゅうざん 1 2 あさひしげるおおとり 1 0
旭天鵬きょくてんほう 19 6 ごうさかえどう 32* 11 黒海こっかい 2 4 きんおうしゅう 23 17
きんすすむきく 29 33 きんわか 3 1 きん光喜みつよし 15 12 きんいさむあきら 2 1
琴龍ことりゅう 1 0 佐田さたうみ 1 1 霜鳥しもとり 2 1 十文字じゅうもんじ 4 1
つねさいわいりゅう 0 1 正代しょうだい 6 1 しょうてんおおかみ 1 0 まつおおとりさん 14 3
あおこくらい 1 1 大栄おおえしょう 1 0 景勝けいしょう 1 2 りゅうづる 1 0
りゅう乃若 3 2 たかいわ 3(1) 0 高見たかみもり 3 4 髙安 15 5
ごうふう 23 3 たま飛鳥ひちょう 0 1 たま春日しゅんじつ 4 1 玉乃たまのとう 4 5
たまわし 8 5(1) 千代ちよおおとり 3 0 千代ちよしょう 2 0 千代ちよ大海たいかい 12 7
千代ちよ大龍おおたつ 4 2 千代ちよくに 1 0 出島でじま 4 2 たたかえきば 1 0
時津とぎつかい 2 3 どき天空てんくう 14 8 とくかつりゅう 1 0 とく瀬川せかわ 2 0
土佐とさうみ 1 1 土佐とさゆたか 2 0 とちひがし 1 5 とち煌山 26(1) 8
とちさかえ 1 0 とちこころ 23 6(1) とち乃洋 3 1 とち乃若 3 1
ゆたかさくら 3 0 ゆたかしま 35 10 ゆたかひびき 5 1 白馬はくば 1 1
はくほう 21* 36* 白露しらつゆやま 2 0 瑠都 16 12 たけしゅうやま 1 0
普天ふてんおう 9 1 たけ雄山ゆうざん 1 2(1) ゆたかしょう 15 3 きたかちりょく 9 3
きた勝富かつとみ 1 1 御嶽みたけかい 5 2 まさやま 12 6 妙義みょうぎりゅう 13 5
よしみふう 10 9 おおとり 4 2 わかあらつよし 2 0 わか兎馬うさぎうま 1 0
わかさと 9 1 わかおおとり 1 2

(カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかずふとし文字もじは2023ねん5がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい現役げんえき力士りきし

改名かいめいれき

  • やす 公平こうへい(あま こうへい)2001ねん1がつ場所ばしょ-2008ねん11月場所ばしょ
  • 日馬くさま富士ふじ 公平こうへい(はるまふじ -)2009ねん1がつ場所ばしょ-2017ねん11月場所ばしょ

おも出演しゅつえん

テレビ番組ばんぐみ

MV

  • KUNIねがかなうなら」(2015ねん12月2にち[96]

著書ちょしょ

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 「ダワーニャミーン」(Даваанямын/Davaanyamyn) は「ダワーニャム(=父親ちちおやめい)の」という意味いみであるが、日本語にほんご報道ほうどうではぞくかく助詞じょしын/yn(-ィーン)」を省略しょうりゃくして、たん父親ちちおやめいをカナ転写てんしゃして「ダワーニャム・―」と表記ひょうきされてしまうことがおおい(のモンゴル出身しゅっしん力士りきし本名ほんみょうについてもまった同様どうよう傾向けいこうがある。詳細しょうさいについては、モンゴルじん名前なまえ#モンゴルこくにおける用例ようれい参照さんしょう)。本人ほんにん「ビャンバドルジ」のうち「ビャンバ」はチベット「チャンパ」(བྱམས་པ།,byams pa)で「弥勒菩薩みろくぼさつ」「土曜日どようび」の、「ドルジ」はチベット「ドルジェ」(རྡོ་རྗེ།, rdo rje)で「金剛石こんごうせき(ダイヤモンド)」の
  2. ^ モンゴルこくでは、クビライみかど時代じだい以前いぜんから、自身じしん名前なまえに「○○ドルジ(朶而ただ)」とうと「○○という父親ちちおや息子むすこ」という表現ひょうげん使つかうことがられるなど出自しゅつじには父親ちちおや系統けいとう重視じゅうしされ、ちち出身しゅっしん重視じゅうしする慣行かんこうから、おしなべておおくのモンゴル出身しゅっしん力士りきし父親ちちおや出身しゅっしん自分じぶん自身じしん本籍ほんせきとして表現ひょうげんする傾向けいこうがある。
  3. ^ 相撲すもう』2012ねん8がつごう62ぺーじに、往復おうふくくるまなかきゅうじゅう親方おやかた取組とりくみ収録しゅうろくされたDVDを観賞かんしょうしている様子ようす記述きじゅつされていた。ちなみに、千代ちよ富士ふじぜんミツ相撲すもうしゅであったが、自身じしんりを主体しゅたいとしている。
  4. ^ これはおな相撲すもう部屋へや所属しょぞくする力士りきしとは本場所ほんばしょ対戦たいせんしないからである。
  5. ^ 横綱よこづな番付ばんづけはつ登場とうじょうした1890ねん明治めいじ23ねん夏場所なつばしょ以降いこうでも、しん横綱よこづな5連敗れんぱい史上しじょうはつ不名誉ふめいよ記録きろくである。
  6. ^ しん横綱よこづな皆勤かいきん出場しゅつじょうで1けたしだったのは、1987ねん昭和しょうわ62ねん)11月場所ばしょだい62だい横綱よこづなだい国康くにやす(8しょう7はい以来いらい25ねんぶり。
  7. ^ 不祥事ふしょうじのぞけば2001ねん5がつ場所ばしょ優勝ゆうしょうしながらみぎひざ故障こしょうよく名古屋なごや場所ばしょから7場所ばしょ連続れんぞく全休ぜんきゅうした貴乃花たかのはな以来いらい13ねんぶりとなる。
  8. ^ その背景はいけいとして、たかいわびと暴行ぼうこう事件じけんさい一連いちれん報道ほうどうなどで、日馬くさま富士ふじ傷害しょうがい事件じけん当時とうじたかいわにもがあったことが協会きょうかい内部ないぶ一般いっぱん世論せろん認知にんちされている。また、とう被害ひがいしゃであったたかいわすで日馬くさま富士ふじ和解わかいしていたのもおおきい。
  9. ^ どう場所ばしょ休場きゅうじょうしたモンゴル出身しゅっしん力士りきしは、酒席しゅせき参加さんかしゃのぞけばきり馬山まやましょうてんおおかみの2めいだがたかいわにとってはだい先輩せんぱいにあたり、なおかつ当時とうじがん療養りょうようちゅうでもあったしょうてんおおかみたいしてこのような言動げんどうをとることはかんがえられず、実質じっしつてき当該とうがい力士りきしきり馬山まやまであることがあきらかになっている
  10. ^ 具体ぐたいてきには左手ひだりて相手あいてみぎくるぶし付近ふきんをつかんでめた1ばんであり、日馬くさま富士ふじ左手ひだりて小指こゆびさき土俵どひょうれたようにもえたきわどい内容ないようでもあった
  11. ^ かつてはしろのサポーターも禁止きんしされており、どうしてもける場合ばあい紅茶こうちゃ肌色はだいろめたという。
  12. ^ 伊勢いせはまからも禁煙きんえんすすめられたが、「30になったらやめます。」とかしたという逸話いつわもある。これは伊勢いせはまことあさひ富士ふじが30さいにして横綱よこづな昇進しょうしんしたれいした反論はんろんであった。
  13. ^ 臀部でんぶ膿瘍のうよう診断しんだんされ、切開せっかい手術しゅじゅつにより14にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  14. ^ a b はくほう優勝ゆうしょう決定けっていせん
  15. ^ ぜん距腓靱帯じんたい(ぜんきょひじんたい)損傷そんしょうおよび右肩みぎかた脱臼だっきゅうにより全治ぜんち3週間しゅうかん加療かりょうようすと診断しんだんされ4にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  16. ^ 大関おおぜき角番かどばん
  17. ^ 左足ひだりあし関節かんせつ靱帯じんたい損傷そんしょう全治ぜんち2かげつ加療かりょうようすと診断しんだんされ初日しょにちから全休ぜんきゅう
  18. ^ みぎ眼窩がんか内壁ないへき骨折こっせつ全治ぜんち1かげつ加療かりょうようすと診断しんだんされ、5にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  19. ^ みぎひじ外側そとがわがわふく靱帯じんたい損傷そんしょう全治ぜんち1かげつ加療かりょうようすと診断しんだんされ、2にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  20. ^ みぎ変形へんけいせいひじ関節かんせつしょうみぎ肘内ひじうち側側そくそくふく靱帯じんたい損傷そんしょう全治ぜんち3かげつ加療かりょうようすと診断しんだんされ初日しょにちから全休ぜんきゅう
  21. ^ みぎハムストリング肉離にくばなれで全治ぜんちまで1かげつ程度ていど安静あんせい加療かりょうようする見込みこみと診断しんだんされ、7にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  22. ^ ごうさかえどう優勝ゆうしょう決定けっていせん
  23. ^ 左上ひだりうえ腕骨わんこつ内側うちがわじょうはてえんおよび、ひだりじゃくこつ神経しんけいつう(ただし、たかいわたいする暴力ぼうりょく問題もんだい起因きいん)により3にちから途中とちゅう休場きゅうじょう場所ばしょの11月29にち引退いんたい表明ひょうめい

出典しゅってん

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 北辰ほくしんどう出版しゅっぱん昭和しょうわ平成へいせい 大相撲おおずもうめい力士りきし100列伝れつでん』(塩澤しおざわみのるしんじ、2015ねん)205ページから207ページ
  2. ^ a b c 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん9がつ16にちごう p76-77
  3. ^ 軽量けいりょうかしたはや相撲すもう魅力みりょく横綱よこづな日馬くさま富士ふじ All About 2013ねん2がつ7にち更新こうしん
  4. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん10がつ13にちごう p.10.
  5. ^ 大相撲おおずもうコラムしゅう(キモはここなのだ!)こう勝負しょうぶにこだわっていたからまった変化へんかわざ幕内まくうちやす)-goo大相撲おおずもう
  6. ^ 変化へんか完全かんぜん封印ふういんやす大関おおぜきへ“こう勝負しょうぶちかう』 MSNスポーツ(夕刊ゆうかんフジ) 2008ねん11月21にち
  7. ^ しん大関おおぜきやす素顔すがおしたたかはなちかづきたい…こう勝負しょうぶ決意けつい』 スポーツ報知ほうち 2008ねん11月26にち
  8. ^ 相撲すもう』2018ねん10がつごう101ぺーじ
  9. ^ a b ベースボールマガジンしゃ大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(4) 立浪たつなみ部屋へや』p81
  10. ^ a b 月刊げっかん相撲すもう』2001ねん4がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2001ねん3がつ29にち発売はつばい) p.82-83
  11. ^ 日馬くさま2度目どめV! はくほうV8失敗しっぱい名古屋なごや場所ばしょ 日刊にっかんスポーツ 2011ねん7がつ23にち配信はいしん 2011ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  12. ^ 日馬くさましりもの悪化あっかつなとりピンチ! サンスポ 2011ねん9がつ8にち閲覧えつらん[リンク]
  13. ^ 平成へいせい時代じだい唯一ゆいいつ全勝ぜんしょう同士どうしあいほし決戦けっせん
  14. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん8がつごう p51
  15. ^ 日馬くさま横綱よこづな昇進しょうしん正式せいしき決定けってい. 日刊にっかんスポーツ. (2012ねん9がつ26にち). https://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20120926-1023173.html 2012ねん9がつ26にち閲覧えつらん 
  16. ^ 日馬くさま富士ふじ 緊張きんちょう口上こうじょう横綱よこづな自覚じかくって、全身全霊ぜんしんぜんれい精進しょうじん」”. スポーツニッポン. (2012ねん9がつ26にち). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/09/26/kiji/K20120926004197510.html 2012ねん9がつ26にち閲覧えつらん 
  17. ^ 大相撲おおずもう-yahoo!ニュース[リンク]
  18. ^ みみにウミ…日馬くさま休養きゅうよう、3にちから稽古けいこ再開さいかい 日刊にっかんスポーツ 2012ねん10がつ3にち80ふん紙面しめんから
  19. ^ 日馬くさま富士ふじ 2度目どめ“クンロク”…師匠ししょうも「きびしいよ」 スポニチアネックス 2013ねん3がつ25にち配信はいしん
  20. ^ ただし、横綱よこづな3場所ばしょ途中とちゅう休場きゅうじょうふくめ2場所ばしょが1けた勝星かちぼしだい乃国以来いらいとなる(8しょう7はい、5しょう5はい5きゅう、13しょう2はい優勝ゆうしょう
  21. ^ はい日馬くさまに「勘違かんちがいしやがって」/夏場所なつばしょ 日刊にっかんスポーツ 2013ねん5がつ17にち配信はいしん
  22. ^ 横審よこしん日馬くさま富士ふじ批判ひはん同情どうじょうてき サンスポ 2013ねん9がつ30にち1936ふん配信はいしん[リンク]
  23. ^ 伊勢ケ浜いせがはま親方おやかた代役だいやく審判しんぱん部長ぶちょう九州きゅうしゅう場所ばしょ 日刊にっかんスポーツ 2013ねん11月15にち938ふん配信はいしん
  24. ^ 横綱よこづな日馬くさまとみ休場きゅうじょう トレーニングちゅうひだり足首あしくび負傷ふしょう昇進しょうしんはつ スポニチアネックス 2014ねん1がつ10日とおか99ふん配信はいしん
  25. ^ はくほう日馬くさま富士ふじりょう横綱よこづな奉納ほうのう土俵入どひょうい 日刊にっかんスポーツ 2014ねん1がつ8にち1746ふん配信はいしん
  26. ^ 日馬くさまとみ初場所はつばしょ休場きゅうじょう 靭帯じんたいだんきれ部分ぶぶん 日刊にっかんスポーツ 2014ねん1がつ10日とおか100ふん配信はいしん
  27. ^ 日馬くさま富士ふじ、2場所ばしょ連続れんぞく優勝ゆうしょうがかかる初場所はつばしょ休場きゅうじょう 読売新聞よみうりしんぶん 2014ねん1がつ10日とおか1145ふん配信はいしん
  28. ^ つるりゅうするどいで日馬くさまとみ圧倒あっとう 日刊にっかんスポーツ 2014ねん3がつ4にち1421ふん配信はいしん
  29. ^ 日馬くさま 横綱よこづなはつの2度目どめ反則はんそくけ まげつかみ もハレた 中日ちゅうにちスポーツ 2014ねん9がつ18にち紙面しめんから
  30. ^ 横審よこしんはくほうだんトツにつよすぎ」で顕彰けんしょうナシ 日刊にっかんスポーツ 2014ねん11月24にち1917ふん配信はいしん
  31. ^ 東京とうきょう新聞しんぶん 2016ねん7がつ13にち 朝刊ちょうかん
  32. ^ 日馬くさまとみあきら富士ふじに17ばん15しょうも「からだおもい…」 日刊にっかんスポーツ 2016ねん9がつ4にち924ふん紙面しめんから
  33. ^ 日馬くさまとみが「報知ほうち年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう力士りきししょうはつ受賞じゅしょう スポーツ報知ほうち 2016ねん12月28にち配信はいしん
  34. ^ 日馬くさま富士ふじ、14にちから休場きゅうじょう隠岐おき海戦かいせん右足みぎあしふとももいためる スポーツ報知ほうち 2017ねん1がつ14にち配信はいしん
  35. ^ 横綱よこづな日馬くさまとみ休場きゅうじょう みぎハムストリング肉離にくばな デイリースポーツ 2017ねん1がつ14にち配信はいしん
  36. ^ 横綱よこづな日馬くさまとみ復帰ふっき春場所はるばしょけて頑張がんばる」 みぎあし負傷ふしょう初場所はつばしょ休場きゅうじょう 産経新聞さんけいしんぶん 2017ねん2がつ11にち213ふん配信はいしん
  37. ^ 日馬くさまやめがる、こわがるでは相撲すもうにならない」 充血じゅうけつした左目ひだりめ痛々いたいたしくも弱音よわねかず/春場所はるばしょ サンスポ 2017ねん3がつ16にち1942ふん配信はいしん
  38. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん5がつ27にちごう35ぺーじ
  39. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん7がつごう p43
  40. ^ a b 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん7がつごう p79
  41. ^ 日馬くさま富士ふじ自分じぶんでケガさせた」右足みぎあし親指おやゆび足首あしくび湿布しっぷ 日刊にっかんスポーツ 2017ねん5がつ22にち1957ふん配信はいしん
  42. ^ 日馬くさま富士ふじ納得なっとくいかぬ1はいけはけ。明日あした一番いちばん 日刊にっかんスポーツ 2017ねん5がつ25にち957ふん紙面しめんから
  43. ^ a b 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん7がつごう p58
  44. ^ 日馬くさま富士ふじ「ハッハッハッ」3ねんぶりしゅめご機嫌きげん 日刊にっかんスポーツ 2017ねん7がつ16にち配信はいしん
  45. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん9がつ16にちごう p78
  46. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん8がつ12にちごう p11
  47. ^ 日馬くさまだけはやすむな!横審よこしん、3にち連続れんぞく金星きんぼし配給はいきゅう一人ひとり横綱よこづな懇願こんがん/秋場所あきばしょ サンスポ 2017ねん9がつ15にち配信はいしん
  48. ^ 日馬くさま富士ふじ「しょうがない」こん場所ばしょ4金星きんぼし配給はいきゅう 日刊にっかんスポーツ 2017ねん9がつ19にち配信はいしん
  49. ^ 日馬くさま富士ふじ「4金星かなぼし配給はいきゅう」での優勝ゆうしょうなら史上しじょうはつ珍事ちんじ 日刊にっかんスポーツ 2017ねん9がつ24にち配信はいしん
  50. ^ 日刊にっかんスポーツ 2017ねん9がつ24にち
  51. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん10がつ13にちごう pp.2-3.
  52. ^ 大相撲おおずもう日馬くさま富士ふじ 暴行ぼうこうみと謝罪しゃざい休場きゅうじょう たかいわ全治ぜんち2週間しゅうかん毎日新聞まいにちしんぶん 2017ねん11月14にち配信はいしん
  53. ^ 日馬くさまとみ引退いんたい会見かいけん国民こくみん皆様みなさまにおわびします」”. nikkansports.com. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2017ねん11月29にち). 2020ねん9がつ25にち閲覧えつらん
  54. ^ 横綱よこづな日馬くさまとみ引退いんたい 暴行ぼうこう問題もんだい引責いんせき 午後ごご会見かいけん 毎日新聞まいにちしんぶん 2017ねん11月29にち108ふん配信はいしん
  55. ^ 日馬くさま富士ふじ礼儀れいぎなおすのが先輩せんぱい義務ぎむだと」 引退いんたい会見かいけん 朝日新聞あさひしんぶん 2017ねん11月29にち1451ふん配信はいしん 2017ねん11月29にち閲覧えつらん
  56. ^ 日馬くさまとみ引退いんたい会見かいけん 伊勢ケ浜いせがはま親方おやかた号泣ごうきゅう本人ほんにん一番いちばんわるい」 スポニチアネックス 2017ねん11月29にち1351ふん配信はいしん 2017ねん11月29にち閲覧えつらん
  57. ^ 帰化きか手続てつづちゅうだった日馬くさま富士ふじ「すべてをうしなった」 読売新聞よみうりしんぶん 2017ねん11月30にち配信はいしん
  58. ^ もと日馬くさまとみ士関しかん傷害しょうがいざい略式りゃくしき起訴きそたかいわ暴行ぼうこうで - 大相撲おおずもう : 日刊にっかんスポーツ
  59. ^ もと横綱よこづな 日馬くさま富士ふじ罰金ばっきん50まんえん略式りゃくしき命令めいれい | NHKニュース
  60. ^ もと日馬くさま富士ふじ、スーツ姿すがたあさあかりゅう引退いんたいパーティー出席しゅっせき 引退いんたいはじめて国技こくぎかん登場とうじょう SANSPO.COM 2018.2.5 05:01(産経新聞さんけいしんぶんしゃ、2018ねん2がつ5にち閲覧えつらん
  61. ^ 日馬くさま富士ふじまさかの角界かくかい残留ざんりゅう伊勢いせはま部屋へやのコーチに就任しゅうにん”. ひがしスポWEB (2018ねん2がつ28にち). 2018ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  62. ^ “9がつ30にちもと横綱よこづな日馬くさま富士ふじ引退いんたい相撲すもう. 日経新聞にっけいしんぶん. (2018ねん8がつ20日はつか). https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK10911_Q8A820C1000000/ 2018ねん9がつ26にち閲覧えつらん 
  63. ^ たかいわ日馬くさま富士ふじ断髪だんぱつしき不参加ふさんか やくねん対面たいめんせず 日刊にっかんスポーツ 2018ねん10がつ1にち827ふん日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ、2019ねん2がつ3にち閲覧えつらん
  64. ^ しんモンゴルにち富士学園ふじがくえん開校かいこう将来しょうらいノーベルしょう日刊にっかんスポーツ 2018ねん9がつ2にち
  65. ^ げんたかいわなみだなし断髪だんぱつしき もと横綱よこづな日馬くさまもはさみれ「頑張がんばってください」 SANSPO.COM 2019.2.3 05:03(産経新聞さんけいしんぶんしゃ、2019ねん2がつ3にち閲覧えつらん
  66. ^ もと日馬くさまとみ優秀ゆうしゅう論文ろんぶんしょう受賞じゅしょう城西じょうさい国際こくさいだい大学院だいがくいん修了しゅうりょう相撲すもうどう感謝かんしゃ”. スポーツ報知ほうち (2021ねん3がつ13にち). 2021ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  67. ^ 伊勢ケ浜いせがはま親方おやかた還暦かんれき土俵入どひょういり「あらたなスタート」もと日馬くさま富士ふじ安治川あじがわ親方おやかたしたがえ”. 日刊にっかんスポーツ. (2021ねん10がつ3にち). https://www.nikkansports.com/m/battle/sumo/news/202110030000793_m.html?mode=all 2021ねん10がつ4にち閲覧えつらん 
  68. ^ 朝日新聞あさひしんぶん2017ねん12月1にち朝刊ちょうかん、1めん社会しゃかいめん
  69. ^ 日馬くさま富士ふじ暴行ぼうこう 説教せっきょうちゅうのスマホに激怒げきど 同席どうせきしゃ証言しょうげん 毎日新聞まいにちしんぶん 2017ねん11月14にち2250ふん(最終さいしゅう更新こうしん11がつ15にち914ふん)
  70. ^ 日馬くさま富士ふじ暴行ぼうこう被害ひがいとどけ たかいわたいけが、協会きょうかい場所ばしょまえ把握はあく 中日ちゅうにち新聞しんぶん 2017ねん11月15にち朝刊ちょうかん 2017ねん11月15にち閲覧えつらん
  71. ^ 横審よこしん委員いいんちょうきびしい処置しょちもとめる」 日馬くさま富士ふじ暴行ぼうこう問題もんだい 朝日新聞あさひしんぶん 2017ねん11月14にち2148ふん配信はいしん 2017ねん11月15にち閲覧えつらん
  72. ^ a b 日馬くさま富士ふじ現役げんえき続行ぞっこうのぞむも事態じたい認識にんしき引退いんたいへ 横審よこしんも「きびしい処分しょぶん必要ひつよう 産経さんけいニュース 2017ねん11月29にち106ふん配信はいしん 2017ねん11月29にち閲覧えつらん
  73. ^ 日刊にっかんスポーツ2017ねん11月27にち
  74. ^ 横綱よこづな暴行ぼうこう 日馬くさまとみ幕内まくうちたかいわ殴打おうだ 読売新聞よみうりしんぶん 2017ねん11月28にち配信はいしん
  75. ^ 日馬くさまとみ引退いんたい決意けつい!きょうにも福岡ふくおか県内けんない記者きしゃ会見かいけん. 日刊にっかんスポーツ. (2017ねん11月29にち449ふん). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201711290000037.html 2017ねん11月29にち閲覧えつらん 
  76. ^ 横綱よこづなをなめてるのか」 暴行ぼうこう事件じけん詳細しょうさい報告ほうこくしょ判明はんめい 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 2017ねん12がつ20日はつか2130ふん
  77. ^ 夏場所なつばしょしん横綱よこづなつるりゅう「アッ」奉納ほうのう土俵入どひょうい所作しょさ“どわすれ” スポーツ報知ほうち 2014ねん5がつ10日とおか60ふん配信はいしん[リンク]
  78. ^ 日馬くさま3ねんぶりちんしゅ裾取すそとり」/九州きゅうしゅう場所ばしょ 日刊にっかんスポーツ 2013ねん11月14にち956ふん配信はいしん
  79. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2016ねん9がつ場所ばしょ12ページ
  80. ^ つるりゅう名誉めいよあること」20ねんぶりさんだんかま披露ひろう 日刊にっかんスポーツ 2016ねん10がつ4にち1652ふん配信はいしん
  81. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん6がつごう20ぺーじ
  82. ^ 東京とうきょう新聞しんぶん 2016ねん7がつ25にち朝刊ちょうかん
  83. ^ 日馬くさま富士ふじむすめ学校がっこうでうれしい」あおがくでのなつ巡業じゅんぎょう合流ごうりゅう 日刊にっかんスポーツ 2017ねん8がつ8にち1934ふん配信はいしん
  84. ^ 歴代れきだいの706しょう日馬くさま富士ふじやさしさはいらない」 日刊にっかんスポーツ 2017ねん9がつ18にち配信はいしん
  85. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん12がつごうp13
  86. ^ ハートセービングプロジェクト活動かつどう紹介しょうかいブログ
  87. ^ 日馬くさまとみ士関しかんへのインタビュー(HSPへのあつおもい) ハートセービングプロジェクト活動かつどう紹介しょうかいブログ 2011ねん2がつ15にち公開こうかい
  88. ^ 日馬くさま富士ふじ 公平こうへい タレントデータベース[リンク]
  89. ^ 月刊げっかん相撲すもう平成へいせい23ねん11がつごう
  90. ^ やすおきてやぶりの喫煙きつえん…「全面ぜんめん禁煙きんえん」の支度したく部屋へやで』 スポーツ報知ほうち 2008ねん9がつ17にち
  91. ^ やす「もうしません」禁煙きんえん1しょう大相撲おおずもう秋場所あきばしょ4にち』 スポーツ報知ほうち 2008ねん9がつ18にち
  92. ^ 日馬くさまとみ士関しかん婚約こんやく発表はっぴょう お相手あいて岩手大いわてだいのモンゴル留学生りゅうがくせい 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 2010ねん9がつ29にち配信はいしん
  93. ^ 日馬くさま富士ふじ画伯がはく15てん販売はんばい 銀座ぎんざ絵画かいがてんこう評価ひょうか 日刊にっかんスポーツ 2015ねん12月24にち952ふん紙面しめんから
  94. ^ よしみふう反則はんそくちに複雑ふくざつ気持きもわるい」連呼れんこ 日刊にっかんスポーツ 2014ねん9がつ17にち配信はいしん 2015ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  95. ^ 横綱よこづな日馬くさまとみ右目みぎめ負傷ふしょう休場きゅうじょう日刊にっかんスポーツ 2014ねん9がつ18にち配信はいしん 2015ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  96. ^ 横綱よこづな日馬くさまとみがMVはつ出演しゅつえん!KUNI新曲しんきょく ジャケットもえがいた”. スポニチアネックス. (2015ねん10がつ29にち). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/10/29/kiji/K20151029011408770.html 2015ねん10がつ29にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク